【選挙制度考5】石原慎太郎と堺屋太一の遺産と地方自治の未来(歴史家・評論家 八幡和郎)

石原慎太郎とが堺屋太一がライバル同士だったというとピンとこない人が多いだろうが、生まれも石原が1932年で堺屋がその三歳下、大学は一橋大学と東京大学、二人とも作家であり政治家であり、石原が東京都知事に対して堺屋は大阪で橋下徹を支援して「維新」の誕生を助けた。

 堺屋は1998年に経済企画庁長官を務めたのに対して、石原は堺屋が閣僚だった1999年に東京都知事に当選した。堺屋は選挙に出馬したことはないが、福田赳夫内閣の1977年の参議院選挙に自民党の大平正芳幹事長から全国区での出馬を勧められたが断っているが、大阪からということなら受けたのでなかったかと思う。

 その後、太田房江が知事になった2000年の選挙のときには、閣僚でなかったら出馬したかったはずだ。もしそれが実現していたら、石原と堺屋が東西の知事だったわけで面白い競争が繰り広げられたことだろう。

 その意味でも、この二人の国土観とか地方制度論を対比できれば面白いのだが、石原はあまり国土観や地方制度論を語ったことはない。

 ただ、運輸大臣だった1987年ごろには、リニア新幹線の早期実現に熱心で実験線を宮崎から山梨に移し実用規模での実験をできるように差配した。リニア新幹線で東京から大阪まで一体的な都市のように運営することを考えていたようだし、1990年代の初めに首都機能等移転についての法律が成立したときにも賛成していたのだが、東京都知事になると反対に転じ(もともと賛成でなかったとか、国会での議決の時には反対の気持ちを中腰でしか起立せず表現したとか言ったが、普通に起立して一る映像が残っている)、大阪都構想にも反対した。

  とはいえ、石原自身のルーツは愛媛県の大洲とか八幡浜だし、生まれは小池百合子知事と同様に兵庫県だ。なにしろ、歴代の東京都知事では、美濃部亮吉も父親の出身地は兵庫であるから、三人もが兵庫県から出ていることになるし、安井誠一郎は岡山、東龍太郎は大阪出身だというのが面白い。

近代日本の遷都と地方制度成立の背景

 このシリーズでは、前四回では、現在の地方区分などを前提に、選挙制度を抜本的に見直すべきだとという議論を展開してきたが、もう少し幅を拡げて、民主主義がより機能するためには、どのような地方制度、選挙制度であるべきか、最後の二回において論じたい。

 今回は首都機能と地方制度、次回は国の統治機構である。

  前者については、最近、「世界史が面白くなる首都誕生の謎」 (知恵の森文庫)という本を書いたので、そのなかで論じたことの要約を書いておく。

 近代日本の地方制度は、明治4年の廃藩置県によって府県制度が成立し、明治21年に香川県が愛媛県から分離することで47都道府県のもとになる区分が確定し、その翌年に市町村制度が発足した。だいたいナポレオンによって確立されたフランスの制度をなぞったものだった。

  ただし、都道府県はもともと内務省の地方組織で自治体とはいいがたかったが、市町村は、江戸時代以来の自治組織だったムラを数個まとめたものが出発点だし、最初から地方自治が行われていた。ただし、首長は基本的には議会で選ばれていた。

 戦後になると、都道府県も自治体らしくなり、首長は都道府県も市町村長も直接選挙で選ばれるようになった。

 都道府県の方は、最初と比べて、微修正と東京府が東京都になっただけしか変わっていないので、人口の差が極端になってきている。

 市町村は当初は13000ほどあったのが、合併が進み、とくに戦後には3000余りに集約され、平成の大合併があって、2021年4月1日現在では1747である。ただ、これは自主的な合併の結果であるので、統一的な考えかたによる区分からはほど遠くなっている。

 また、江戸時代の首都機能は、三都といわれるように、帝都である京都、行政・軍事の中心である江戸、経済の心臓部である大阪に分かれていたが、江戸からそうした機能を奪うと東日本全般の衰微を招き、離反の原因にもなるとして、東京に天皇も移り、京都は即位礼などが行われる儀典都市となり、大阪は引き続き経済の中心だった。

 ところが、戦争を経て京都の儀典都市としての機能は廃止され、経済も東京一極集中が止まらず、国土の不均衡は極端なものになっており、その 是正が常に語られるが、なにも効果的な対策は取られていない。

首都移転と地方制度見直しの具体案を提案する

 それでは、どうすればいいかということで堺屋太一や私たちは首都機能移転とか、道州制を唱えてきたのだが、あらためて、それを現時点の状況に合うようにまとめると以下のようなことだと思う。

1国会・政府の中枢は、人口重心にも近く、中央リニア新幹線沿線の畿央高原(三重県伊賀地区を中心とする地域)の新行政首都を置く。ただし、西ドイツの旧首都ボンにおけるように中規模の都市にとどめ、京阪神や名古屋都市圏の機能を活用して、都心部は賃貸住宅のみにとするなど永住者を排除して人口の増加を抑え込む。

2東濃地区など他の駅の周辺などは、中央省庁分散の受け皿とする。やはり首都機能移転候補地だった那須地区は最高裁判所や独立委員会など準司法機関を集中させるなど第二行政首都とする。

3中央省庁の組織を見直し、国家公務員の半数程度は8~10の道州に移行させる。都道府県と市町村は300~400の基礎自治体に再編にして財政基盤を保証し、生活基盤の整備はこれにまかせる。現在の都道府県は基礎自治体の連合組織としてのみ残すが、プロパー職員は採用せず出向者のみで構成し、議員は基礎自体体の議員の互選とする。また、自治体首長は、ヨーロッパ各国のような議院内閣制がこのましいかは要検討。

4現皇居を公式の宮殿として引き続き使用し、京都御所を即位礼を含む伝統的儀典の場として再構築するが、新行政首都にも小規模な御所を設け、那須御用邸などの既存施設も活かして活動を分散させる。

5首都機能の移転と地方制度の刷新は、20年程度の期間をかけて段階的に行うことで混乱を回避する。

 ひとつのポイントは都道府県とか市町村の自主的な合併などにきたいすることでは、規模や性格がばらばらになり、自治体として機能しないので、このあたりで、いちど、廃藩置県に近い再編成が必要だという視点である。希望すれば、国家公務員は国か道州に、都道府県と市町村の職員は、新しい基礎自体体のどこかに採用されるし、実施はかなりの先の話だから、不安をもたらすものではない。

 また、ほどよく、民間に移る人も民間から採用される人も出ていい刺激になる。

 いずれにせよ、このくらいの改革をすれば、地方自治は活性化するし、一極集中も解消するはずだ。

  首都移転より道州制という人もいるが、公務員の地方分散策という意味はあるが、むしろ、財政力のある東京が属する道州への人口集中が進み、制度も東京の制度を全国が押しつけられるようになる危険性がある。そもそも、首都が最大都市である国では分権が分散につながるのは希である。道州制は首都機能移転や大胆な分散と一緒でこそはじめて効果を発揮する者だと思う。

一方、首都機能中枢は東京に留めるが、個別機能を分散する提案もあり、竹下内閣では一省庁一機関の移転が決まった。だが、どの機関を移転対象とするか、どこへ移転するかを、各省庁にまかせ、東京23区外ならどこでもいいということにしたので、川崎、さいたま、幕張などへの移転でお茶を肥濁すことで終わった。同時期にフランスで重要な機関の全国各地への大規模な地方移転が実現したのと好対照だった。

 安倍内閣になって再びこの問題が取り上げられ、とりあえず、京都への文化庁の移転が決まり、今後に少し希望が持てるようになったが、キャリア国家公務員のうち半分くらいを東京から出すくらいの目標があってしかるべきであろう。

 道州制については、公務員の地方分散策という意味はあるが、むしろ、財政力のある東京が属する道州への人口集中が進み、制度も東京の制度を全国が押しつけられるようになる危険性がある。そもそも、首都が最大都市である国では分権が分散につながるのは希である。道州制は首都機能移転と一緒でこそ効果を発揮する。

 大阪都構想は、京都も含めた他地域との連携を図らないと賛同を得られまい。私は大阪は西日本センターとしての機能の受け皿がもっとも相応しいと思う。つまり、東京一極集中は災害やテロ、システム障害などで東京が機能しなくなったときに備え、西日本までダウンさせないことと、一時的に日本の中心機能を引き受けるように準備するべきなのだ。

 現実にNHKなどは大阪で全国への放送をとりあえずは出来るように整備しつつあるし、東海道新幹線の管制も同様だ。民間企業でもそういう体制をとっているところも多いが、これは拡大しておいたほうがいい。怖いのは地震だけでないのだ。

 一方、首都機能中枢を東京においたままでの首都機能分散なら、京都こそもっとも現実的だ。かつて、鈴木俊一東京都知事も最高裁の京都移転を提唱していたが、公務員でも京都への移転は大阪より遥かに受け入れやすいし、全国の人も京都の役所を訪れたり、会議に参加することは歓迎する。

 現実に大阪に転勤なら単身赴任だが京都なら家族も一緒とか、老後でも京都に終の住まいを置いたら東京からでも家族がよく来てくれるという人は多い。それに、緊急事態のときに大阪のホテルのホテルは民間が使うから、臨時の国会議事堂や各省庁として使うのは観光客を止めればいいだけの京都のほうが好都合なのである。

 一方、一般的な機能移転や地方分散については、私は数値目標がないのが致命的だと思う。目標数字が示されない政策などありえないが、地方分散策は常にそうなのだ。目標を達成できなかったら規制などを強化すればいいのだ。

 また、西日本や日本海側の人口が減ることは、防衛上も危機的だ。東アジアから数百万人以上が押し寄せたら、これら海岸地帯は容易に占拠されかねない。

  そういう幅広い視点から、国土政策は考えて欲しいし、そのためにも、世界の首都がどうなっているのか、東京と地方の関係について、日本で当たり前と思っていることが、国際常識とは限らないといったことも、知ってもらおうというのが本書を書いた意図である。

 二年前に亡くなった堺屋太一氏は、会うといつも、「いつか首都移転、また本気でやろうな」と最後まで仰っていたし、最近、豊橋市を訪れて戦後の遷都議論を牽引した村田敬次郎氏の関係者といろいろお話しする機会があったことも、本書を書こうと思った動機のひとつである。

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