小泉今日子「ヤマトナデシコ七変化」70年代ディスコを80年代テクノに換骨奪胎!  小泉今日子 デビュー40周年のアニバーサリー・イヤー!

キャッチータイトル路線の集大成「ヤマトナデシコ七変化」作詞は康珍化

「まっ赤な女の子」から始まったキョンキョンのキャッチータイトル路線のシングルは、聖子や明菜に続く3番手の女性アイドルの地位へ彼女を押し上げた。その集大成にして最高峰とも言えるのが、1984年9月に発売された「ヤマトナデシコ七変化」だと思う。

口ずさみたくなるサビ、七五調でまとめたインパクトある歌詞、テクノ調でゴージャスなアレンジ、歌詞の中で「アハン~」と甘えたりと、この曲には遊び心がてんこ盛り。作詞・作曲は「真っ赤な女の子」でコンビを組んで以来の康珍化さんと筒美京平さんだが、康さんのぶっ飛んだ歌詞は言葉遊びに近い。特に「純情・愛情・過剰に異常」の一節は、歌詞の歴史に残る傑作だと思う。

一方、筒美さんのメロディーも、かなりトリッキーだ。複数のメロディーが絡み合う曲構成は、まさに七変化しているよう。康さんの歌詞に同調して、曲作りを思い切り遊んでいるように聴こえる。その最たるものが、元ネタの存在。筒美さんは、70年代にヒットしたディスコサウンドをテクノポップに “変化”させたように思える。

70年代ディスコソングを換骨奪胎? 作曲は筒美京平

音楽評論家のスージー鈴木氏は、著書『1984年の歌謡曲』の中で、この曲のイントロとコード進行は、1978年にヒットした中原理恵「東京ららばい」へのセルフオマージュだと分析している。聴き比べると、確かにイントロのフラメンコ風ギターの旋律が似ていて、始まりのコード進行も全く同じだ。

しかし、「東京ららばい」にも元ネタが存在した。米仏混合のディスコサウンドグループ、サンタ・エスメラルダが1977年に出した「悲しき願い(Don't Let Me Be Misunderstood)」である。この曲は日本でも「悲しき願い」という邦題で、奇しくも「東京ららばい」と同時期にヒットして知られている。

近田春夫さんは著書『筒美京平 大ヒットメーカーの秘密』の中で「京平さんの楽曲は、基本的にゼロから生まれるものではなく、何かにインスパイアされるところから始まることが多い。70年代の外国の楽曲には、換骨奪胎して歌謡曲に置き換えたくなるような魅力的な作品がすごくいっぱいあった」と述べているが、筒美さんは70年代後半に、ディスコサウンドをよく引用していた。「東京ららばい」の歌詞を見た筒美さんは「サンタ・エスメラルダの感じでいこう」と、作詞した松本隆さんに提案したらしい。

これと同じことを80年代のアイドルソングで行ったのが「ヤマトナデシコ七変化」だったのではないか?しかも、初期キョンキョンのシングルは、筒美さんお得意の70年代ディスコ歌謡路線。遊ぶにはうってつけの素材だったのだ。

ディスコ、ラテン、テクノを融合、アレンジは若草恵

今回、「ヤマトナデシコ七変化」と「悲しき願い」を聴き比べてみたが、イントロで流れるフラメンコ風ギターは確かに似ている。「悲しき願い」のイントロに続き「純情愛情~」と流れても全く違和感がない。メロディーも原曲の面影が随所に感じられ、サルサのアレンジも一緒だ。おそらく筒美さんは、この曲を自ら編曲したかったのではないか。

しかし、80年代以降の筒美さんは分業に徹し、編曲は若手を指名していた。今作を任されたのは、歌謡曲から演歌、ドラマ、映画音楽まで幅広いジャンルの編曲をしていた若草恵さん。「弦の魔術師」と呼ばれるほどストリングスを多用したアレンジで知られ、90年代以降にレコード大賞編曲賞を3回も受賞した重鎮だが、当時は30代前半の若手だった。

そんな若草さんが作り上げたのは、ディスコビートのテクノ歌謡。70年代のディスコサウンドを、アイドルが歌うテクノポップとして80年代に蘇らせたのである。後年に若草さんは「ストリングスやクラシック楽器の中に、キラキラしたシンセを少し入れ込むみたいなのが自分のサウンド」と自己評価しているが、本作にはそれが顕著に表れている。間奏で鳴り響くストリングス、ビートが効いたディスコサウンド、切なさが漂うラテン調のリズム、ゴージャスなテクノサウンドが融合し、全く新しい音楽に変化しているのだ。

ちなみに「ヤマトナデシコ七変化」には、バスドラ4つ打ちのディスコビートを強調させた12インチシングルが存在する。「悲しき願い」も12インチのクラブリミックス版がヒットしていて興味深い。

小泉今日子の80年代シングルでは売上トップ

このように、与えられたテーマに応じて自分の頭の中の引き出しから最適なメロディーを取り出し換骨奪胎するテクニックは、筒美さんの真骨頂。原曲を知らなくても、最新の流行歌として聴けることが何よりすごい。

高校生だった当時の私は、「キョンキョン相変わらずぶっ飛んでるな」という感想しか持ち得なかったが、38年経っても歌えるくらい心に刻まれた。学友たちもこの歌をよく口ずさんでいたが、それくらいこの曲は親しまれた記憶がある。

実際「ヤマトナデシコ七変化」は、オリコンで3週連続首位を獲得している。売上も12インチシングルも足すと40万枚を突破し、80年代にキョンキョンが発売したシングルではトップ。『ザ・ベストテン』でも、登場7週目で1位に上り詰めるという演歌のような動きを見せた。ディスコサウンドの心地よさが年代を超えて評価されたのかもしれない。

キョンキョンのキャッチータイトル路線はこの曲でいったん終了するが、「ヤマトナデシコ七変化」は、そのラストを飾るのにふさわしく、彼女の人気とキャラの確立に筒美さんが大きな役割を果たしたことを実感できる作品だったと思う。

参考文献・媒体 『ヒットソングを創った男たち~歌謡曲黄金時代の仕掛人』 濱口英樹(シンコーミュージック 2018年) 『筒美京平大ヒットメーカーの秘密』近田春夫(文春新書 2021年) 『1984年の歌謡曲』スージー鈴木(イースト新書 2017年) 『ニッポンの編曲家 歌謡曲/ニューミュージック時代を支えたアレンジャーたち』川瀬泰雄、吉田格、梶田昌史、田渕浩久(DU BOOKS 2016年) 『中原理恵「東京ららばい」のアレンジを彩っていたサンタ・エスメラルダのフレーバー』佐藤剛(Web「TAP the POP」)

カタリベ: 松林建

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