「虹で地震予知」考え50年以上、気象を記録 京都・宮津の椋平さん資料、郷土資料館が収集

特殊な器具で虹を観測する椋平さん(府立丹後郷土資料館提供)

 虹の観測による地震予知を考え、かつて全国的に知られた京都府宮津市出身の研究者椋平広吉さんに関する資料を、府立丹後郷土資料館(同市国分)が集めている。予知に科学的な裏付けは無く、地元からも忘れられつつあるが、同館の青江智洋学芸員は「半世紀以上にわたって気象を記録したなど、椋平さんの逸話を多くの人に伝えていければ」と話す。

 椋平さんは1903年生まれ、11歳で地震予知に興味を持った。地震と虹を太陽の放射エネルギーによるものととらえ、地元漁師らに「日の粉」と呼ばれていた短冊状の虹が、地震の発生に関係していると推測。毎日2時間おきに虹の角度や位置、濃淡、現れる時間を記録し、地震の規模や場所を予測するようになった。

 30年11月の北伊豆地震の前日、京都大の教授に地震発生を予知する電報を打ち、新聞に取り上げられ全国的に注目された。その後も立て続けに地震を予測したが、76年、予知を周囲に伝える際に使っていたはがきの消印をでっち上げたと報道で追及された。以後は、周囲から人が離れていったが、92年に亡くなるまで欠かさず記録を続けた。

 椋平さんの予知は地震の専門家に長年研究されてきたが、科学的な根拠は得られていない。一方、丹後出身で京都大防災研究所長も務めた田中寅夫さんが、地震研究に進んだ遠因に椋平さんの存在を挙げるなど、地震予知の分野に影響を与えている。小説家新田次郎の作品「虹の人」のモデルにもなっており、青江さんは「エピソードには文化的価値もある」と話している。

 同資料館は昨年12月に関係者から資料の提供を受け、4日まで行われた企画展では湯川秀樹博士との交流や、郷土史家としての一面も紹介した。

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