【インタビュー】ジープ島開拓者の吉田宏司氏(新潟県上越市出身)「妙高山は日本一高い山だった」

吉田宏司氏

新潟県上越市出身で、赤道直下の無人島「ジープ島」の開拓者である吉田宏司氏。吉田氏は新型コロナウイルスの影響で、拠点を海外から地元の上越市に移した。現在、講話やイベントなどを行う「吉田自然塾」を主宰し、アフターコロナを見据えた観光・誘客を探っている。吉田氏に新潟県妙高市の妙高山麓の自然の魅力などについて聞いた。

吉田氏は妙高山について、「妙高山は、昔は須弥山(しゅみせん)と呼ばれていた。これはサンスクリット語で、最も高い山という意味だと聞いたことがある。富士山より高かったので、4,000メートルくらいあったのではないか。現在の名前も『妙なる高い山』と書く。噴火で爆発して、上部が飛んで今の妙高山になったと考えられる」と話した。

さらに続けて、「日本一の山だったことから、その麓にもそれだけの規模の大自然があったわけで、それが今も残っている。日本でも有数な山岳地帯だと言える。苗名の滝の周辺にあるものすごい大きな岩は、噴火の時に飛んだ岩だと考えられる」と語った。

妙高山

妙高市の景勝地「苗名の滝」

また、日本海についても触れ、「妙高山を中心に素晴らしい自然がある。同時に北アルプスの端でもあり、妙高山から国道で降りれば、約40分で日本海に降りられる。そこまで近い時間で山から海に突き抜けられる場所は日本列島で他にないと思う。2500メートル弱の高さがありなからも、海に近いところはない。その意味では、山と海の両方で自然が豊かなのである」と話した。

広域観光については、「これから温暖化を考えた時に、人間は自然と調和して生きていかなければならない。両方の自然を上越妙高で一体となって、自然を守っていく。観光客は大量には入れないという方法でやれば、逆に人は来たがるようになる。私が開拓した赤道直下のジープ島と妙高山は、海と山で対比もできる。長野県の信濃町や飯綱、野尻湖までも含めて、広域の上越妙高として考えて、何か面白い仕掛けをやっていかないといけない」と語った。

さらに、新潟県上越市にゆかりのある戦国武将・上杉謙信について触れ、「『妙高山に参拝登山をしなさい』と言ったのが上杉謙信だ。謙信が40歳の時に、『妙高山に登れ』と言ってから、452年間登山が続いてきた。上越市の春日神社によって7月22日におこなわれているが、2年前にコロナの影響で、450年目の登山を中止すると新聞に載った。その3日くらい前に上越市高田地区の川沿いを歩いていて、後ろを振り返ったら、妙高山が光った。『これは登れと言っているな』と思った。春日神社に『やらないなら私がやる』と言って、13人を集めて登った」と話した。

「吉田自然塾」は2年前から毎月実施しており、人間と自然の尊さについて吉田氏の講話があるほか、「同じ釜の飯を食わないと情は流れない」という吉田氏の信念から旅館やペンション、ホテルに宿泊して宴会やイベントを行っている。現在、500人を超える会員がおり、1年後をめどに1,200人まで拡大する計画だ。

(文・梅川康輝)

© にいがた経済新聞