成田の電車はるばる函館に 100年超走り続け現役

 【汐留鉄道俱楽部】千葉県成田市の交通と言えば、成田空港から飛行機を思い浮かべる人は多いだろうが、かつて路面電車も運行していたことを知る人は、少ないのではないか。成田山新勝寺への参拝客の輸送に活躍した約5キロの路線だったが、太平洋戦争の影響で80年近く前に廃線。一方、一部の車両は100年以上前、北島三郎さんの歌のように「はるばるきたぜ」と北海道函館市に渡った。1両はレトロな姿に復元されて今なお現役で走り続けている。

 成田市によると1897年、途中佐倉で乗り換えは必要だが東京と成田が鉄道で結ばれた。これを機に成田駅から新勝寺や宗吾霊堂という寺を路面電車でつなごうと、資本家らが1908年に成宗電気軌道を創立した。当初は参道に軌道を敷こうとしたが、人力車の車夫や旅館の関係者らが商売に影響すると反発。結局、参道を迂回するルートで1910年に部分開業、翌年全通した。

 しかし、大株主の別事業の失敗や一部住民が廃線を訴えるなど経営を巡る混乱があり、会社は一部の車両やレールを売却。それでも運行は続いたが、太平洋戦争中の44年に廃止されてしまった。戦争の激化で不足した資材供給のため、政府が軍事上の重要度が低く不要不急と判断した鉄道路線の撤去を命じたためだ。

 

成田市内の旧路面電車トンネル

 現在、軌道があった一部の場所は市道となり、近くには電車が走っていた時代を伝える「電車道」と記された看板や、軌道をまたいでいたれんが造りのトンネルも残っていて往時をしのばせる。

 一方、売却された車両のうち5両は1918年、函館で路面電車を運営していた会社に引き取られたが、うち4両は車庫の火災や函館の大火で焼失。残った1両は後に除雪車に改造され、市営となった路面電車でも戦後、長く使われた。

 函館市企業局交通部によると80年代後半、市民の有志らが新たな観光資源として、客を乗せていた時代の姿に戻そうと、復元に必要な費用を集めて函館市に要望した。同市も復元を決め、93年に愛称を「箱館ハイカラ號」として、例年春から秋にかけての期間限定で旅客用の運行を始めた。

 長さ約8メートルの車体は両端の運転台にドアがないオープンデッキで、木製の窓枠など内装も凝ったものになっている。レトロな外観は、明治や大正時代に建てられた歴史的な建物が数多く残る町並みに溶け込み、観光客らの目を楽しませてきた。

函館市内を走るハイカラ號

 だが、ハイカラ號は定員約30人と他の車両より小さく、新型コロナウイルス感染防止で車内の「密」を避けることが難しいため、2020年から定期運行を休止し、少人数での貸し切り運行に限られてしまった。今春以降の対応は決まっていないが、同交通部の担当者は「人気の高い車両のため、感染状況が収まれば定期運行を復活して多くの人に乗ってもらいたい」と話している。

 ☆共同通信・塚原裕生

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