「映画イラストレーター宮崎祐治 調布映画地図展」記念トーク 宮崎祐治 × 金子修介 監督

__映画映像産業の集積する街「調布」では、毎年「映画のまち調布シネマフェスティバル」と銘打って、映画人にスポッティングする映画祭を催している。
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今年の映画祭では、調布市で生まれ育った映画イラストレータ宮崎祐治さんの展覧会「映画イラストレーター宮崎祐治 調布映画地図展」の開催を記念して、彼の高校時代の同級生で映画監督の金子修介さんとのトークイベントからエピソードをいくつか__

宮崎さんは、学生時代から40年以上にわたって、国内外の俳優陣の似顔絵や映画のワンシーンの特徴を捉え、映画ファンなら絵を見れば「あぁ、あのイラスト、、」と少しニコッとすることでしょう。あふるる映画愛をユーモアある画調で共感させてくれます。

この展覧会では、調布で撮影された映画を、エリアエリアでイラストでまとめた本『調布映画地図』の描き下ろしを中心に展示。

このトークイベントでは、高校時代のふたりの出会いからが、思い出深く、エピソード楽しく、そして秘蔵品をスクリーンに投影しながら語られました。

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都立三鷹高等学校での、ふたりの出会い___

宮崎 金子監督は生徒会長で、僕はサッカー部なんでちょっと距離はあったかも。そんなに仲良しではなかったけど(笑)。映画という共通の話題がふたりともあったので。こういうときには金子監督にお願いするという。申し訳ないんですけれど。

金子 当時から三鷹高校のサッカー部は強かったとか?

宮崎 全然。僕のときは都でベスト8に1回だけ。今は中高一緒になっちゃったんで、大きな学校になって、全国大会に2回も行ったというのが信じられなくて。

金子 一年生のときに(三)鷹高の学校新聞で、宮崎くんも編集委員でしたよね。それで、宮崎くんの記事が、少年漫画よどこへ行くっていうの覚えてる?

宮崎 もちろん。

金子 それは漫画かなにか。

宮崎 それで、三無主義の話をかいて_

金子 いきなりですけど、スライドがあるんですけど。見せてもらえますかね。

宮崎 昔、ガリ版で作っていた。

金子 これこれ。昨日見つけたんですけれど。当時はね、学生運動が下火になって、無気力、無責任、無関心の三無主義がはびこっていたんで。それと戦うという気持ちでいました。だけどこの漫画の中では、三無主義の怪物にアトムが食べられちゃって、四無になったという。そういうオチです。こういう新聞を作っていたときに、宮崎くんとお話したということ。

宮崎 その頃から金子監督は、文章を書いていて。大学になってからかな。キネ旬(キネマ旬報)に読者の映画批評みたいなものを載せていたんです。だから「やるなぁ」って思った。僕なんか映画は好きだけれどそういう風に読み込んだりはできなかったから。「生徒会長の金子がキネ旬に出ている」というのがちょっとうらやましかった。僕とは分野が違う同じ三鷹高校生というか。

金子 1年のときは全然クラスちがったけど。文化祭に向けてのクラスの出し物として8mm映画を提案して。それがクラス決議で通って、自分で脚本書いて。まだ8mm映画というかカメラを初めて触るくらいだけど撮ったんですよ。それがその、ちょっと前に戻ってもらって。台本の表紙があるんですが「虚構の青春」っていう仮題で。最終的には「斜面」に変わって。盗癖のある主人公がクラスの好きな女の子の体操服を盗んじゃって、それを返しに行ったら女の子から軽蔑されて学校から去ると、友達が井の頭公園まで追いかけてきて。喧嘩して、彼もまた去っていくという。戻ってきた友達がスロープに置いてあるボールをける、これが「斜面」というオチです。

宮崎 なにか賞をとってたよね?

金子 全都高校8mmフェスティバルっていうのがあったんですよ。プロっぽい撮り方だねって言われたのがうれしかった。当時書いた絵コンテがここにあるんですけど。右のページは喧嘩しているシーン。ほかにもいろいろ。財布を盗んでいるところとか。コーラを飲んでいるんだけど撮影のときにはビンじゃなくて缶にした。そんな絵コンテです。こういうのを1年のときにやっておりまして、2年のときにもクラスで映画を。

宮崎 3年のときにもやったんじゃなかった?

金子 3年のときにはもうクラス単位じゃなくて、「たまねぎくらぶ」っていうプロダクションを作ったの。「にんじんくらぶ」っていうのが昔あったじゃないですか。小林正樹監督の、あの「怪談」とか作ってた。そのまね。1年生のときにクラスをまとめようと作っていながら、やはり参加したくない人もいるわけ。それでそん中の多くの人は体育会の招待試合があるから参加したくないって。

宮崎 僕らのクラスから見たらうらやましかったけどな。

金子 運動部からすれば、これで試合に出られないってことが恨めしかったというか。生徒会長になったときに、文化祭における体育会の招待試合を中止にするっていうマニフェストを出したんですよ。

宮崎 それは知らなかった。

金子 そこからすごい攻撃にあったんです(笑)。いったん決議したんですけどやっぱり反対にあいましてね。結局だめでした。そのとき結構ね、いろんなバッシングをされて。トイレ(の落書き)で殺害予告もされたりね(笑)。

宮崎 僕は、映画観るのが好きだと心から感じたは高校2年から。三鷹高校で映画で、というと大概の人が三鷹オスカーで見たんですかと聞かれるんです。でも僕らのときはまだそこは三鷹東映だったんですよね。三鷹文化っていう映画館がもうひとつあって。そこはよく3本立てでやってましたね。半分は洋画のピンク映画だったんですけれど。日本映画のいいやつもやってたんで、よく通っていた記憶があります。

金子 僕も三鷹文化は当然行ってますよ。ロマンポルノは見てないですけど。ロマンポルノを始めてみたのは大学のほぼ最終学年くらい。もしかして、(宮崎くんは)高校のときから見てた?

宮崎 いやいや(笑)。まだ、18歳前ですから。

金子 僕は、吉祥寺で「クリシーの静かな日々」を観たのが最初ですね(笑)。そのほか高校のときは、政治集会みたいなのに参加して、大学の先輩の演説で深作欣二監督が自分でお金をあつめて「軍旗はためく下に」っていう映画を自主制作したというのを聞いたんです。そこで深作欣二という名前を覚えて。それであの「仁義なき戦い」というのが三鷹東映で始まったから見に行ったのがそのころ。それがすごい衝撃で、それ以降、深作欣二監督をずっと尊敬しているんですけど。宮崎くんはどう?

宮崎 それは、夢中になるといえば公開された「ウェスト・サイド物語」というのを。同級生の女の子に、それがリバイバルでやるのになんで観に行かないのか、と訴えられたのがきっかけ。あれがいちばん衝撃的だったかな。朝から晩まで、昔は一度座ればずーっと観てられたんですけど。一日ずっと観てましたよね。こんなに映画っておもしろいんだって思ったのが「ウェスト・サイド・ストーリー」だから。今度スピルバーグ監督がどう作るのか、どれほどすばらしいのかを確認したいですね。

金子 それはどこで観たの?

宮崎 日比谷劇場。

金子 そのあたりってね、黒人ばかりの学校に白人が転校するっていう話「怒りを胸に振り返れ!」っていう映画を観に行って。そのときに短編でついてきた「ウェスト・サイド物語」はじめ、いくつかのミュージカルを紹介してたんです。そっちのほうが強烈だったような。リバイバルの宣伝だったんでしょうけどね。

宮崎 まったくそのとおり。「ウェスト・サイド物語」ってものすごいオープニングが長いんだけれども。アニメーションだけみたいな。いまでも印象に残っています。

大学時代の話にいつしか移り_

金子 そんなこんなだけどあの、大学は教員養成の(東京)学芸大学ってところに入りました。なぜなら映画に行きたかったんだけど、行けない可能性のほうが高いから、保険のつもりで。安定して教師になろうという思考経路だったわけ。やはり、現役で国立大学に行かなければならないというプレッシャーがあった。学費がいまより全然違いますからね。国立と私立では。で、私立の日大芸術学部にも合格したんですけれど。とても学費をまかなえないと考えて、学芸大学に進学したんです。ちょっとかいつまんでいくとそんなですけれど。

宮崎 でも、大学は行ってたけれど金子監督は毎年1本くらいのペースで(映画を)撮っていたものね。僕は武蔵野美術大学なんで、金子監督に呼ばれてタイトルバックをやらないかと。学芸大の映研に行って文字を書いてそれを撮影してもらうみたいな。そんな仕事を1回やらせていただきましたよ。

金子 そうそう。プリズムタワーって映画でした。

宮崎 今はタイトルをかんたんに入れられますけれど。8mm映画のときは実際に撮影しないといけなかった。まだ未熟だったから。そういうので金子監督の中に僕の仕事が入っているんです。実は、32歳のときに自主映画を作りまして。池袋のル・ピリエってところで上映しなくちゃいけなくて。映画って上映しないと映画じゃないですから。3日だけ上映したんですが、ちょっとだけ応援上映っていって金子監督の作品「貝の季節」をただで貸してもらって。僕の映画は40分しかなくて足りないから、金子監督の力を借りてというか。1本フィルムを回せる形にできたんです。

金子 「貝の季節」は大学2年のときに撮った45分のものですね。五月病になっちゃって、それで昔のことを思い出すという。高校のころを思い出すという場面を三鷹高校に撮りに行きました。

宮崎 いちばん覚えているのが、カメラを据えてあって、女の子が階段を降りていくとハイスピードみたいにスカートの部分をカメラが追いかけていくような。そのシーンが印象に残っています。高校のときにもこんなシーン撮ってたなって。すごくそれがそのあとのロマンポルノにつながるかなと。記憶違いかもしれないけど。

金子 それは本当に、今思い返すと女子を撮るのと男子を撮るのだと気持ちがちがいますから(笑)。

宮崎 「ガメラ」も「デスノート」も金子監督の傑作だと思っていますが。僕は金子監督がデビューしたころの、ふしぎなコメディーというか。短編のころはテンポが独特。

金子 お笑いロマンポルノみたいなね。

宮崎 今でも思うんだけど、編集のことをよく考えて撮られてるな、と。金子監督は学芸大のときに押井守と先輩後輩の間柄で。それも羨ましいなと思っているんです。

金子 そうですね。大学に入ったら映研に入ろうって決意したのに、いつも部室の鍵が閉まっているんです。で、聞いたら押井さんという人が鍵を持っているから連絡してやるよ、と待っていたら押井守が現れて。「映研は2人しかいないから3人めだ」と聞きました(笑)。大学のそばの喫茶店に行ったときに現れたもうひとりの先輩が「おう押井、ブニュエル観たぜ」って。これは「ブルジョワジーの密かな楽しみ」のことなんですね。これをブニュエル観たぜって言ってしまうあたりが映研まんまですよね(笑)。そこからは押井さんとは延々と映画の話ばかりしていたんです。彼はそのとき5年生だったんですよ。僕は1年生で。そんな関係でいたということですね。「貝の季節」にも協力で入ってくれています。

宮崎 「花束みたいな恋をした」で伝説的な存在として押井守の名前が出てくるんですけど。よくそういう作品に使ったなっていうのがおもしろかったですね。

金子 きっと、サブカルチャーのシンボルみたいなものなんでしょうね。お互いサブカルチャーを愛する者同士の恋愛にうまくハマった。

金子監督の日活助監督試験の話題に_

宮崎 まあ、就職する段階になって金子監督が日活に行ったんですよね。

金子 助監督試験ってやつです。

宮崎 そこに映写機を持っていって試験を受けたという話も面白い話で。

金子 今にしては唯一の自慢というかね。300人中2人の合格者ですから。学科は8番だったんです。もっと目立たなきゃいけないということで、8ミリ映写機を持って自宅から試験会場である調布の日活撮影所に三鷹から深大寺の坂を降って持っていったんです。自分の作品を映写しようとしたら、会場がとても明るくてですね。映らない。暗幕もない、ということでこれは上映できませんと言われました。でも態度がおもしろいと。熱意がよかったと言ってくれて。あとから「金子が圧倒的に目立ってた」と(プロデューサーの)結城良煕さんにも言われました。

宮崎 金子監督は住所が三鷹なんで、自転車で坂を登ってた時期もあるでしょう。

金子 僕は渋谷区初台生まれですけど。小学校5年のときに三鷹に引っ越したわけ。小学校6年のときにバスで仙川に行き仙川から京王線で初台に行くという通学をして、自転車で三鷹から三鷹高校へ、大学も小金井の学芸大学まで自転車で通ってましたし。日活も調布なんで自転車で深大寺の坂を上り下りするという。

宮崎 あの坂を金子監督が上り下りしているっていうね、ビジュアルがすごい金子監督らしいなと。結構きつい坂なのに。イメージだから本当はどうだかわからないですけど。この人はこういうところが好きって感じですね。

金子 入社した年の4月から12月までは自転車だけど、それ以降は、先輩の「ビー・バップ・ハイスクール」を撮られた那須博之さんに、那須さんは深作欣二監督の次に僕が影響を与えてもらった監督なんですが。舎弟みたいなものなんでバイクの乗り方教えてもらって。譲ってくれるかと思えばそうではなくて(笑)。中古屋で5万で買いました。それ以降はバイクで通ってました。那須さんが吉祥寺に住んでたんで、バイクで一緒に深大寺の坂を駆け上がって、那須さんが吉祥寺の方向に抜けていくとき「じゃあな」って消えて行ってたのを思い出すと、那須さんは早く亡くなったんで、泣けてくるものです。

トークイベント:2022年2月13日、調布市文化会館たづくり内会場にて

プロフィール 宮崎祐治

1955年東京都調布市生まれ。武蔵野美術大学デザイン科卒。在学中から、映画のイラストレーションを『キネマ旬報』や旧・文芸坐などで描く。ディレクターとしてCMの企画・演出、『世界の車窓から』などのテレビ番組の演出をする傍ら、映画のイラストレーターを続ける。2016年日本映画ペンクラブ奨励賞受賞。2019年国立映画アーカイブで展覧会「映画イラストレーター宮崎祐治の仕事」が催された。著書に『東京映画地図』(キネマ旬報社・2016年)『鎌倉映画地図』(鎌倉市川喜多映画記念館・2017年)など。

プロフィール 金子修介

1955年6月8日 東京・渋谷区初台生まれ 都立三鷹高校1年(71年)の時にクラスメートと8ミリ映画を制作し、映画監督を志す。
東京学芸大学小学校教員養成課程卒業後、78年助監督として日活に入社。84年『宇能鴻一郎の濡れて打つ』で監督デビュー。

展示会概要

開催日時:
2022年2月11日(金) 〜 3月27日(日)
10:00~18:00

会場:調布市文化会館たづくり展示室
料金:無料
トークイベント:
2月13日(日)14:00~15:30

「調布映画地図」 会場にて発売中!

映画祭公式WEB: https://chofucinemafestival.com

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イベント詳細:https://www.chofu-culture-community.org/events/archives/7691](https://chofucinemafestival.com)

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