複数日系団体の現役会長=コロナで山村敏明さん死去=リベイラ沿岸や聖南西を再興

山村敏明さん

 聖南西文化体育連盟(UCES)など複数の主要日系団体の現役会長を兼任する山村敏明さん(80)が6日朝、サンパウロ州レジストロ市のサンジョゼ病院で亡くなった。山村会長は新型コロナにかかって2月19日に入院して闘病の末、快方に向かっていた。だが6日になって病状が急に悪化し呼吸困難に陥って死去した。6日午後7時から翌7日午後2時までレジストロ本派本願寺で通夜と告別式が行われ、カンポ・ラルゴ市で火葬された。妻ジュンコさん、4人の息子と孫やひ孫を遺して旅立った。

 山村さんは現役のUCES会長のほか、リベイラ沿岸日系団体連合会会長、レジストロ日伯文化協会評議員会長、レジストロ仏教寺護持会会長を兼任していた。
 1941年5月30日、満州国の首都新京(現・長春)で父・明造(めいぞう)と母・ハナエの6番目の子供として生まれた。弟の病気により日本に帰国したが、敗戦後の貧しい暮らしに耐えられず、1954年2月16日、山村さんが13歳の時、家族とともにアフリカ丸でブラジルはサントスに渡った。
 イビウーナ市の親戚宅で半年間世話になり、レジストロで沖縄移民が畳を作っていると聞き、同地へ移った。畳職人であった父明造は畳を作る道具一式を持ってきており、沖縄移民が持ち込んだ琉球イグサで畳を作り、1956年からは柔道場、青柳などの料亭や食堂の座敷用に畳を卸していた。
 1959年、レジストロでトコ台(ゴザが巻かれている畳の核)を作り、サンパウロ市ラッパ区の工場で仕上げる大量生産システムを築き、70、80年代には年産1万2千畳を生産。30人の従業員を雇い、「ラ米唯一の本格的畳工場」と称されるようになり、後にピニェイロス区にも支店を展開した。
 90年代に入ってからは中国製の畳が輸入され、市場価格の半値で販売されるようになり、売り上げが減少し工場は閉鎖した。
 山村さんはかつてレジストロ文協会長、リベイラ合同百周年委員会委員長などを歴任。レジストロ文協会長時代には日本語や日本文化の普及に貢献するなど長年にわたって日系社会に貢献した。 リベイラ沿岸地区から聖南西地区までの幅広い地域の日系団体活性化のために、献身的に尽力し、その功績が認められ18年には外務大臣表彰、20年11月には旭日双光章を受勲した。
 今年1月29日、地元レジストロで開かれたUCES総会で会長職に再選されたばかり。「2009年から連続13年間会長職を務めさせてもらい、250万レアル基金建設も達成できた。前回の総会でも約束したとおり、会長職は今期限りとさせていただく」と辞意を表明していた。
 弔文、弔電はレジストロ日伯文化協会(住所:Rua Nakatsugawa 165, Vila Tapi, Registro – SP, CEP:11900-000,電話:(13)3822-4144, メール:acnbrgt@uol.com.br)まで。

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