『トヨタ・カローラレビン/スプリンタートレノ(AE86型)』FRコンパクトの“ハチロク”が格上を追う【忘れがたき銘車たち】

 モータースポーツの「歴史」に焦点を当てる老舗レース雑誌『Racing on』と、モータースポーツの「今」を切り取るオートスポーツwebがコラボしてお届けするweb版『Racing on』では、記憶に残る数々の名レーシングカー、ドライバーなどを紹介していきます。今回テーマは、グループAで活躍したトヨタ・カローラレビン/スプリンタートレノ(AE86型)、通称“ハチロク”です。

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 その車両型式から“ハチロク”の愛称で親しまれ、いまだにクルマ好きの間でもファンの多いAE86型のトヨタ・カローラレビン/スプリンタートレノ。

 2012年にデビューしたトヨタ86から、2021年に登場したトヨタGR86へと、いまだに『86(ハチロク)』という名前が継承されているほど、ハチロクは、国産スポーツカーの象徴的な存在になっている。

 以前、この連載でハチロクが後に全日本GT選手権で、その当時の最新レーシングマシンへと変貌した姿をお伝えしたことがある。今回は、AE86型の現役当時、それも日本トップのツーリングカーレース、グループA規定の全日本ツーリングカー選手権(JTC)における活躍をご紹介しよう。

 JTCは1985年に産声を上げた。JTCの最小排気量クラスであるディビジョン1(シリーズ発足当初は、ディビジョン1クラスが最小排気量クラスであった。ドライバーごとのクラス分けにおいてハチロクは、JTC-2クラスに属するのだが、ここではディビジョン1と総称させていただく)において、トヨタの主力車として戦っていたのが、AE86型の主にカローラレビンであった。

 AE86型は1983年に市販車がデビュー。AE80型系の4ドア/5ドアにおいては、すでにこのモデルから前輪駆動となったのだが、スポーティモデルのAE86型(およびAE85型)レビン/トレノでは、先代TE71型のシャシーを踏襲して、後輪駆動のFRレイアウトを維持していた。

 そのおかげもあって、1.6リッターの4A-GEUエンジンを搭載するホットモデル、AE86型はモータースポーツ界でも重宝されたのだった。そして、AE86型は市販車の登場から2年が経っていたが、前述の通り、1985年に新発足したグループA規定のJTCにも投入される。

 AE86型は、スポーツランドSUGOを舞台にした開幕戦で、いきなりの快走を見せた。雨まじりのコンディションに助けられながらも星野薫がドライブするトランピオレビンが総合優勝を獲得する。

 2位にウェッズスポーツカローラが入り、初戦で1-2フィニッシュを果たしたのである。S12型シルビアやDR30型スカイラインRSターボという格上マシンを従えての快挙だった。

 さらに、第2戦の筑波でもBMW635CSiに敗れはしたものの、AE86型が総合2~4位を占拠するなど活躍。第4戦の鈴鹿では、途中から登場したE-AT型のシビックにクラスおよび総合優勝を奪われてしまう場面もあったが、最終戦の富士スピードウェイを舞台にした国際戦、インターTEC。このラウンドではそれまでリタイア続きだった名門、土屋エンジニアリングの走らせるADVANカローラ(鈴木恵一/土屋圭市組)が総合6位、クラストップでフィニッシュ。

 結局AE86型はこの年、全5戦中4戦でクラス優勝を手にし、ディビジョン1の製造者部門とクラス別のドライバー部門(星野薫)を制したのだった。

 AE86型は、翌1986年のスポーツランドSUGO戦でも総合優勝という快挙を成し遂げている。しかし、JTCの主力として活躍したのは1985年のみ。1986年以降は次第にその座をAE82型のFF車、トヨタ・カローラFXへと譲ることになるのだった。

1985年のオープニングレースを制した11号車のトランピオレビン(写真は鈴鹿戦のもの。星野薫/中谷明彦組がドライブ)。その後方を走るトムスのミノルタα-7000カローラは奥脇絵里/眞田睦明組。
3ドアのレビンが主流のなか、浅野自動車は2ドアのトレノ(ウェッズスポーツスプリンター)を投入していた。

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