<心新たに 2022年春・3>ヨット 樋口波瑚(長崎工高→明大) 未経験から日本一へ 人生変わった3年間

思い出の場所の一つ科学室。「みんなや先生がいたから楽しかった」と振り返る樋口=長崎市、長崎工高

 「あっという間」の3年間だった。知らなかったヨットに出合えたこと、コロナ禍でも前向きに取り組み、最後のインターハイで日本一になれたこと…。たくさんの思い出がよみがえる中、そのすべてに共通しているのは「みんなや先生がいたから楽しかった」。長崎工のスキッパー樋口波瑚は、何度もそう繰り返しながら笑った。
 小中学時代はバスケットボールをしながら、漠然と「海外の勉強をしたい」と考えていた。思いが変わったのは中学3年の夏。長崎工に通う二つ上の幼なじみから誘われてヨット体験に参加した際、海の壮大さに心が動いた。「気持ち良かった。高校の部活でこんなことができるんだとわくわくした。それからはヨットのことしか頭になかった」
 そんな素直で、前向きな姿勢が成長を促した。三嶋由之監督は「余計な情報や考えを持たず、海に出ると伸び伸び、生き生きと走っていた。経験がなくてもキャリアのある相手に勝てるのが高校のヨット。期待以上の成果を出してくれた」と目を細める。
 もちろん、それは恩師の指導や仲間、卒業生らの「多くの支えがあったから」。三嶋監督が撮影した海上練習の映像を昼食を取りながら科学室で見た日々は、イメージをつかむ上で大切な積み重ねになった。実績があるOGたちにオンラインで助言を求めるなど、コロナ禍になっても「みんなで話し合って無駄なく過ごせた」。
 チームの主将として迎えた高校最後の夏。根付いていたのは「勝てるという強い気持ち」だった。それが優勝できた「一番の要因」だった。卒業後の進路も、家族は関東の大学への進学に難色を示していたが「絶対に勝つから、日本一になったら行かせて」と伝えて有言実行した。体調不良の中でも「今までで一番の走りができた」。得意の風域でレースを進め、もう1艇のチームメートと金、銀メダルを独占した。

インターハイ女子420級で長崎工A艇を日本一に導いた樋口(左)=和歌山市、和歌山セーリングセンター沖

 大学でも日本一を目標に掲げる。その上で思い描いている夢がある。「五輪出場」と「長崎に戻ってヨットの楽しさを伝えること」だ。どちらも3年前は想像もしていなかった。「壁は高いけれど、もっと上へチャレンジしたい思いがある」
 あっという間で、人生が大きく変わった3年間だった。


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