震災後11年、三陸の交通網の変遷を知ろう

11年間の岩手・宮城三陸エリアの交通網のあらまし

2022年の3月11日、東北地方に甚大な被害を及ぼした東北大震災から今年で11年となります。この震災で特に被害が大きかった岩手・宮城県沿岸部の三陸と呼ばれる地域もだいぶ復興が進んできました。ですが全て元通りとなったわけではなく、特に交通網などはこの11年の内に大きく変化している場所も存在します。この記事では震災から11年間の間、この三陸地方の交通網がどのように変遷してきたのかをまとめて解説します。

鉄道

山田線区間を吸収し晴れて一本の路線となった三陸鉄道

2011年3月11日に発生した東北大震災から真っ先に復興した鉄道は、三陸鉄道の北リアス線(久慈ー宮古)でした。リアス式海岸と言われる急峻な地形を通り抜ける為、トンネルと橋梁が多めの線形で建設されたことが幸いして北リアス線は他の路線と比べて比較的被害が少なかったのです。震災からわずか五日目にして久慈から陸中野田までの区間だけとはいえ運転再開にこぎつけたその姿勢に勇気づけられた被災者の方も少なくはありませんでした。

その後、国や県からの復興予算を駆使しながら3年後の2014年に南北のリアス線が復旧しますが、当時南北リアス線は一本でつながってはおらず、宮古から釜石まではJR山田線の区間となっていました。その山田線区間に直通する形で南北リアス線はつながっていたのですが、2014年時点で山田線沿岸部区間はまだ復旧しておらず、物理的な分断状態となっていました。

転機が訪れたのは翌年2015年、三陸鉄道に運営を移管するということを条件に山田線沿岸部の区間を復旧するというJRからの提案に岩手県知事や宮古市長などの沿線自治体の首長が合意し、この区間は鉄道として復旧することが決まりました。再び南北リアス線が鉄路で結ばれることになったのです。それから4年後の2019年3月、山田線宮古ー釜石間と南北リアス線は再編され、盛ー釜石ー宮古ー久慈間の全長163㎞という第三セクター鉄道としては最長距離の路線、リアス線として生まれ変わり、三陸地方の復興の象徴として再び全通しました。そしてこの区間を最後に、岩手県内の全ての被災路線が復旧したのです。

事実上の鉄道空白地帯が発生した気仙沼・大船渡線

この震災で特に大きな被害を受けた気仙沼線と大船渡線は、何処を走行していたのか分からなくなるくらい路盤の流出が激しく、復旧にかかる費用や年月を大幅に要する見込みから残念ながら鉄道としての復旧は叶いませんでした。その代わりとしてJR東日本は、完全なバス転換ではなく、茨城県での先例を参考に、鉄道の路盤を流用した専用道を経由して鉄道と同程度の定時性を確保できるBRT(バス・ラピッド・トランジット)方式での復旧を提案しました。このBRTの導入で上述の定時性は勿論の事、鉄道

BRT化に伴ってある程度のルート変更が行われましたが、その中でも大船渡線BRTは本線系統の他に二つの支線系統が新設されるなど大幅な変化が見られます。このうち鹿折唐桑から上鹿折方面に分岐する系統は、ミヤコーバス鹿折金山線に代行してもらう形となっています。また、このBRTはすべてSuicaやPASMO等のICカード端末を搭載したため、三陸のJR線でいち早く交通系ICカードを導入した線区となりました。

存続危機の山田線、復興SLの釜石線、ひっそり消えた岩泉線

山田線、釜石線、岩泉線は先述の宮古ー釜石間以外に今回の震災で目立った被害は出ていませんが、決して影響がないとは言えません。

釜石線は今回の震災を受けて観光面からの復興支援と地域の活性化を目的として、県内に静態保存されていた蒸気機関車、C58239号機を復元させて、JR北海道から譲渡された動力客車と共にSL銀河の運行が開始されました。(2023年引退予定)同路線の優等列車である快速はまゆりと共に三陸の観光促進に一役買っています。

宮古ー釜石を三陸鉄道として切り離し、宮古ー盛岡間の路線となった山田線ですが、後述の復興道路の一つとして整備された宮古盛岡横断道路開通により優位性が低下しています。そしてその山田線茂市駅から分岐していた岩泉線ですが、この路線は震災の一年前に土砂崩れによる脱線事故のため運休になっていましたが、並行道路を整備するという条件のもとで、廃止の上バス転換となりました。その廃止区間の一つ、押角トンネルは拡張工事を請けた上で国道340号線のトンネルとして転用されています。

道路

震災以降、大きな変化を迎えた三陸の鉄道網ですが、道路にもまた大きな動きがありました。被災した地域の復興を支援するために本来計画されていた高規格自動車道の内、4つの道路を「復興道路」と名付けて優先的に事業化させることになったのです。今回はそのうち福島県の東北中央自動車道以外の三陸を結ぶ自動車道についてまとめてご紹介します。

盛岡ー南三陸方面の短絡ルート、釜石自動車道

岩手県を横断する高規格自動車道の内、釜石自動車道は東北横断道の一つである釜石秋田線を構成する自動車道ですが、此方も震災をきっかけに東北道と三陸道を結ぶ「復興道路」の一つとして優先的に事業化され、2019年に全区間が開通しました。この三つの自動車道の内最も全通が速かったのは、開通している部分も合わせてそこまで距離がなかった事や、2019年に開催されたラグビーW杯にこの道路の目的地である釜石市が選ばれていたことも関係していると思われます。

全長およそ360㎞弱、遂に全通した三陸沿岸道路

去年末に全通した、仙台港北ICから石巻、気仙沼、大船渡、釜石、宮古、久慈を経由して八戸JCTへと繋がる全長359㎞の高規格自動車道路、それが三陸沿岸道路です。既に開業していた三陸縦貫自動車道、三陸北縦貫道路、八戸・久慈自動車道の未開業区間が今回の震災をきっかけに「復興道路」の一つとして優先的に事業化されました。平時には三陸の物流の動脈となる一方、災害時には迅速な復旧活動の支援ルートに使用されることを想定して設計されています。計画当初は全区間4車線となっていましたが、復興道路に指定された事に合わせて一部区間の二車線化やハーフICの設置などの設計変更が行われています。

また、この三陸沿岸道路を利用した高速バス路線も去年の秋から運行開始されており、仙台ー気仙沼ー宮古を結ぶ三陸高速バス、仙台ー陸前高田を結ぶ高速バスゆめシャトル、八戸ー久慈を結ぶ八戸久慈高速バスなどが定期路線化を見据えた事象実験を行いました。このうち、三陸高速バスは実証実験期間終了後も当面の間は運行するとしています。

106特急・急行速達化、宮古盛岡横断道路

鉄道の項でもちらっと触れましたが、山田線に完全に並行する国道106号線のバイパスとして、去年の4月に宮古盛岡横断道路が全通しました。2011年時点では計画区間の内1.4キロしか開通していませんでしたが、震災をきっかけに重点的に整備を進める「復興道路」の一つに指定されました。カーブの多い106号線を補完する為そのほとんどがトンネル区間の自動車専用道路となっています。

従来から国道106号線を利用して宮古ー盛岡間を結んでいた岩手県北バスの106急行・特急はこの自動車道の開通を機にダイヤ改正を行い、今まで最速でも山田線の快速リアスと同等だった所要時間を最速90分程度に短縮し、同区間での優位性を大きく上げています。(了)

【著者】ミシンロボ

日本全国の鉄道を「日帰り」で旅するライター。 日本全国の鉄道路線を完乗済みです。色々な鉄道の情報を独自の視点から発信します。

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