東京生まれの私が、子どもができてからあわえに入ったわけ

徳島県に来るまでの経緯

私は、東京都国立市に生まれ、日野市・八王子市とずっと東京都郊外に住んでいました。里山再生活動のボランティアで知り合って結婚した夫の趣味で、薪ストーブで生活したり、庭にピザ窯を作ったり、東京の住宅地でも割と田舎っぽい暮らしはしていましたが、3.11東日本大震災を機に、東京から出たいと思うようになりました。物流が止まると簡単に生活が立ち行かなくなることに、都会生活の脆弱さを感じ、土と水が身近にある場所に住みたいと思うようになりました。

徳島県への移住

東京にいた頃、子どもは「森のようちえん」に通っていました。小学校へ入学した後ものびのびとした環境で自主性を重んじて育てたいという思いが夫婦で一致し、日本全国のフリースクールをいくつか検討していました。そして惹かれたのが徳島県阿南市のフリースクールでした。実際に見学に行き、ここなら子どもをお願い出来ると思えたので、子どもが入学するタイミングで徳島県に引っ越してきました。約3年前のことになります。

価値観の変化

徳島県に引っ越してきてからも、しばらく東京の仕事を在宅で行っていました。広告業界で、ネット記事のアクセス数やどんな人がその記事を読んでいるかということを広告主に報告するためのレポートを作成する仕事です。ですが、地方にいながら、都会の消費活動を支援する仕事に違和感を覚えるようになりました。お給料は良くても、消費そのものに興味を持てなくなってしまった自分がいました。私のやりたいことは、これではないと思ったんです。

そんな時に、あわえとの出会いがあり、これだ!と感じました。

徳島県での子育てと暮らし

子どもは徳島でのびのびと育っています。通っているフリースクールは教科書や授業がありません。とにかく教えるということをしない学校で、ひたすら自分のやりたいことをやる毎日です。そんな学校生活を過ごしながらも、読み書きや算数は興味関心のあることを通じて、自然に覚えてきます。釣り好きもあってか魚の知識は博士レベルで、水族館では説明見なくても全部魚の名前が言えるほどです。好きなことを追求できる環境で、好奇心が掻き立てられ、自ら進んで学んでいるようで頼もしいです。夫も株式会社四国の右下木の会社に入れていただき、ボランティアではなく仕事としてか関わりたかった「森づくり」が出来て、とても生き生きしています。

徳島は東京と比べると田舎ですが、物価も安く、住みやすいです。ご近所や学校の保護者の皆さんからはしょっちゅう野菜やジビエをいただいていますし、海も川も山も近く、豊かな自然を肌で感じることもできます。とても気に入っています。

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