「親から仕送りの選手も」 西岡剛が“ホリエモン球団”監督を受諾した独立Lの現状

福岡北九州フェニックスの初代監督を務める西岡剛【写真:本人提供】

今季から始動する福岡北九州フェニックスで選手兼任監督に就任

37歳、西岡剛が新たな挑戦に乗り出した。今季からヤマエ久野九州アジアリーグに参加する新球団・福岡北九州フェニックスで、初代監督を務める。まだ現役を退いてはいないので選手兼任。言ってみれば、二刀流だ。2月18日に行われた体制発表記者会見では「男前の選手が多い。ユニットでも組もうかなと思ってます」とジョークを飛ばしたが、シーズンが終わる頃にはそれさえも実現させてしまうかもしれないくらい、野球界の常識にハマらない球団作りに意欲を燃やす。

球団設立の中心人物は、実業家の“ホリエモン”こと堀江貴文氏。オンラインサロンでのふとした会話をきっかけに、故郷に程近い北九州市に独立リーグ球団を設立した。ホリエモンと言えば舌鋒鋭くメディアを賑わし、逮捕歴すらステップアップの糧にする百戦錬磨のビジネスマン。衆議院総選挙に出馬したり、宇宙開発事業に乗り出したり、2004年にはNPB参入計画を立てたり、話題に事欠かない人物でもある。

堀江氏の下、球団代表取締役となった河西智之氏から、ルートインBC栃木で3シーズン目を終えようとしていた西岡に選手兼任監督のオファーが届いたのは昨年9月。堀江氏とも河西氏とも面識がなかった西岡にとって、まさかのオファーだった。「決断するために、今回は初めていろいろな人に相談しました」と振り返る。

「メジャー移籍も、阪神入団も、栃木入りも自分で決めたけど、今回は最初に妻に相談し、両親にも相談し、お世話になっている方々にも相談し。結構な数の方から反対されましたね」と苦笑いを浮かべる。自身も大いに迷った。考えに考え抜いて出した答えは、オファーの受諾。要請を受けてから2か月が経っていた。

受けた理由は明解だ。「生まれたばかりの全く新しいチーム。ゼロからイチを生み出す部分を経験できるのは、野球人としてはもちろん、社会人としても勉強になると思うんです」と言葉を続ける。

「4歳で野球を始めてから小学校、中学校、高校、プロ野球と、今まで既存のチームでプレーしてきたので、チームの立ち上げに携われるのは貴重な経験。僕は現場監督で、球団経営はフロント陣に任せる部分ですけど、スポンサー集めだったり、ファンサービスだったり、地域貢献だったりは協力するべきところ。僕だけではなく、この初年度に関わる選手にとっても、いい経験になると思うんですよね」

福岡北九州フェニックスの初代監督を務める西岡剛【写真:本人提供】

ルートインBC栃木で得た学び、変えたいと思った選手を取り巻く環境

2018年に阪神を戦力外となった後、西岡はルートインBC栃木からNPB復帰を目指した。だが、元首位打者であっても道は厳しく、「今から選手としてNPBに行くのは不可能に近いこと」と現実を見る目は冷静だ。今の自分に何ができるのか。そう考えた時、真っ先に浮かんだのが「独立リーグ選手が置かれる環境を変えたい」という想いだった。

栃木で過ごした3年は、西岡にとって実社会について学ぶ貴重な日々だった。創設間もないながらもチーム運営を軌道に乗せた球団経営陣の手腕、選手とファンではなく同じ人間として叱咤激励してくれる地元の人々との繋がり……。栃木に来なければ知ることのなかった世界の中でも、西岡に強い印象を残したのが選手を取り巻く環境だ。

「野球で稼いだお金で生活したり、家族を養えたりする人を、僕はプロと呼ぶと思います。親から仕送りしてもらう選手もいるのが独立リーグの現実。これではプロという名のプロではない人になってしまう。さらに、僕はNPBを目指さない独立リーガーがいてもいいと思うんですよ。正直、独立リーグで2年、3年とやっていれば、選手は『もうプロは無理だ』と自覚している。でも、野球が好きだし、野球を続けたいと思う選手がいる。こういった独立リーグの現状を何とかしたいという想いは、年々大きくなっていました」

そんな時に届いた新球団入りのオファー。しかも、監督としてチームの活動方針は一任される。「チャレンジする環境を与えてもらった。自分は挑戦するだけ」と飛び込んだ。

監督就任を決断してから、頭の中には様々なアイデアが浮かんでいる。選手に試合の勝敗は求めない。求めるのは「自分のやるべきプレーに集中すること」。個々が役割を果たし結果を出せば、自ずと勝利はついてくる。そして、そのための過程はどんな形であってもいいと考えている。

「練習しようがしまいが、試合で結果を出す選手を使おうと思っています。例えば、富士山の頂上に12時に集合しようという時、車で行っても、徒歩で行っても、ヘリコプターで行っても、時間通りに指定の場所に集合できればいい。独立リーグのチームはこの発想でいいと思うんです。野球での稼ぎが少ない選手は練習時間を早めたり短期集中メニューにしたり工夫をして、バイトをする時間を作ればいい。次のキャリアを考え始めているなら、資格を取ったり学校に通う時間を作ってもいい。逆に野球に集中したいというなら、誰よりも練習に打ち込めばいい。そこまでの過程がどうであれ、結果を出すのがプロですから」

福岡北九州フェニックスの初代監督を務める西岡剛【写真:本人提供】

選手ととも挑戦する姿勢「自信はない。失敗しまくろうと思っています」

チームで全体練習をする日もあるが、基本的には選手はそれぞれ自分で練習メニューを考える。求められればアドバイスを送るが、基本は自由。「実は自由を与えられれば与えられるほど、選手はしんどいと思いますよ」と話す。

「自分でメニューを組んで継続するとなると、スケジュール管理もしなければいけない。1週間から2週間先のスケジュールを考えながら、メニューを組み立ててもなかなか計画通りにいかなかったりするんですよ。『これくらいでいいか』と弱い心が出ることもある。そこをキッチリできるかどうか。茶髪、ヒゲ、ピアスもしたい人はどうぞ、という自由なスタンス。ただ、それをやることで目立つ分、結果を出さないと叩かれる。そこも自分の責任で行動してくれればいいと思います」

プロとして選手に結果を求めてはいくが、失敗は恐れずに挑戦し続けてほしいという。西岡自身、監督として自由な権限が与えられ、これまでの野球界にはない新しいチーム作りに取り組むわけだが、「自信はない。失敗しまくろうと思っています」と笑顔で断言する。

「選手も兼任するので、監督と選手というよりも、同じ選手として一緒に時間を過ごしながら、新しいチーム、新しい価値観を作り上げていきたいと思っています。制限の少ない独立リーグだからこそ、それぞれに合った野球スタイルを見つけていければいい。その上でチームとして舵を切るべき時は僕が切ります」

試行錯誤の連続になるであろう2022年シーズンは3月19日、北九州市民球場で開催される火の国サラマンダーズ(熊本)戦で幕を開ける。(佐藤直子 / Naoko Sato)

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