急増する労働訴訟、現役裁判官に聞く「最後のとりで」の現在 雇い止めにハラスメント 新型コロナの影響も

マスク姿で通勤する人たち=1月、JR東京駅前

 「ある日突然、会社から雇用契約の解除を言い渡された」「上司のパワハラで休職に追い込まれた」。社会で働く誰もが直面する可能性がある労働問題を巡る裁判が、近年急増している。新型コロナウイルス禍の2020年の訴訟件数は平成以降最多の3960件に上った。紛争解決の「最後のとりで」となる裁判所で今、何が起きているのか。新たな環境で働く人も増える新年度を前に、労働事件の専門部を置く東京、大阪の各地裁で労働訴訟を担当する現役裁判官にインタビューし、現状と課題を語ってもらった。(共同通信=助川尭史)

▽お話をうかがった裁判官4人

 【東京地裁】

東京地裁の江原健志所長代行(右)と三木素子部総括判事

 江原健志(えばら・けんじ)所長代行 91年判事補。東京高裁判事、東京地裁部総括判事などを経て21年から現職。

 三木素子(みき・もとこ)部総括判事 92年判事補。東京地裁判事、大阪地裁部総括判事などを経て17年から現職。

 【大阪地裁】

大阪地裁の内藤裕之所長代行(左)と中山誠一部総括判事

 内藤裕之(ないとう・ひろゆき)所長代行 92年判事補。宮崎地、家裁部総括判事、大阪地裁部総括判事などを経て21年から現職。

 中山誠一(なかやま・せいいち)部総括判事 94年判事補。大阪地裁判事、和歌山地、家裁部総括判事などを経て19年から現職。

▽インタビュー

 ―労働問題を巡る裁判が急増している背景として何が考えられますか。

 三木 雇用形態が多様化し、働き方改革によって労働者の権利意識が高まっているのに加えて、個人でも入れるユニオンも登場するなど、労働問題を身近に感じる人が増えたと思います。労働訴訟を専門にしている弁護士も多くなりました。

 中山 バブル経済の崩壊以降、経済的に不安定な情勢が続く中で、賃金や残業代の請求訴訟が増えてきた印象があります。訴訟件数は(2008年の)リーマン・ショック後からずっと高い水準で推移しています。

 ―東京、大阪地裁の労働部ではどのような訴訟が増えていますか。

 三木 解雇や雇い止めの背景にパワハラやセクハラがあるという、ハラスメントを巡る事案が顕著に増えているように思います。最近はコロナ禍による経営不振の影響を理由にした、退職勧奨が問題となる事案が増えていると感じます。

 

中山 大阪でも使用者側がコロナで売り上げが止まっていると主張する訴訟が増えて、和解勧告をした際に資力がないので和解金が払えないと言われるケースも増えています。職場でのマスク着用を巡る解雇や自宅待機中の賃金の支払いなど、コロナに関する訴訟もあります。最近は正規雇用と非正規雇用の格差を巡る訴訟や、障害がある労働者への合理的配慮についての対応の是非を問う訴訟もあります。

 ―通常の民事訴訟と比べて、労働訴訟はどのような点が難しいのでしょうか。

 三木 関係する法律がとても多く、労働問題を専門に扱う裁判官や弁護士でないと的確な対応が難しい事案が多いです。法改正も頻繁で、常に法律知識をアップデートする必要があります。また、多数の解雇事由が主張されたり、ハラスメントが問題になったりする訴訟では、双方が主張する事実関係が多岐にわたり、審理が困難になることもあります。

 中山 新しくできた法律には、判断の基準になる判例も、確立された学説もありません。まさに最初の判断が求められるケースがたくさんあり、今後の影響を考えて判断に慎重になることも多いです。

 ―20年の労働訴訟の平均審理期間は約1年4カ月で、長期化する傾向が続いています。

 三木 訴訟内容が複雑化する中、争点整理に時間がかかるケースが増えています。以前は次回期日までの準備期間が1カ月程度だったのが、最近では当事者から準備期間として2カ月程度要求されることも珍しくありません。

 中山 裁判所としては判断する際に重要なポイントに絞って審理をしたいのですが、当事者の立場ではどうしても「念のために証拠をたくさん出したい」となりがちです。結果的に争点が増え、長期化しやすい要因になっています。

東京地裁の江原健志所長代行(右)と三木素子部総括判事

 ―訴訟が長期化、複雑化する中で、06年には原則3回以内の期日で紛争を解決する「労働審判」制度がスタートしました。20年の新規受理件数は過去最多の3907件でした。

 三木 事件を一緒に担当する専門知識を持つ労働審判員2人と議論することで、裁判所にいては分からない雇用環境などの把握につながっています。審判の対象事件以外にも目には見えにくいですが、良い影響を与えていると思います。

 中山 短期間の解決を目指して審理するため、裁判官もかなり集中して取り組む事案も多いです。そのため、労働審判が増えた年は訴訟の既済件数(裁判が終了した件数)に影響を与えることもあります。

 ―長期に及ぶ新型コロナの感染拡大は業務にどのような影響を与えていますか。

 江原 労働訴訟に限らず、20年4月からの1回目の緊急事態宣言の間、感染防止のため緊急を要さない期日を変更する対応を取りました。再開後も、隔週で開廷して、裁判所に来庁者を少なくしました。現在は通常の態勢になっていますが、影響で20年は年内に解決に至らなかった訴訟が大幅に増加しました。

 中山 大阪でも多くの期日が取り消しになりました。訴訟当事者と代理人がコロナで打ち合わせできないことが増えたと感じています。また、多くの医療関係者がコロナ対応に当たっているため、労災認定を巡る訴訟で医師の意見書の提出が遅れるなどの影響が今も残っています。

大阪地裁(左)と東京地裁

 ―訴訟の急増や事案の複雑化によって、現場の裁判官の負担はどうでしょうか。

 三木 東京地裁では3部あった労働部を4部に増やし、勤務態勢を強化しました。また複数の裁判官での審理が増えています。結論を巡って意見が異なることもありますが、いろんな角度から意見を出し合って、自分が気づかなかったことを指摘されて理解が深まることも多く、結果として質の良い裁判につながると思っています。

 内藤 労働訴訟は通常の訴訟よりも一つの事案にかかる時間が長く、さまざまな面で負担が大きくなっているのは間違いないと思います。大阪地裁では訴訟の増加に合わせて、裁判官の人数を増やし、以前は5人だったのが8人体制になりました。

 ―訴訟の実務を担う弁護士とのコミュニケーションはどのように取っているのですか。

 江原 東京地裁では、労働審判制度がスタートした頃から、労働問題を専門的に扱う弁護士と毎年、審理を円滑に進めるための協議をしています。当初は制度をどう運用するかが議題の中心でしたが、現在は日々の事案を適正かつ迅速に進めるにはどうすれば良いか協力して話し合うことで互いの意思疎通を円滑に進めるのが主な目的です。

 中山 大阪にも同様の仕組みがあります。裁判所は中立的な立場でベストな選択肢を目指して審理を尽くしていますが、どうしても白黒を判断する判決になると、納得がいかない人は出てきてしまいます。裁判所にいるだけではわからない社会情勢もあるので、どのような労働相談が多いのかなどを聞いて、将来持ち込まれるであろう紛争をイメージして速やかに解決できるように話し合っています。

大阪地裁の内藤裕之所長代行(左)と中山誠一部総括判事

 ―20年2月からは訴訟手続きの一部のIT化も始まりました。影響はどうですか。

 江原 弁護士と裁判官が争点を整理する手続きを、Microsoft 365のウェブ会議ツール「teams」でできるようになりました。弁護士が裁判所と事務所を行き来する時間がなくなったので期日が入りやすくなり、コロナ感染が拡大する中でも迅速に訴訟進行ができます。ファクスでやりとりしていた資料もファイルで共有できるようになりました。労働訴訟は、訴訟上の和解で解決することも多く、幅広い背景事情を踏まえて当事者から納得してもらうのが重要で、当事者とのやりとりが重要です。以前の電話回線を使った会議と顔が見えるウェブ会議とではコミュニケーションのとりやすさに格段の違いがあります。

 内藤 大阪地裁では日ごろの争点整理はウェブ会議を活用することが多いですが、「解決につながる」とか「言いたいことが言えて満足感が得られやすい」といった理由で、対面での肌感覚を交えた協議の方を希望するケースもあります。今後は、ITを活用しつつ、肝心なところはリアルで集まってがっちり争点整理しましょうといったメリハリが審議を促進充実させることにつながるのではないかと思います。

民事訴訟手続きの「ウェブ会議」のデモンストレーション=2020年、東京地裁(代表撮影)

 ―労働訴訟を巡る情勢が大きく変化する中で、解決しなければいけない課題はどのようなものがありますか。

 江原 訴訟が増える中で、当事者のニーズに応えていくため単にIT化を進めるだけでなく、従来型の審理も見直す必要があります。民事訴訟では、ともすれば月1回裁判所で書面を交わすだけの手続きとなってしまいがちですが、そういった根本的な部分を見直すなど、審理のあり方を変えていければよいと思います。

 内藤 これまで同様、当事者の納得が十分得られるような審理を心がける必要があると思います。今後も新しい法律、通達が出た時に、どう解釈し、解決指針を示していくかが引き続き課題になると感じています。

 ―今後の労働部にはどのようなことが求められるでしょうか。

 

インタビュー取材に応じた東京地裁と大阪地裁の裁判官(左上から反時計回りに東京地裁の江原健志所長代行と三木素子裁判官、大阪地裁の中山誠一裁判官と内藤裕之所長代行)

三木 労働訴訟は、双方の主張をよく聞いて、何が一番問題なのかを早期に的確に把握して審理することが特に重要です。東京地裁では審理の在り方を見直しつつ、改善策を検討しているところです。労働訴訟は審理運営に苦労するところも多いですが、世の中の動きと直結していることも多く、面白い分野だと感じています。

 中山 東京、大阪にしかない専門部では、法律や社会通念が変化する中でどう判断するか、最先端の判断を日々求められます。当然悩みは多いですが、他の地裁の判断の参考となるような判断をすることが専門部に求められていると思います。

 (注)インタビューは、東京と大阪それぞれ別日に対面で実施しました。

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