【読書亡羊】ウクライナ侵攻を正当化するロシアの世界観とは? 小泉悠『「帝国」ロシアの地政学―「勢力圏」で読むユーラシア戦略』ラリー・ダイヤモンド『侵食される民主主義』 その昔、読書にかまけて羊を逃がしたものがいるという。転じて「読書亡羊」は「重要なことを忘れて、他のことに夢中になること」を指す四字熟語になった。だが時に仕事を放り出してでも、読むべき本がある。元月刊『Hanada』編集部員のライター・梶原がお送りする週末書評!

プーチンは織田信長のような人物?

「プーチンという人物は、日本で言えば織田信長みたいな存在だと思うと理解しやすい」

ある時、政府関係者からこんな人物評を聞いた。

信長と言えば日本で最も人気のある歴史上の人物で、「上司にしたい歴史上の人物ランキング」でも常に上位に入る。強烈なリーダーシップと革新的な発想で天下を治めた風雲児というイメージを持つ人も多かろう。

なるほど指導力という点でプーチンと重なるところがないではなさそうだが、政府関係者の真意を測りかねた。

ここへきてウクライナ危機は極まり、プーチンは親ロシア派武装勢力を独立国家として承認。2014年のクリミア侵攻時にウクライナとの間で締結されたミンスク合意(停戦合意)も破棄。ウクライナへの侵攻を開始した。

プーチン、ロシアは一体、どのような思想から、こうした行動に及ぶのか。

こうした疑問を少しでも解消すべく、小泉悠『「帝国」ロシアの地政学―「勢力圏」で読むユーラシア戦略』(東京堂出版)を手に取った。2019年刊の本だが、「今読むべき本」なのでお許しいただきたい。

本書を改めて読んだところ、冒頭の政府関係者の発言に「なるほど、そういうことか」と得心が行ったのである。

「小国に主権なし」

『「帝国」ロシアの地政学』は、ロシアが考える国家や領土の概念について丁寧に紐解く。それは、戦後日本で生きてきた私たちの認識とは大きく異なる。

「ソ連崩壊は悲劇」であり、「数千万人の国民と同胞がロシアの領域外にいることになってしまった」というのが、プーチンの心情だ。

そうした同胞が住む旧ソ連領内において、ロシアは今も自身が何らかの影響力を及ぼすべき「勢力圏」であると考え、特にロシア系住民が住む地域に関しては「保護する責任(R2P)」を自身に都合よく解釈し、相手国に対する介入を、軍事的なものを含めて良しとしている。

しかもロシア的には「主権とは大国のみが持ちうるものであり、中小国は主権国家とはみなさない」のだという。プーチン曰く、ドイツですら軍事同盟がなければ成り立たない国家、つまり「主権国家ではない」というのだ。日米同盟に頼りきりの日本がロシアからどう見られているのか、悩むまでもない。

そうしたロシア的世界観においては、2014年のクリミア半島併合も、今回のウクライナ危機も「失地回復」でしかない。

2014年、当時のメルケル首相による、「(ロシアの行為は)19世紀や20世紀の手法を用いて違法に振舞っている」「法の力よりもジャングルの掟が、一国の地政学的な思想が、理解と協調よりも優先されている」との発言が本書に引用されている。

なるほど、と膝を打った。冒頭の「プーチン=織田信長」説の真意は、要するに「この21世紀の国際社会において、戦国時代の価値観で動いている人物」、しかも、21世紀の論理を知っていながら――ということなのだろう。

自らを被害者とするロシアの論理

しかもロシアが使うのは「武力(ジャングルの掟)」だけではない。インターネットやメディアを使った情報戦にも注力している。これについては過去の書評でも取り上げているので参照されたいが、つい最近も良書が刊行された。

これまで民主主義に関する多くの著作をものしているラリー・ダイヤモンド『侵食される民主主義』(市原麻衣子監訳、勁草書房)は上下巻の大著だが、上巻第6章の「ロシアによる世界的な攻撃」で、現在のロシア、つまりプーチンの「世界観」が簡潔に提示されている。

「アメリカをはじめとする西側諸国は、ロシアを包囲し、弱体化させようとしている」

「ウクライナで起きた2004年のオレンジ革命や、2014年のユーロマダン革命は、いずれも欧米の介入煽動によって起きたものである」

「こうした邪悪な企てはロシアに脅威をもたらす」

こうした事態にロシアがとったのはどんな手か。その一つがソーシャルメディアを使った偽情報の拡散であり、他国の選挙への介入だ。それによって民主主義国家内に分断や疑心暗鬼を生じさせ、弱体化せしめようというのである。

中露に共通する「そっちはどうなんだ主義」

特にロシアのメディアは旧ソ連時代からの戦術である「そっちはどうなんだ主義(whataboutism)」を多用しているとダイヤモンドは指摘する。

例えばロシアで人権抑圧的事件が起きた際「ではアメリカの黒人差別はどうなんだ」と提起し、批判をかわす作戦だ。これは中国も多用する手法である、とオーストラリアの学者クライブ・ハミルトンは指摘している(『目に見えぬ侵略』飛鳥新社刊 参照)。

この「作戦」に乗せられたのかどうか定かではないが、今回のウクライナ危機に際しても、日本の論者から「ロシアばかり責めるが、アメリカのイラク侵攻はどうなんだ」とか、さらにさかのぼって「アメリカだってテキサス併合をしたくせに」といった指摘は散見される。

反米意識がそうさせている面もあるだろうし、確かに欧米が常に正しいわけではない。

本書でダイヤモンドは「ウクライナの民主派支援のためには慎重な支援が必要」(下巻、第11章)と言うが、こうした支援自体がロシアにとっては脅威であり、「兄弟」であるはずのロシアとウクライナの間に亀裂を生じさせている、とするロシア側の言い分が全く間違っているわけでもないだろう。

だが、ロシアが演出する「自国の悲劇性や被害者意識」に過剰に肩入れし、「そっちはどうなんだ主義」に乗ってロシアの暴挙を擁護すれば、今まさに生まれている被害者の存在を見過ごすことになる。ウクライナにはロシアとは違う、ウクライナ独自の歴史・アイデンティティ・ナショナリズムがあるのだ(黒川祐次『物語ウクライナの歴史』中公新書)。

社民党がロシア擁護で大炎上

今回のウクライナ侵攻についてロシアを擁護することは、特に日本の左派こそ守りたいはずの「戦後秩序」を破壊することに繋がりかねない。さすがの朝日新聞や共産党でさえロシア非難の構えを見せる中、社民党は党機関紙『社会新報』の社説でロシア擁護論を展開した。記事は大炎上し(さらにウクライナ大使館からの抗議があったとも言われるが)、何の説明もないままウェブ上から削除された(https://news.yahoo.co.jp/byline/obiekt/20220221-00283080
(追記:社会新報の記事は、何の説明もないまま再びアップされた)。

日本人がいくら織田信長を理想の上司にあげようと、それはあくまで架空の話。相手に問題があるからと言って比叡山を焼き討ちにするような人間を、現代社会が許すわけにはいかないのだ。

梶原麻衣子 | Hanadaプラス

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