小泉今日子「迷宮のアンドローラ」新たな80年代女性アイドルのトップ奪取宣言!  小泉今日子 デビュー40周年のアニバーサリー・イヤー!

__80’s Idols Remind Me Of… Vol.33
小泉今日子 / 迷宮のアンドローラ__

歌に乗せた、愛し合うふたりの幸せな絶頂感

昨年末(2021年)から、やたら目にするリクルートのテレビCM、松坂桃李が出演している、クイーン「ドント・ストップ・ミー・ナウ」がイヤー・キャッチになっている、あのCM。クイーンの楽曲にハッとして、目を向けたという方も多いのではないだろうか。21世紀に入ってからCM中心に結構いろいろな場面で使用されていて、日本においては当時のヒット感以上に(1978年リリースの『Jazz』に収録された中ヒット作品)クイーンの代表的シングルとなっている楽曲だ。

そんな「ドント・ストップ・ミー・ナウ」は、愛の交歓の喜びを直截的に表現した、(フレディ・マーキュリー色の強い)いわば “昇天ソング” と命名していいような作品。もちろん “昇天ソング” なんていうジャンルが明確に存在しているわけでもなく、筆者が勝手に命名しているのだが…。大衆音楽の歴史においてこの手の “昇天ソング” は、直截的であったりやんわりと巧妙な比喩であったりと表現の方法は違えども、意外にも定期的に残されている。

愛し合うふたりが愛の交歓時に覚える幸せな絶頂感… ある意味ほとんどの男女が共感を覚えるであろう、ラヴソングのひとつの形態になっているのかもしれない。

アイドルシンガー小泉今日子が歌う昇天ソング「迷宮のアンドローラ」

そんな “昇天ソング” だが、女性アイドルシンガーによるオリコンNo.1クラスの2大傑作といえば、松田聖子「天国のキッス」(1983年)と小泉今日子「迷宮のアンドローラ」(1984年6月21日リリース)の右に出るものはない。

「迷宮のアンドローラ」は小泉今日子の10枚目のシングル、デビューからちょうど2年を経た前作「渚のはいから人魚」(1984年3月)が初めてのオリコン・シングル・ランキング1位を獲得、いわば人気絶頂期に差し掛かった時の作品だ。

ひと足先にデビューした松本伊代が脱アイドル的スタンスを醸し出しながら迷走期に突入していくように見えていく一方で、ビクターがトップ女性アイドルの座を狙うシンガーを小泉今日子へと明確にシフトチェンジしていった作品だったとも言えよう。松田聖子や中森明菜が築いていた女性シンガーシーンの盤石な牙城を、小泉今日子陣営は本腰で崩しにかかっていった… というわけだ。

進化・昇華した“セクシュアリティの比喩表現”

「迷宮のアンドローラ」が昇天ソングたる所以は随所に配された絶妙なワードにうかがい知られるが、決定的なのは「何度も宇宙遊泳させたくせして」という言葉。80’s女性アイドルのひとつの特徴となった “セクシュアリティの比喩表現” をさらに進化・昇華させたこの手法、極めて1980年代的な正統派女性アイドルとして真正面から挑んでいたことがわかる。

小泉今日子は脱アイドル的スタンスでトップ女性シンガーの座を掴んでいったイメージが強いが、それはアイドル宣言を逆手にとった「なんてったってアイドル」(1985年11月)以降のこと。

実はこの1984年時点での小泉今日子は、最も顕著に “アイドルシンガー” していたということだ。もっともニューウェーブを経たポスト・ディスコ期のニューロマンティック的ダンスミュージックの意匠(フロック・オブ・シーガルズや初期デュラン・デュランが挙げられるか)を纏っているのはチャレンジングといえるものだが(次作「ヤマトナデシコ七変化」の12インチに至ってはトレヴァー・ホーンやエレクトロヒップホップの世界観!)。これは編曲者、船山基紀の手腕によるものだろうか。

女の子、少女、娘… ステップを踏んで迎えた絶頂

もちろん「迷宮のアンドローラ」が突発的な “昇天ソング” になったわけではない。

小泉今日子上昇期となった “少女3部作”――「まっ赤な女の子」「半分少女」「艶姿ナミダ娘」(すべて1983年)における女の子→少女→娘と段階を経て、直後の(あんみつ姫名義の)「クライマックスご一緒に」でついに姫に昇格(?)して絶頂を迎えていたのだ。

そして飛び道具的コミカル・ワールドながらも聴くものにセクシャルな “ズッキン ドッキン” 感を与えた(いわば松本伊代「オトナじゃないの」の小泉版)「渚のはいから人魚」を挟んで、実に壮大な布石が敷かれていた。「迷宮のアンドローラ」は、新たな80年代女性アイドルのトップ奪取宣言であったと同時に、もはや(正統派)女性アイドルは私、小泉が担っていくんだ宣言とも捉えられる、実にエポックメイキングな作品だったことがわかる。

ところで1970年代の(女性アイドル)“昇天ソング” といえば、自身の歌手としてのイメージの幅をグッと広げた、山口百恵「夢先案内人」(1977年)と「乙女座宮」(1978年)(阿木燿子&宇崎竜童による最強コンビ!)が秀逸な作品として挙げられる。

そう小泉今日子は80年代において、山口百恵と比しても遜色ないステイタスを築いていた。そして松田聖子 / 中森明菜の牙城を崩した、最先鋒女性シンガーこそが小泉今日子だったのは紛れもない事実なのだ。

カタリベ: KARL南澤

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