<ニカラグア写真報告>裏切られた革命(3)「息子はFSLNに殺された」…抵抗の声あげる母親に会った

マルガリータ・メンドーサさん。暴行を受けて殺害された息子の死の真相究明を求めている。2020年2月、マナグア。

2018年4月、ニカラグア全土に拡大した反政府抗議活動を、オルテガ政権は実弾で鎮圧し、300人以上(600人以上とも)が死亡し、数千人が負傷した。活動の中で我が子を亡くした母親たちが声をあげている。真相究明を求める母親の一人・マルガリータさんに話を聞いた。(文・写真 柴田大輔)

<ニカラグア写真報告>裏切られた革命(1)民衆に怯える「革命の英雄」オルテガ

◆「息子はオルテガ与党のFSLN関係者に殺害された」

「42カ月です」

息子を亡くしてからの時間を、マルガリータ・メンドーサさん(52)はこう表現した。

「もう4年が経ちますね」と聞いた私の曖昧な時間感覚を打ち消す言葉だった。

マルガリータさんは真っ直ぐこちらを見つめ、こう続けた。

「息子が家を出た日から、毎日数えています。何日、何カ月。それが、今の私の生活です」

マルガリータさんの次男ハビエルさん(当時19歳)が亡くなったのは、2018年5月。マナグア市内のニカラグア工科大学で抗議活動中、与党サンディニスタ民族解放戦線(FSLN)関係者に拉致され、収容先の刑務所で受けた拷問で命を落とした。

2021年11月、私が約2年ぶりにマルガリータさんをマナグア市内の自宅に訪ねると、彼女は仕事から戻ったところだった。近所の家庭で、部屋の掃除や料理を手伝だっているという。前年から体調を崩しているといい、以前よりやつれていた。

トタン屋根に板張りの二部屋を借り、夫と二人で暮らす。「中は暑いから」と、軒先の木製ベンチに並んで腰掛けた。自宅前の街路樹の影になる。路地を行き交うバイクや車の音と共に風が吹き込み、汗を冷やす。

「目を瞑ると、息子が帰ってくる気がします。彼女でも連れて、そのドアを開けるんじゃないかって。私は病気がちでしたが、息子を亡くしさらに悪くなりました」

そう近況を話すと、怒りを込めてこう続けた。

「この間、真相は全く解明されていません。私の息子はなぜ死ななければならなかったのか。この国の不正義は、今も続いています」

2018年の市民による大規模反政府抗議活動を伝える地元新聞。

◆反政府行動に向い拉致され拷問

2018年5月8日、19歳だったハビエルさんは友人に仕事を紹介してもらうと言い残して家を出た。友人らの話では、用事を済ませたハビエルさんは、当時、治安部隊と学生が激しく衝突するニカラグア工科大学に向かった。

その日の夜、ハビエルさんは、大学近くでFSLNの下部組織メンバーに殴られ、友人と共に車に押し込まれた。その日のうちに警察署から刑務所に移送され、さらに暴行を受けたという。

家に戻らない息子を心配したマルガリータさんは、息子が家を出た翌日から市内の病院や警察署、刑務所に何度も足を運んだが、消息はつかめなかった。

失踪から10日、司法解剖医から、遺体の確認を求める電話がかかってきた。震える自分を叱咤し、マルガリータさんは家を出た。医療施設の遺体安置室に、大きく腫れ上がり、紫色に顔が変色したハビエルさんがいた。別人のようだった。

医師は、彼が家を出た8日から遺体が安置されていたと話した。マルガリータさんはこの間、警察署や刑務所だけでなく、この施設も訪ねていた。その都度、各所で「該当者はいない」と繰り返された。

母親のマルガリータさんの携帯電話には、遺体となり対面したハビエルさんの写真が残されている。2020年2月、マナグア。

◆「誰が息子を殺したのか?」 裁判もなく逆に監視受ける

その後、検察が調査結果を発表した。「民家に強盗に入ったハビエルさんが、もみ合った末に殴打され死亡した」というものだった。マルガリータさんが息を吸い込み、言葉に怒気を込める。

「拉致し、監禁し、暴力を振るい私の息子を殺した。それなのに、彼らは物語を変えている。警察の嘘は、私たちへのさらなる暴力です」

マルガリータさんは学生らを訪ね歩き、息子に関する証言を集めた。活動する中で繋がった同じ境遇の母親たちの助けで、人権団体を通じて事件を告発した。だが裁判は開かれない。

「誰が私の息子を殺したのか。その指令を出したのは誰か。私は真実が知りたい。そして、息子の汚名を晴らしたい」
そう思いを話す。

「しかし」と、マルガリータさんが言葉を繋ぐ。

「私たちを司法面で支援した人権団体の代表が、今年(2021年)、逮捕されました。理由は明確ではありません。団体も捜索されて事務所が閉鎖されました。私に脅迫状が届いたこともあります。警察は毎日、家の周囲を巡回しています。国内での活動が、とても難しくなっています」

殺された息子ハビエルさんの写真をプリントしたTシャツを着るマルガリータさん。自宅に祭壇を設けた。2021年11月、マナグア

◆息子に「愛してる」と言いたかった。

マルガリータさんは事件後、教会で祈ることで過去と自分に向き合ってきた。最近、支援者の紹介で心療内科でのカウンセリングを受けはじめた。それでも後悔の気持ちが消えることはないという。

「私は息子に『愛している』と言いたかった。私は、最後を迎える息子に食事を作ることも、汚れた服をかえてあげることも、水を飲ませてあげることもできなかった」

夜になると思いが溢れ、眠ることができないという。しかし、希望は捨てない。

「いつか政府が変わり、世の中が新しくなった時、私の息子の裁判が始まると期待しています。私は息子のために闘います。息子は正義のために闘ったのですから」続く

ニカラグアの40年
左翼ゲリラ・サンディニスタ民族解放戦線(FSLN)を率いたオルテガ氏は1979年、ソモサ一族による独裁政権を倒し革命を成功させ、84年、大統領に初当選。90年の選挙で敗北するが、06年に大統領に復帰すると、14年、大統領の再選禁止規定を撤廃し、17年には夫人を副大統領にした。18年の反政府デモへの武力鎮圧では300人以上が死亡するなど、強権的な独裁政治が批判される。21年の大統領選で勝利し、4期連続5回目の大統領に就任した。

柴田大輔(しばた だいすけ)
1980年茨城県出身。2006年よりニカラグアなど、ラテンアメリカの取材をはじめる。コロンビアにおける紛争、麻薬、和平プロセスを継続取材。国内では茨城を拠点に、土地と人の関係、障害福祉等をテーマに取材している。

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