東日本大震災から11年、「猫島」のいま 犬、馬、カバ、アザラシ…動物がつなぐ復興への希望

宮城県石巻市の田代島の港を歩く猫=1月

 東日本大震災では、人間だけでなく多くの動物も被災し、その後は飢えや寒さに苦しんだ。危機を乗り越えた動物たちは、「あの日」の記憶を11年後の私たちに伝え、復興の希望にもなっている。愛らしい猫や犬、馬、牛、カバ、アザラシ、カメ…ぬくもりをくれる動物たちと、見守る人々を訪ね歩いた。(共同通信仙台編集部)

 ▽復興をアシストした猫たち

 宮城県石巻市中心部からフェリーで約40分の距離に浮かぶ田代島は、約60人の島民よりも猫の数が多く「猫島」と呼ばれている。島猫たちは海が見える場所でうとうとしたり、遊んだりと気ままに過ごす。

 古くから猫を大漁の守り神として大切に扱い、島民が餌を与えてきた。

田代島の猫

 震災で島は震度6弱を観測し、大津波によって港や漁船が大きな被害を受けた。震災後の島の様子が報道などで伝わると、全国から寄付金やキャットフードが届いた。島の存在はSNSなどで広がり、国内外から多くの観光客も訪れるようになった。

 2020年には防潮堤も完成した。ただ、漁師の遠藤常雄さん(85)は「ようやく船や道具が元通りになったのに、コロナでウニもナマコも売れなくなった。観光客も減ったよ」とため息をつく。そこに白黒の小さな猫が通り掛かった。

 遠藤さんは、網にかかった「おこぼれ」のカレイを包丁でさばいて与えた。無我夢中で食べる姿を見ながら「もっと取ってやらんとな」とほほ笑んだ。

 ▽原発事故被災地で「仕事」に励む秋田犬

 

原発事故により一時避難指示区域となった福島県南相馬市小高区で、住民の癒やしとなっている秋田犬「大馬」=1月

 東京電力福島第1原発事故で一時避難指示区域となった福島県南相馬市小高区。帰還した住民らを癒やすアイドル的存在になっているのが雄の秋田犬・大馬(だいま)だ。

 小高区の避難指示が解除されたのは16年7月。しかし、住民の帰還は思うように進まず、せっかく育てた農作物などもイノシシに食べられた。そこへ21年春にやって来たのが生後約70日の大馬だった。「秋田犬の古里」である秋田県大館市から贈られた。

 現在は1歳を迎え、体は成犬とほぼ同じぐらいになった。先輩秋田犬サンボ(3歳)のまねをしながら、イノシシにほえて追い払ったり、おしっこでマーキングしたりと「仕事」に励む。来訪を心待ちにする住民はおやつを準備。散歩で通りがかるたびに癒やしを届けている。

 ▽奇跡の馬

 仙台市の海沿いにある「海岸公園馬術場」。金色のたてがみを持つ牝馬のキャンディは、震災の大津波を泳いで生き残った。

 

2011年3月12日の「海岸公園馬術場」。津波の襲来から一夜明け、周囲に水やがれきが残る中に、生き残った馬の姿があった

 あの日、激しい揺れが襲った後、木幡良彦所長(57)は55頭の馬たちを残して逃げるしかなかった。翌朝になって、馬を助けに向かったが、津波が止まった高速道路の周辺は、まだ深さ2メートルほどの水が残っていた。馬は泳ぎが得意だが、それでも死を覚悟して高速道路の近くを歩いていると、栗毛の馬がたたずんでいた。「キャンディ、生きていたのか!」

 「馬なんか捜してる場合か」と罵声を浴びながら、がれきや厩舎の中から計36頭を救い出した。かさ上げした同じ土地で馬術場の営業を再開したのは18年。キャンディらも避難先の乗馬クラブから戻ってきた。

 「無理せず一緒に頑張ろうな」。19歳のおばあちゃんになったキャンディの背中を、木幡さんは優しくさすった。

キャンディと木幡良彦さん=1月、仙台市の「海岸公園馬術場」

 ▽荒れ地を草原にする牛たち

 大きな体を揺らし、牛たちがかゆい場所のマッサージをおねだりしてくる。よだれまみれの舌でなめ、甘えたしぐさも見せる。原発事故の被災地に取り残された牛は、集められた福島県大熊町の帰還困難区域で、荒れてしまった農地を草原に変えてきた。

帰還困難区域内の放牧地で谷咲月さんにマッサージされ、気持ちよさそうな表情の牛=2月11日、福島県大熊町

 11年3月の事故直後、東京で会社員だった谷咲月さん(39)は、ニュースで家畜の餓死を知った。何とかしたいと思い立ち、福島入り。同年秋、雑草や木々が茂る農地に柵を張って牛を放す「もーもーガーデン」の構想を思い付いた。牛に農地を整えてもらい、景観美化や環境保全につなげる狙いだ。

 荒れた古里に心を痛めた地主から依頼され、放牧地は約7・5ヘクタールまで拡大。牛が整えた草原は、野生動物が人里に下りるのを防ぐ緩衝帯にもなっている。

 11頭の牛たちは「雑草だけでぷりっぷりの体格に育った」と谷さんが笑った。

 ▽父になったアザラシ

 

福島県いわき市の水族館「アクアマリンふくしま」からやってきたゴマフアザラシ「きぼう」=1月、青森市の浅虫水族館

 福島県いわき市の水族館「アクアマリンふくしま」が津波の被害を受けた際、中にいたゴマフアザラシ「くらら」は妊娠中だった。

 5日後に救出され、避難先の水族館で4月7日に無事出産。“命のリレー”で生まれ、「きぼう」と名付けられた。「復興の希望に」との願いが込められた名前通り、訪れた人々を笑顔にしている。

 アクアマリンは11年7月に再開したが、きぼうは13年、繁殖のため浅虫水族館(青森市)に引っ越し。1歳年上のメイとの間に2頭の子どもを授かり、父親になった。

 浅虫水族館では、飼育員が餌やりの時間に、きぼうの名前の由来を毎回、来館者に説明する。福島の人が青森まで会いに来ることもある。飼育員の桃井綾子さん(30)は「きぼうは今も、震災のことを伝えてくれている」と話した。

 ▽「娘」は災害救助犬

 岩手県大槌町の自営業佐々木光義さん(53)は、2匹の災害救助犬を娘のようにかわいがり、日々のトレーニングに打ち込む。

 

捜索訓練で走りだす「ゆき」を見守る佐々木光義さん=1月、岩手県大槌町

 13年にゴールデンレトリバーの「ゆき」を飼い始めた後、災害救助犬の育成を決めた。震災で行方不明になった佐々木さんの両親は、今も見つかっておらず「あの時、災害救助犬がいたら何か役に立てていたのでは」という思いからだ。

 ゆきは16年の豪雨災害で、岩手県で行方不明者を捜索した。1歳下のホワイトスイスシェパードの「さち」とともに県警嘱託警察犬として活動。日本赤十字社から、災害救助に携わるボランティア犬と認められた。

 佐々木さんは「せっかく縁があってうちに来た家族だから」と繁殖を決めた。昨年6月にゆきが出産、「おてんば娘」というマリアが仲間入りした。

捜索訓練の後、じゃれ合う(左から)マリア、ゆき、さち。奥は佐々木光義さん=1月、岩手県大槌町

 マリアは、ゆきとさちが経験してこなかった遺体捜索の訓練にも挑戦していくという。3匹と佐々木さんの歩みは、これからも続く。

 ▽「女の子」だったカメ吉

 アオウミガメのカメ吉は、震災でがれきに埋もれた岩手県久慈市の地下水族科学館「もぐらんぴあ」で生き延び、飼育員たちの心の支えとなってきた。震災の約10日後、カメ吉が館内で生きていると分かったが、館長の宇部修さん(65)らが救出できたのは4月上旬になってからだった。

震災後、水が濁り魚が息絶えた水槽の底で発見された「カメ吉」。ガラスには津波による浸水の跡が残る=2011年3月22日、岩手県久慈市(もぐらんぴあ提供)

 もぐらんぴあ再開に合わせて16年3月に避難先の水族館から帰郷した際は、多くの子どもが「おかえり!」と出迎えた。

 カメ吉は、実は女の子だ。東京大などの研究者の協力で、血液中のホルモン濃度から19年になって「ほぼ間違いなく雌」と判明した。宇部さんは「今更、名前は変えられなかった」と笑う。

岩手県久慈市の地下水族科学館「もぐらんぴあ」で元気に泳ぐアオウミガメの「カメ吉」=1月

 ▽50歳の雌カバ

 

国内最高齢の雌カバとなった「カポ」=2月7日、仙台市の八木山動物公園

 仙台市の八木山動物公園に暮らすカバの「カポ」は50歳。今では国内最高齢の雌カバだ。

 震災当日、大きな揺れによって貯水タンクとつながる送水管の水漏れに断水が重なり、獣舎は深刻な水不足に。ボイラーに水を流せず、カポのプールの水を温められなくなった。

 高齢で寒さに弱いカポは徐々に衰弱し、震災から12日目に立ち上がれなくなった。このままでは死んでしまう。獣医師らの判断で、タンクの残りわずかな水をプールに入れた。幸運にも温水を張ることができ、カポの体力は次第に回復した。

 今年1月には、飼育員が草やニンジンで作ったケーキ風の餌を用意し、50回目の誕生日を祝った。ちょこんと水面に顔を出す可愛らしい姿で、きょうも来園者を楽しませている。(取材・執筆=筋野茜、石田桃子、中村靖治、安藤和也、永富絢圭)

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