【2/26〜、旭市】網戸城と鏑木城の御城印が販売開始

2月26日より、道の駅 季楽里あさひにおいて網戸城と鏑木城の御城印が発売されます。

販売開始日:
2022年2月26日(土)

販売価格:
各300円(税込)

販売場所:
道の駅 季楽里あさひ
0479-62-0888

※歴×トキにて通販も開始

旭市観光協会の水野さんからコメントをいただけたのでご紹介します。

水野さんからのメッセージ

旭市の御城印4城目5城目に当たる「鏑木城」「網戸城」の御城印が販売になります。両城とも、かつての椿海に面し、豊富な歴史上のコンテンツを持つお城でしたが、山城ガールむつみさんがその内容を紡いでくれ、素晴らしいデザインの御城印が誕生しました。是非、お立ち寄りの上、お買い求めください。

デザインを担当された山城ガールむつみさんからもコメントをいただけましたのでお読みください。

山城ガールむつみさんからのメッセージ

網戸城は現在の東漸寺周辺一帯が網戸城の城域とされていて、空堀や土塁などが残っています。徳川家康の関東移封に伴い、木曽義昌が城主となりましたが、慶長5年(1600年)に廃藩、廃城となり、その封地は幕府の直轄地となりました。

信濃国木曽谷の領主木曽氏の第19代当主木曽義昌は武田信玄の娘を妻とし、武田氏に属し、その後、織田氏、豊臣氏に属すも、関ヶ原で自身が参陣しなかったため阿知戸に移封になりました。
義昌は、木曽義仲(源義仲)の後裔と伝わっていることから、御城印には、市名の元になった「朝日」をイメージするとともに、木曽義仲の銅像をモチーフにしました。さらに、義昌の肖像画、兜(伝木曽義昌兜・東漸寺蔵)をデザインしました。

鏑木城の南側にはかつて存在した「椿の海」が広がっていました。鏑木城は空堀、土塁、櫓台が良好に残り、主郭からネコヤ地区に下りる大手と思われる道筋が残っており、その道に沿って5段の腰曲輪が築かれています。
鏑木城は鏑木氏の居城とされ、鏑木氏は戦国時代に主筋の千葉氏を通して小田原北条氏に属しました。天正18年(1590年)の小田原の役の後、鏑木城は徳川家康によって接収され、その後、廃城になりました。
鏑木氏は千葉城主代々の四天家老にその名があり、常に重要な役割を果たしていたことが分かります。御城印は、鏑木氏の祖と伝わる鏑木胤定の肖像画をモチーフにし、あわせて、千葉一族の家紋「九曜」、鏑木氏の家紋「月星」を配置しました。

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