西岡剛の価値観を変えた栃木での出会い 大切にしたい「人と人として」の付き合い

福岡北九州フェニックスの初代監督を務める西岡剛【写真:福谷佑介】

華やかな舞台を離れて独立リーグへ「前よりも楽しそうって、よく言われる」

4歳から野球を始め、2002年ドラフト1位でロッテに入団して以来、プロ20年目。西岡剛は今季、ヤマエ久野九州アジアリーグに新加入した新球団「福岡北九州フェニックス」で選手兼任監督を務める。ロッテでは首位打者や盗塁王のタイトルを獲得し、2010年に日本シリーズ制覇。2006年には日本代表として第1回WBCで世界一を経験した。華々しいキャリアの絶頂だった頃、独立リーグで選手兼任監督を務める今の姿は、もちろん頭をかすめもしなかった。

2018年に阪神を戦力外となった後、ルートインBCリーグの栃木で3年間プレーした。当初目指していたNPB復帰は叶わず。「僕はどちらかというとプロや球界で上手く橋を渡れなかった人」とは言うが、独立リーグを主戦場とするようになった西岡は以前よりも楽しそうに野球を語る。選手兼任監督として新しい挑戦に乗り出す今も、「自信はない。失敗しまくろうと思っています」と楽しそうだ。

「前よりも楽しそうに見えるって、よく言われるんですよ。若い時、僕のモチベーションはいい車に乗ったり、いい服を着たり、大きい家に住んだり、ということでした。でも、それがある程度できた時に思ったのが、その結果として僕の中に何か残ったのかな、ということ。何も残ってないんじゃないかなって」

独立リーグでの収入は、億を超える年俸を稼いでいたNPBやMLB時代とは比にならない。新幹線やチャーター機だった移動はバスとなり、遠征地での宿泊は3つ星ホテルからビジネスホテルに変わった。それでも毎日が充実し、野球ができる事実がうれしい。

即物的な思考だった西岡を変えたのは、栃木で応援してくれた地元住民との出会いにある。

3年を過ごした栃木では、球団を支えてくれる地元の人々と「選手とファン」という枠組みを超えた交流が生まれた。シーズン中は栃木に腰を据える西岡夫妻を温かく迎え入れ、時には人生の先輩たちが思い悩む西岡にアドバイス。「地元の方々が人と人として接してくれる。栃木に行かなければなかった出会い。野球が引き合わせてくれる出会いを大切にしたいなと思います」と感謝しかない。

福岡北九州フェニックスの初代監督を務める西岡剛【写真:本人提供】

「まずは、地域の小学校や中学校で野球をする子どもたちと会いたい」

今回、北九州のオファーを受けた背景には「野球を通じていろいろな街に行き、いろいろな人に出会いたい」という想いも隠されている。産声を上げたばかりの新球団が、誰よりも地元の人々に愛されるチームになることを願い、積極的に地域交流を図っていく予定だ。

「まずは、地域の小学校や中学校で野球をする子どもたちと会いたいですね。選手を一緒に連れていって、野球教室やクリニックを開くこともできる。野球を未来へ繋ぐためにも、そういった活動をしていきたいですね」

選手兼任監督が西岡剛、球団を創設したのが“ホリエモン”こと堀江貴文氏。話題性のある組み合わせだけに、全国的な注目は高く、3月19日のシーズン開幕戦には多くの来場者が期待できるかもしれない。だが、大事にしたいのは一過性の話題ではなく、継続的なサポートだ。

「栃木の時はチームが拠点を置く小山市の方々が本当によく協力してくれたり、球場まで応援しにきてくれました。試合を見に来て楽しい時間を過ごすと、その経験が近くの知り合いや親戚に口コミで伝わり、応援の輪がどんどん広がった。やはりベースとなって支えてくれるのは地元の方々。遠くから応援に来てくださる方も有難いけれど、どうしても瞬間最大風速になってしまう。だから、開幕戦から3000人、5000人と集まらず、100人でも200人でもいいと思っています。そこから少しずつ増えて、3か月後には500人、シーズンが終わる頃には1000人となるような球団にしていきたいと思います」

北九州ではどんな交流が待っているのか。西岡はすでに心躍らせている。(佐藤直子 / Naoko Sato)

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