<日々全力 瓊浦高バド 林貴昭監督(4)> 財産 小嶺の教えを胸に

小嶺からもらった資料。今も大切にスケジュール帳に挟んでいる

 1月上旬に76歳で他界した小嶺忠敏の教えは、林貴昭(48)にとって大きな財産になった。
 西陵を指導して4年目の2002年、28歳のころ。長崎県では何とか優勝できるようになったものの、全国で思うような結果を出せずにいた。どうすればいいか悩んだ末、思い切って小嶺の元を訪ねることにした。
 当時、小嶺は国見の校長で、圧倒的な強さを誇るサッカー部の総監督を務めていた。バドミントンとサッカーで競技は違うが、きっと本質は重なる部分も多いはず。勝ち方を知る「本物の中の本物」から、何かヒントを得たかった。
 面識はなく、自らは指導者としても無名。どうあしらわれるか不安だったが、国見の校長室の戸を開くと「ちょっと座りなさい」と促され、早速2枚の紙を渡された。1枚目の一番上には「指導者の鉄則」と書かれ、2枚目は「日本一の指導者の共通点=人間性の育成」と題されていた。
 ・10年で結果を出せないとだめだ
 ・情熱と魅力をもってやれるかどうか
 ・本能をくすぐる=可能性を感じさせること
 ・負けたときに指導者が責任を取る
 ・16歳くらいまでは褒める方法。それ以上の年代は危機感をあおる方法が中心となる。この変化が必要
 資料に書かれていた言葉はどれも林の心を打った。小嶺はみっちり2時間、指導者とはどうあるべきかを説いてくれた。有意義で刺激的な時間だった。何度も日本一のチームをつくり上げた名将の言葉を胸に刻んでから5年後、07年夏のインターハイ。林は西陵を初めて団体8強に導いた。自らの殻を破った実感があった。
 あの時もらった2枚の紙は、今もルーズリーフのスケジュール帳に挟んで持ち歩いている。「ふと立ち止まった時とか、行き詰まった時にちらっと見返している。初心を感じられるから」
 昨年6月の県高総体。サッカーとバドミントンはどちらも佐世保市内が会場だった。期間中、林は宿舎でばったりと小嶺に出くわした。久しぶりの再会だった。感謝の握手をかわした後、小嶺からひと言だけ言葉をもらった。
 「頑張っとるな。よかよか」
 涙が出るくらい、うれしかった。

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