流れる血と響くサイレン、自由求めた「故郷」重ね 戦地・ウクライナで取材続ける香港人カオル・ンさん

ロシア軍に攻撃されたテレビ塔の近くに残されていた血痕=キエフ(カオル・ンさん撮影)

 国外に脱出する市民の姿、路上に残る鮮血ー。なにげなくSNSを眺めていると、ロシアに侵攻されたウクライナの首都・キエフの臨場感にあふれた写真や映像が目に飛び込んできた。投稿者の名前を見て「はっ」と思った。私が社命研修で香港に滞在していた際に知り合ったフリージャーナリストのカオル・ンさん(36)だった。すぐにフェイスブックで「カオルさん、今はウクライナにいますか」とメッセージを送信した。「はい。キエフで取材をしています」。返信が来た。

 香港出身のカオルさんは昨年秋にロンドンに移住。2月中旬、キエフに入り、街の中心部にあるアパート一室に取材拠点を構えた。ウクライナ市民にインタビューを続けていると、レンズの向こう側に映る世界が、かつて自由と民主主義を求め戦った香港と重なるようだ。私との会話の中で、キエフに渡った目的に話しが及ぶと、「市民の声を通じて、政治に興味がない人にも戦争の実情を伝えたい。声を上げれば、世界を動かせることを理解してほしい」。穏やかな口調に、力強さを感じた。カオルさんは、砲撃や銃声、サイレンが響き渡る戦地で取材を続ける。(共同通信=杉田正史)

 ▽戦う姿

 「ウクライナを信じている。ロシアに負けることは決してない」。隣国に避難する女性が思いの丈を語る。カオルさんはレンズを向けながら、かつて身の回りで起きた民主化のうねりが思い起こされた。

ウクライナ市民の取材を続けるカオル・ンさん=2月25日、キエフ(同氏提供)

 香港では2019年に中国本土への容疑者引き渡しが可能になる「逃亡犯条例」改正案を巡り、大規模な反政府デモが発生した。これまで築き上げてきた自由や民主主義を脅かす存在に、市民が立ち上がった。理系の大学院生だったカオルさんは、学生から会社員まで一丸となって訴える姿に共感し、警官隊を動員して弾圧する政府に憤りを覚えた。デモの現場で市民の姿にシャッターを切り続け、SNSに投稿したり、日本のメディアに提供したり趣味だったカメラを片手に活動した。

 「香港を応援してくれた世界の人たちや海外のメディアに敬意を示したかった。今度は自分自身が貢献したい」と、ジャーナリストを目指した。

ロシア軍の攻撃を受け、地下鉄に避難したウクライナ市民=2月25日、キエフ(カオル・ンさん撮影)

 ▽平和と尊厳

 翌年、ベラルーシに渡り、強権的との批判がある政権に抗議するデモを取材した。当時香港では、長引く民主化運動で市民に疲れが見え始めていた。反政府活動を取り締まる香港国家安全維持法への不安も広がりつつあった。

ロシア軍の攻撃を受けたテレビ塔=キエフ(カオル・ンさん撮影)

 「他の国や地域でも権力と闘う人がいることを香港に届ける。ベラルーシの人にも香港のことを知ってもらう。価値観の共有で一人ではないことを伝えたかった」。SNSや香港メディアを通じて情報を発信した。一方で「香港人もベラルーシ人も、大きな勢力のはざまで生きてきた。自分で運命を決められない。本当の平和とは、弾圧によって争いがない状況ではなく、人間としての尊厳が認められていること」とも感じた。

隣国に避難するため列車に乗り込むウクライナ市民ら=キエフ(カオル・ンさん撮影)

 ▽共感した仲間も

 ロシアの侵攻が現実味を帯びていた2月18日、ロンドンからキエフへ向かった。6日後、ロシア軍が砲撃や空襲を開始し、キエフでは警報、サイレンが常に鳴り響いている状況で、銃声もあちこちから聞こえてきた。

ロシア軍の攻撃から守るため土のうが積み上がった建物出入り口=キエフ(カオル・ンさん撮影)

 外出禁止令が出ている日中の時間帯を避けて取材する日々。防空壕の代わりとなっている地下鉄の駅に犬を連れて避難してきた女性や、食糧確保のためスーパーに並ぶ市民ら。スマートフォンのアプリを使ってロシア軍の目撃情報や爆弾が落ちた場所を確認して不安を和らげようとする人もいる。すくい上げた恐怖や怒り、悲しみの声を、日本や香港、英国のメディアに届けている。

食料を買い込むウクライナ市民=キエフ(カオル・ンさん撮影)

 インタビューに映し出されるウクライナ市民は、「戦争に勝つだろう」「最後まで抵抗する」と力強い。「大国に何度も侵攻された歴史があり、国を守ることが責務と感じて強い意思でロシアに立ち向かっている」とカオルさんは話す。

 これから活動に共感した香港人ジャーナリストやボランティア約10人が現地に入る予定だ。市民の声を今後も仲間と伝えていく。

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