鈴木雅之が抱いてきたブラックミュージックへの敬愛を日本の大人の音楽へと昇華させた『FAIR AFFAIR』

『FAIR AFFAIR』('92)/鈴木雅之

2月23日、鈴木雅之のカバーベストアルバム『DISCOVER JAPAN DX』と、ライヴ映像作品『masayuki suzuki taste of martini tour 2020/21 ~ALL TIME ROCK 'N' ROLL~』がリリースされた。前者は過去3作が作られたカバーアルバム『DISCOVER JAPAN』シリーズから選りすぐられた楽曲に加えて、新録音曲、シリーズ以外で歌ってきたカバー曲を加えた、まさにデラックスな3枚組。“自分の原点はカバーにある”と公言する鈴木雅之の集大成とも言える作品集だ。後者はグループデビュー40周年記念として開催された大阪フェスティバルホール公演を収録しており、オールタイムベスト級のセットリストで構成された、こちらもまた集大成と言っていい。今週はそんな鈴木雅之の魅力を自分なりに分析してみた。

黒人音楽を日本に広めた第一人者

1990年代後半の女性シンガーの台頭でコンテポラリーR&B;が隆盛となって以降のことだろうか。ソウル、ファンクなどを含む所謂ブラックミュージックは当たり前のように日本の音楽シーンに定着した。送り手が黒人音楽の要素を妙に隠さなくなったということもあると思うし、昨今は明らかに受け手がそれを好んで入手しているようなところもあると思う。ヒップホップグループは当然として、アイドルにしても、バンドにしても、16ビートなどブラック特有のグルーブを自らの音楽に取り込む人ことはもはや珍しいものでも何でもない。黒人音楽を日本のポップミュージックへ融合させる取り組みは、もちろん1990年代のそれが初めてではなく、古くは1960年代のザ・キング・トーンズに遡ることができようし、1970年代からの山下達郎の存在が大きいことは間違いない。また、1980年代の久保田利伸の出現は現在のコンテポラリR&B;の隆盛においてエポックメイキング的な出来事であったと言える。

そして、今回紹介する鈴木雅之というシンガーもまた日本におけるブラックミュージックの定着において欠かすことができない人物である。何しろデビューがシャネルズ(のちにラッツ&スターに改名)である。“何しろって何だよ?”と1980年生まれ以降の読者は思われるかもしれないが、シャネルズやラッツ&スターで画像検索してもらえれば分かると思う。このグループはフロントのヴォーカル4人が顔を黒く塗っていたのである。やっている音楽が、ドゥーワップ色が強かったこと以上に、見た目からして黒人音楽からの強い影響を示していたのだ。当時、日本の音楽グループでそんなことをする人たちはいなかった。『ザ・ベストテン』を筆頭にテレビの音楽番組も今と違って高視聴率を叩き出していた頃である。そのパフォーマンスのお陰もあってグループは一気に巷で認知された。彼らがやっていたドゥーワップも然りである。ブラックミュージックをポップに紹介した点で、シャネルズ→ラッツ&スターの功績は相当に大きかったことは改めて強調しておきたい。ちなみにシャネルズに関しては2018年に当コーナーで紹介しているので、興味のある方は是非こちらもお読みいただきたい。

そのグループのバンドリーダーで努めていた人物が鈴木雅之である。1986年にソロデビュー。同グループには、タレントをやったり、音楽プロデューサーになったりするメンバーもいた中、その辺はさすがにリードヴォーカリストといったところである。ブラックミュージックをポップに紹介したのがシャネルズ→ラッツ&スターであると書いたが、リーダー、鈴木雅之はブラックミュージックの本質をさらに突き止め、さらに日本のリスナーに馴染ませたアーティストのであり、もしかするとその最大の功労者ではないかと思う。前述の通り、久保田利伸もそのひとりであることは間違いない。Wikipediaにもこうある。[1985年から日本の音楽界で初めてとなる完全なR&B;を披露し、R&B;を日本国内に認知させた。1998年以降に宇多田ヒカル、MISIA、平井 堅、UAなどの音楽が日本で流行する下地を作った。昭和歌謡から逸脱したJ-POPというスタイルの登場にも寄与している]と。その久保田のデビューは1986年6月のシングル「失意のダウンタウン」で、1stアルバム『SHAKE IT PARADISE』は同年9月のリリース。一方、鈴木雅之のソロデビューは1986年2月で、数カ月早い。デビューが早いからこちらが元祖だとか本家だとか言いたいわけではなく、それほどに先駆者であることを改めて知ってもらいたいのである。その鈴木雅之の功績を彼の最大のヒットアルバム『FAIR AFFAIR』で以下、筆者なりに分析してみたい。([]はWikipediaからの引用)

大人の鑑賞に堪え得る音楽

結論から端的に言えば、大人の音楽を世に広め、定着させたというのが鈴木雅之の邦楽史における功績ではないかと思う。もちろん、それ以前も大人が鑑賞に堪え得る音楽というのはあった。1980年代前半までは演歌のヒット曲も多かったし、いわゆるAORも流布されていった。当時はそうはっきりとは認識、形容されていなかったようにも思うが、最近シティポップと言われている音楽も世に浸透していった。しかしながら、はっきりとブラックミュージックにルーツを持つ大人の音楽をヒットさせ、しかもそれを現在まで続けていることは偉業と言える。いや、鈴木雅之にしても、AOR、シティポップ感は強く、少なくともアルバム『FAIR AFFAIR』頃までのシングル曲はそこまで黒人音楽要素は強くない。本作のオープニングで、現在までのところ、自身最大のシングルヒットナンバー、M1「もう涙はいらない(sentimental version)」もそう。R&B;寄りのヴォーカリゼーションを見せる箇所もあるし、ブラスアレンジはソウルミュージックを感じさせるものの、そのアーバンな雰囲気はAOR的だ。頭サビで、キャッチーなメロディーを効果的に聴かせている上、冒頭も冒頭に楽曲タイトルがあるという仕掛けはいかにもポップミュージック的で、ほとんどJ-POP的と言ってもいいだろう。しかしながら、この楽曲を露払いに(?)、アルバムはどんどん本性を露わにしていく。

M2「冗談じゃないぜ」で迫るファンクチューン。ギターのカッティング、ベースラインのうねりはブラックミュージック由来の何物でもないし、ホーンセクションや女性コーラスの絡みは実にソウルフルだ。杏子とのデュエットが聴けるM3「最初のYaiYai」では、ジャジーなピアノが聴こえてくるものの、やはり秀逸なブラスアレンジがソウルっぽさを感じさせるところだ。M4「ためいき」はミドル…とまで行かないまでもM2、M3からの流れで聴くと落ち着いた印象を受けるナンバー。昨今のコンテポラリR&B;ほどに派手に動くヴォーカリゼーションではないけれども、エモーショナルな歌であることは間違いない。間奏も含めてブルージーなギターがさり気なくいい雰囲気を出している。M5「君」はボサノヴァタッチなので完全にAOR寄りではあるが、それはそれでリズミカルなギターが生真面目な印象で都会っぽさを演出しているようにも思うし、聴き応えはある。M6「さよならいとしのBaby Blues」でさらにテンポが落ち着きくものの、ギターといい、ブラスといい、コーラスといい、サウンドもゴージャスに施されており、ブラックフィーリング全開。特に注目なのは鈴木の歌だろう。M4はそうでもないと評したが、テンポが緩いからか、こちらの歌唱はR&B;的だ。アウトロ近くでは強めに歌い上げていて迫力がある。

一転、M7「No Control」は同期を取り込んだハウスっぽい仕上がりというのも面白い。全体的にはシャープな音像で、Herb Alpertを彷彿させるようなトランペットの音も入っているが、間奏で聴こえてくる英語の女性の声など、アーバンはアーバンだが、どこかバブルな香りが漂っているような印象も受ける。そこから、M8「十年はやいよ」では再びファンキーへ。ダンサブルなオフビートで、ホーンセクションがポップさを助長しながらも、ギターのカッティングのカッコ良さが光るナイスなナンバーである。親しみやすくもしっかりと渋くいという、鈴木雅之らしい楽曲と言えるのではなかろうか。M9「COME ON IN」は、ブルー・アイド・ソウルの世界的シンガー、Paul Youngとのデュエット曲。ソウル・R&B; の伝説的デュオ、Sam & Daveのカバーなので、黒人音楽を白人とモンゴロイドとでオマージュしたものと言っていいだろう。サウンドも文句なしのカッコ良さだが、英語詞ではあったこともあってか、M1「もう涙はいらない」前にシングルリリースされたものの、セールス的にはそれほど評価されなかったのは少し残念な気もする。アルバムのフィナーレ、M10「せつなく I Love You」とM11「出会えてよかった」は、これもまた落ち着いたナンバー。ややレトロな感じの劇伴っぽいストリングスがジャジーなバンドサウンドと絡む、高級感のあるM10。鈴木雅之自身の作詞作曲で、他に比べるとメロディーも歌詞も素朴な印象ではあるが、それゆえにラストに置くことで味わい深さを残すM11。この2曲での締め括りはベストであろう。

特有の泥臭さを脱臭、中和

と、ザッと全曲を振り返ってみたが、ブラックミュージック、とりわけR&B;、ソウル、ファンクの影響を反映しつつも、それ以外の要素も取り込んでいるところがポイントだと思う。黒人音楽への敬愛は明らかながら、自らの音楽はそれ一辺倒ではない。M5をボサノヴァ調にしたり、M7では同期を入れたりしていることがはっきりと分かるところだと思うが、ブラック特有の泥臭さのようなものをしっかりと脱臭しているのだ。さらに、ファンクはファンクでそのマナーは守りつつ、歌の主旋律に日本ならではと言っていいポップさを注入することでブラック臭を中和しているとも思う。

M2、M8のいずれにもそれが見て取れる。まず大前提として、M2、M8以外もサビメロはキャッチーで分かりやすいものばかりではあるのだが、そこに乗せる歌詞を英語に逃げることがない。これは鈴木雅之の楽曲の特徴だと思うし、そればかりか、メロディーに沿った言葉選びが実にお見事なのだ。個人的に最も白眉なのはシングル「違う、そうじゃない」(1994年発表)だと思うが、M2、M8もそれに劣らない独自のポップさを備えていると考える。M2は楽曲タイトルがそのままサビの歌詞になっており、《冗談》が《冗》と《談》とに分かれてそれぞれ音符に乗っていて、それが他にないリズミカルさを生んでいる。《冗談》をひとつの音符に乗せることもできたと思うが、そうしなかったのは大正解だろう。歌詞の描く物語もポップに昇華させているとも思う。M8は、サビで《あせるなよ あせるなよ》《あきれるよ あきれるよ》とリフレインしており、これもとてもポップだ。そのダンサブルなリズムと相俟って、自然と口ずさんでしまうような効果を作っている。M1の《もう涙はいらない》も同様の言葉の乗せ方だと思うけれども、ポップさではM2、M8に軍配が上がるだろうし、巧みさを通り越して、鈴木雅之のポップアーティストとしての凄みのようなものを感じてしまうのは筆者だけだろうか。

歌詞に関しては、もう2点ほど付け加えたい。全部が全部そうだとは言わないけれども、本場のR&B;、ソウル、特にコンテポラリR&B;のリリックには性表現も少なくないと聞く。中には、日本であればコミックソングと思われてもおかしくないような(我々から見たら)とんでもソングもあるそうな。本作にはさすがにそこまでのものはないにしろ、セックス描写と思しきものは見受けられる。

《裸のまま Standby/無闇にさぐったのなら 痛い/汗をかいて All Right/どちらからともなくて最初の Yai Yai Yai》(M3「最初のYaiYai」)。

《耳たぶの裏 小さなほくろ 知らなかったよ こんな所に/ささやきすぎた 僕の心が 黒い点になった/こんな真昼深く抱き合えば 世間なんて どうでもよくなるね》(M4「ためいき」)。

お分かりかと思うが、内容としては本場に忠実でありながらも、日本らしい奥ゆかしさを忘れていないのだ。M3は元BARBEE BOYSの杏子を客演に迎えることで分かる人は分かる内容だし、間奏に配された吐息もそうで、言葉ではなく、聴き手の想像力を搔き立てる、実に巧みに作られた楽曲となっている。そこもお見事だ。

もう一点は、M8に注目した。鈴木雅之を指して“大人の音楽を世に広め、定着させた”と前述した。この“大人”にはM3、M4のような、映画で言えばR18的な描写もあろうし、M1やM11見せる相手を包み込むような愛情も大人ならではのものだろう。そんな中、M8はこんな内容だ。

《所詮 消えるのさ 泡みたいに/打算でふくれた 情熱は/高い料理や 服だけじゃ/おとなには なれはしない》《まるで治らない 病気みたいさ/甘い自堕落も 快楽も/ミツに溺れた その代償を/軽くする クスリはない》(M8「十年はやいよ」)。

こういったことをさらりと言うことができるのもまた大人だろう。決してラブアフェアだけを描くのでないところに本作、そして鈴木雅之の良さを見る。

TEXT:帆苅智之

アルバム『FAIR AFFAIR』

1992年発表作品

<収録曲>
1.もう涙はいらない(sentimental version)
2.冗談じゃないぜ
3.最初のYaiYai
4.ためいき
5.君
6.さよならいとしのBaby Blues
7.No Control
8.十年はやいよ
9.COME ON IN
10.せつなく I Love You
11.出会えてよかった

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