ジュリーが愛した田中裕子。80年代 最も妖艶な女優が歌手デビュー!  不思議な魅力に溢れる女優・田中裕子、沢田研二プロデュースで歌手としても活躍

思わず納得? 沢田研二と田中裕子の組み合わせ

1982年公開『男はつらいよ 花も嵐も寅次郎』での共演がきっかけで、恋に落ちた沢田研二と田中裕子。翌年夏には、二人の交際が週刊誌やワイドショーに取り沙汰され、マスコミは大騒ぎだった。

ドラマや映画で多くの女優と共演し、濃厚なラブシーンも繰り広げてきたジュリー。芸能人にもファンが多いと聞くし、あの美しさだもの、モテたことは間違いない。だが、ジュリーがどこぞの女優や歌手とあやしいといった噂話は、それまで一切耳に入ってこなかった。

そんなジュリーが田中裕子と…… と聞いて、当時の妻であったザ・ピーナッツ伊藤エミには悪いが、妙に納得してしまった。80年代の田中裕子、なんとも妖しい不思議な魅力に溢れている女優だったから。

長谷川町子から「天城越え」の娼婦、さらにはサントリーのタコハイCMも

1979年放送のNHK連続テレビ小説『マー姉ちゃん』に、ヒロインの妹役でデビューした田中。マンガ家の長谷川町子をモデルにした快活なマチ子を演じていたときは、「この人、顔は地味だけど演技うまいなぁ」くらいしか思わなかった。それが、81年放送のドラマ『想い出づくり。』(TBS系)で「え? これがあのマチ子?」となった。

ちょっとけだるさがあって、時折なんとも色っぽい。一重にも見える重たい奥二重まぶたで、色気や切なさが増しているようにも思え、美人女優はぱっちり二重と思い込んでいた私にちょっとした衝撃を与えた。

その後も、『ええじゃないか』(1981年)、『ザ・レイプ』(1982年)、『天城越え』(1983年)など、話題の映画作品に次々と出演。同83年には、NHK連続テレビ小説『おしん』でヒロインの青春期を演じたことで、お茶の間にも浸透した。

田中裕子といえば、「タコなのよ、タコ。タコが言うのよ」のサントリーのCMを思い出す中高年も多いのでは。あれも彼女の妖艶さがあるからこそ、印象深いCMになったのではないだろうか。

プロデューサー・ジュリーと揃って「夜ヒット」にも出演

あまりヒットはしなかったが、1986年には歌手デビューもしている。プロデュースはジュリー。田中とジュリー、二人揃って『夜のヒットスタジオ』に出演したこともあった。不倫しているカップルが番組に出るって、今ならネットで叩かれまくるだろうし、芸能活動も途絶えかねない。80年代の頃は倫理観が今より大らかというか、寛容だったのだろう。

司会の芳村真理に田中の魅力を聞かれたジュリー、「いろんな面を持っている。お芝居でもいろんな役をさらりとこなされる」と答えている。歌っている田中、曲の世界観にどっぷりハマるその姿は、これぞ女優。ジュリーが彼女に提供した曲も、歌唱力より、演技力や表現力が要求される曲といった印象を受けた。

女優・田中裕子の一番のファンはジュリー?

前妻は、芸能界引退後すぐにジュリーと結婚。実質 “寿引退” だったと聞いたので、田中はどうするのだろうと思ったが、1989年に結婚した後も女優業をセーブすることはなかった。ジュリーこそ、女優・田中裕子の一番のファンであったからこそ、彼女に続けてほしかったのではないか。

そういえば、二人は寅さん共演が初対面ではないらしい。1982年に開催されたザ・タイガース再結成時コンサートで、花束を渡してくれる役が田中だったと、週刊文春で不定期連載中のノンフィクション「ジュリーがいた」に書かれていた。ジュリー、「サザエさんやってる子がいい」と彼女を指名したらしい。

2021年に公開された山田洋次監督作品『キネマの神様』で、志村けんの代役をやったジュリー。志村への友情から出演したことは間違いないが、寅さんで最愛の人と結びつけてくれた山田監督への感謝もあったのでは…… というのは、考えすぎだろうか。

カタリベ: 平マリアンヌ

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