<ニカラグア写真報告>裏切られた革命(6)コスタリカに逃れた人々その2…元政府軍兵士までオルテガに叛旗

2018年9月の反政府行動。道路封鎖する学生たちが手製の「迫撃砲」と積み上げたブロックで治安部隊と対峙している。ニカラグアの首都近郊の街・ティクアンテぺ市で撮影オスカル氏。

反政府運動に参加した後にニカラグアを去った難民たちとコスタリカの首都サンホセで、出会った。オルテガ政権は、活動を米国の支援を受ける反体制勢力のクーデターとみなしているが、難民たちの話からは、政府の主張とは異なることが分かった。
文・写真 柴田大輔

fa-arrow-circle-right<ニカラグア写真報告>裏切られた革命(1)民衆に怯える「革命の英雄」オルテガ

◆立ち上がる若者たちはSNSで繋がる

ニカラグア全土に拡大した2018年の抗議のきっかけを作った学生の一人が、当時、大学で社会メディアを専攻し、学生記者としても活動していたマキシミリアーノ・メヒアさんだ。

2019年8月、コスタリカで避難生活を送るメヒアさんに話を聞いた。メヒアさんは「以前から全国の学生同士が通信アプリのワッツアップ(WatsApp)のグループで日常的に情報交換していた」という。そのグループが抗議活動の基礎となっていったのだ。

大規模デモが始まる6日前、ニカラグア南西部にある中米最大規模の森林保護区で大規模火災がおきた。これに政府の対応が遅れると、社会問題に敏感なメヒアさんら学生がSNS で呼びかけあい、首都マナグアでデモを行った。音楽を流し、メッセージボードを掲げる平和的なものだった。これに機動隊が駆けつけ揉み合いになり、力ずくでその場から押し出された。

メヒアさんらは政府の暴力的な対応に強い反発を覚えた。間もなく起きたのが、年金減額、保険料引き上げなどの社会保障改革問題だった。メヒアさんらは、国民の声を無視した政府の対応に対して声を上げようと話し合った。

4月18日、大統領令による社会保険法改正令が公布されると、翌19日、首都マナグアと
その北西約80 キロのレオン市で同時に学生たちがデモを決行した。火消しに走る政府はすぐさま治安部隊を投入し実弾で応じた。人権団体によると、デモ開始から4日間で死者は50名以上。

惨状は、瞬く間にインターネットで拡散し、抗議のうねりは国民を巻き込み全国へ拡大した。怒りの矛先は、汚職や不正、独裁的な政権運営など、国を私物化するオルテガ大統領夫妻へ向けられた。

元学生活動家のマキシミリアーノ・メヒアさんは、コスタリカに避難後もSNSを通じて各地に散らばった活動家やジャーナリストと連絡をとっている。コスタリカのサンホセ市、2019年8月。

◆FSLNの元ゲリラ、右派コントラの元兵士が手を携えて

ダビ・ロペスさんは、専制的なオルテガ政権に不満を持っていたが、当初は学生中心のデモを静観して眺めていた。参加する住民が増え、治安部隊の攻撃が激しくなるのを見て黙っていられず抗議に加わった。

ロペスさんは、1970年代の革命戦に参加した元サンディニスタ民族解放戦線(FSLN)のゲリラ兵士だ。1980年代は政府軍兵士として内戦を戦った。ニカラグアでは社会主義革命の拡大を疎む米国が反政府勢力を支援し内戦が勃発した。反革命勢力を「コントラ」と呼ぶことから「コントラ戦争」という。1989 年の停戦までに、約4 万人の死者と100 万人あまりの避難民を出した。

ロペスさんが暮らした同じマサヤ市で抗議に参加したホセ・エスピノさんは、内戦時代に政府軍と戦った元コントラ兵士だ。「デモ参加者は若者が多く闘い方を知らなかった」というエスピノさんは、率先してデモの前線に立ち、コンクリートブロックを積み上げ治安部隊の侵入を食い止めた。

治安部隊と対峙するための「武器」を供給したのは町の人だった。サンホセで出会った自動車整備工を営む男性は、自宅の作業場で鉄パイプを切った手製の「迫撃砲」を作りデモ隊に配った。マサヤでは、かつて左右で対立する立場にいた市民が反オルテガで一つになり、国内で最も長く治安部隊に抵抗した町となった。

2018年7月の反政府デモでは、約200人の学生らが逃げ込んだ教会が治安部隊の銃撃を受け多数の死傷者が出た。教会の窓に残された銃痕。ニカラグアの首都マナグア市、2018年11月。

◆「サンディニスタだがオルテギスタ(オルテガ支持者)ではない」

抗議活動には、革命に賛同し政府を支持する「サンディニスタ」を自認する人も数多く参加した。

カルロス・ゴンサレスさんは、サンディニスタの下部組織「サンディニスタ青年部」に所属し政府の活動をサポートしていたが、近年のオルテガの独裁的な統治に疑問を持ち始めていた。「テレビで見ていたデモが、自分の街でも始まり心が揺れた」と2018年を振り返る。

迷いを持ちつつデモに混ざった。すると後日、警察が自宅へ押しかけ、室内を荒らした。恐怖を感じた家族は町を離れバラバラになった。「もう私はどこの政党の人間でもない」と、FSLN政権に振るわれた暴力への悔しさを滲ませる。

フアン・ガルシアさんは、「私はサンディニスタだが、オルテギスタ(オルテガ大統領支持者)ではない」と言い切る。革命が掲げる自由と平等の精神を支持しつつ、それを蔑ろにするオルテガを非難する。

「私の街では政府の暴力に反発し、サンディニスタ派の住民の大部分がデモに参加した」と話す。

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元政府軍兵士だったダビ・ロペスさんは身の危険を感じコスタリカに出国。ニカラグアに残り市場で商店を営む年老いた母を心配する。サンホセ市、2019年8月。

◆危機的状況で、さらに移動を繰り返す難民たち

2022年1月、日本にいる私のスマートフォンに、コスタリカのサンホセで出会ったある男性から「これから妻とパナマに行く」というメッセージが届いた。彼らも抗議に参加し国を追われていた。

それまでのやり取りで、「仕事がない」ことを、私は伝え聞いていた。パナマに行くのは、仕事を求めてのことだという。コロナ禍で経済的な問題がより大きくなっていた。「私たちはもうニカラグアに戻れない」という言葉に悲壮感が漂っていた。

避難先のコスタリカの経済が悪化しても、住み慣れた母国・ニカラグアには帰る場所ではなくなっていた。条件のいい場所を探してさらに国境を越えて移動する。オルテガ統治から避難した民の、先の見えない生活が続いている。(続く 7へ

ニカラグアの40年
左翼ゲリラ・サンディニスタ民族解放戦線(FSLN)を率いたオルテガ氏は1979年、ソモサ一族による独裁政権を倒し革命を成功させ、84年、大統領に初当選。90年の選挙で敗北するが、06年に大統領に復帰すると、14年、大統領の再選禁止規定を撤廃し、17年には夫人を副大統領にした。18年の反政府デモへの武力鎮圧では300人以上が死亡するなど、強権的な独裁政治が批判される。21年の大統領選で勝利し、4期連続5回目の大統領に就任した。

柴田大輔(しばた だいすけ)
1980年茨城県出身。2006年よりニカラグアなど、ラテンアメリカの取材をはじめる。コロンビアにおける紛争、麻薬、和平プロセスを継続取材。国内では茨城を拠点に、土地と人の関係、障害福祉等をテーマに取材している。

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