【高校野球】“ハンカチ王子”と同時に引退 静岡商「ほほ笑み王子」が描く第2の人生とは?

2006年夏の甲子園で力投する静岡商・大野健介さん【写真:共同通信社】

大野健介さんは静岡商のエースとして2006年夏の甲子園に出場

「ハンカチ王子」の系譜を継ぐヤマハの大野健介さんがグラブを置いた。静岡県の静岡商時代に甲子園に出場し、さわやかな笑顔から「ほほ笑み王子」の愛称で親しまれた左腕。奇しくも早稲田大学の1学年先輩だった元日本ハム・斎藤佑樹さんと同じタイミングで現役を退いた。引退から約2か月。すでに新たな目標へ歩み始めている。

野球漬けの生活から離れて間もなく2か月が経とうとしている。2022年。新年は「新しい年」の始まりというだけでなく、今年は「新しいスタート」も意味している。ヤマハの大野健介さんは昨年12月いっぱいで現役を引退した。

「ベテランになってからは毎年、今年が最後の1年というつもりでプレーしていました。悔いのないシーズンを送る積み重ねで10年続けさせてもらいました」

体力や気力に限界を感じていたわけではなかった。むしろ、フィジカル面では昨年が一番充実していたという。重視したウエートトレーニングやサプリメントの効果もあって、直球の最速は147キロと自己最速を更新した。だが、プロ野球選手も輩出するヤマハに毎年入ってくる投手との競争は厳しく、登板機会は増えなかった。「切り替えは早いので、会社で戦力になるために日々、勉強しています」。

今年1月からは社業に専念している。小学2年生から当たり前だった野球中心の生活から、今は家族と過ごす週末が日常となった。2歳8か月の長男は公園を走り回り、自宅では柔らかいボールとスポンジのバットで遊んでいる。

ヤマハコーポレートサービス「物流事業部」へ配属された大野健介さん【写真提供:ヤマハ】

現在は社業の他、母校で後輩投手を指導している

早実・斎藤佑樹と駒大苫小牧・田中将大投手(楽天)の投げ合いで決勝戦が再試合となった2006年夏。静岡商の2年生だった大野さんはエースナンバーをつけて聖地のマウンドに立った。さわやかな笑顔が話題となり「ほほ笑み王子」と呼ばれた。大野さんは「あの頃は王子を付ければいいという雰囲気でしたね」と笑う。本家の「ハンカチ王子」ほどではなかったが、「ほほ笑み王子」もファンの記憶に刻まれている。その後、2人の王子は早大でチームメートになった。

大野さんは1か月間の研修を経て、2月にヤマハコーポレートサービスの「物流事業部」へ配属された。ヤマハの商品を滞りなく消費者へ届けるために調整し、万が一、トラブルが起きたら対応する。製造から配送まで全体を把握できる部署での勤務に「広い視野を持って知識を吸収していきたいと思います。まだ半分は研修なので、これからやりたいことを具体的に見つけていきたいです」と意気込んでいる。

新たなスタートを切った第2の人生では、社業の他にも目標がある。「母校を何とか強くしたいです」。大野さんは現役引退後、月に1、2回、母校の静岡商の練習に参加している。「自分がやってきた練習メニューや考え方を色々と提案して、後輩投手陣をレベルアップさせる力になりたいと思っています。やりがいと楽しみを感じています」。1年秋から静岡商のエースとしてチームを甲子園に導き、早大、ヤマハと野球界の王道を歩んできた。身長170センチと小柄ながらアマチュアの第一線でプレーできた知識と経験を惜しみなく後輩に伝えるつもりだ。

静岡商の指揮官は今年度から、大野さんが師と仰ぐ曲田雄三監督が務めている。高校時代のコーチで、エースの心得を叩き込まれたという。大野さんは「エースは誰よりも練習する、全てが野球に通ずるという熱量が技術の向上につながる。曲田さんに築いてもらった土台がなければ、ヤマハで32歳まで野球を続けられなかったと思います」と感謝する。

静岡商は県内指折りの伝統校だ。元巨人・新浦壽夫さん、元近鉄・大石大二郎さんやDeNA・高田琢登投手ら多数のプロ野球選手を輩出し、甲子園でも春は優勝、夏は準優勝した経験がある。だが、大野さんが出場した2006年夏を最後に聖地から遠ざかっている。「母校を強くすることに今は一番、熱くなっています」。かつて甲子園を沸かせた「ほほ笑み王子」は伝統校を復活させ、笑顔で聖地に立つ後輩たちの姿を思い描いている。(間淳 / Jun Aida)

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