坂本花織が掴んだ、銅メダル以上の意義。4回転全盛時代に、それでも信じ続けた“自分らしさ”

涙が流れて止まらなかった。苦しみながら歩み続けた4年間を想い、感情があふれ出した。平昌五輪後から、女子フィギュアスケートの世界は一変した。複数種類の4回転ジャンプを武器にする選手が次々と現れ、“4回転を跳ばないと勝てない”といわれるようになった。それでも彼女は、自分らしい戦い方を見つけた。北京の表彰台は、自分を信じて磨き続けた道の先にあった。坂本花織が手にしたメダルは、その色以上に輝いている――。

(文=沢田聡子、写真=Getty Images)

4回転もトリプルアクセルも跳ばなかった坂本花織。それでも銅メダルをつかんだ意義

女子が成功させた4回転サルコウを確認して衝撃を受ける坂本花織の姿を、2回見たことがある。

さいたまスーパーアリーナで行われた2019年世界選手権、取材に対応していた坂本は、エリザベート・トゥルシンバエワ(カザフスタン)が成功させた4回転サルコウをモニターで確認し、思わず驚きの声を上げた後に「降りた」と漏らしている。シニア女子としては世界初の、4回転成功だった。

2回目は、ビッグハット(長野)で開催された2020年全日本選手権だ。演技後にインタビューを受けていた坂本は、モニターで紀平梨花が初めて成功させた4回転サルコウを見て「降りた!」と口にしている。紀平に次ぐ2位となった坂本だが、ミックスゾーンでは紀平の合計234.24というスコアに感嘆していた。メダリスト会見で、その紀平の合計点と、約1カ月前に行われたNHK杯でマークした坂本の合計点229.51はわずかな差であることを指摘されても、坂本は自分にはない大技の重要性に言及している。

「でもやっぱり、今回自分がマックス、最高の演技をして(得点を)出せたとしても、4回転を跳んだ梨花ちゃんの方がやっぱり高かったのかなって思うし。やっぱり大会によって点数の出す基準もどんどん変わってきちゃうので、“今回は”と考えると、4回転もトリプルアクセルも跳んだ梨花ちゃんが上だなというのは思いました」

「自分に集中すればよかった…」。4回転時代突入に翻弄された1年

4回転やトリプルアクセルといった高難度ジャンプを持っていないことは、坂本にとり常に意識から離れない弱点だった。

前述した2019年世界選手権の翌シーズンには、ロシアの3人娘と呼ばれたアリョーナ・コストルナヤ、アンナ・シェルバコワ、アレクサンドラ・トゥルソワがシニアデビューし、トリプルアクセルや4回転を武器に国際大会を席巻している。一方このシーズン、坂本は不調に陥った。大学生になり自主性を重んじる練習方法に変えたことや、同門の親友でよきライバルでもある三原舞依が休養したことに加え、シーズンオフにはトリプルアクセルに挑戦したもののうまくいかなかったことも理由だった。

2019年全日本選手権、フリーでミスを連発して6位に終わった坂本は、ミックスゾーンで涙を見せている。高難度ジャンプの投入により世界トップの点数が急速に上がっていることが不調の原因かと問われ、坂本は「若干あるけど」と認め、「自分に集中すればよかったなってすごく思いました」と吐露している。

悔しさを抱えて臨んだ翌季は、北京五輪プレシーズンだった。この2020-21シーズン、坂本は試合でトリプルアクセルや4回転を跳ぶことはなかった。全日本選手権では、前季からの継続となるフリー『マトリックス』で迫力のある滑りを見せ、2位になっている。しかし、やはり優勝した紀平の4回転を見ると冷静ではいられなかった坂本の心情が、前述した発言に表れていた。

全日本選手権フリーで頭一つ抜けた演技構成点。磨き続けた自分らしい戦い方

だが北京五輪シーズンに入り、10月に行われたジャパンオープンで、坂本は「アクセルを今入れる予定はない」「4回転も、今は答えられることがない」と口にしている。テーマ性がある新フリー『No More Fight Left In Me / Tris』には苦戦していたものの、坂本は覚悟を決めたようにみえた。

「本当に『今できることをしっかり完璧にやることだな』というのをすごく感じた」
「自分ができる(3回転)ルッツまでのジャンプをしっかりプログラムに入れて迫力を出すということが今一番大事だと思うので、アクセルや4回転よりも“今”を精いっぱいやりたい」

グランプリシリーズでの坂本は、スケートアメリカ(10月)では順位は4位だったもののフリーでほぼミスのない演技を見せ、NHK杯(11月)ではショート・フリーともほぼノーミスの演技で優勝。さらに12月の全日本選手権では、再びショート・フリーでクリーンな滑りを見せるだけでなく、リンクをいっぱいに使うスケーティングと大きなジャンプという強みを十二分に生かし、貫禄すら漂わせて優勝している。

全日本・フリーでの坂本の演技構成点は74.79で、5項目すべてで9点台と頭一つ抜けている。坂本を指導する中野園子コーチは「坂本の4年間の成長は、下の点(演技構成点)に出ているのでは?」という質問に、次のように答えている。

「そうですね、『4回転とか3回転半をたくさんしないのであれば、そこ(演技構成点)を思い切り伸ばすしかないよ』ということで、それに力を入れてやってきました」

難しいフリーを克服して自信を深めたであろう坂本も、ミックスゾーンで次のような質疑応答をしている。

――大技を自分の中で封印して、強みである完成度、質の高さを追い求めてきた。その点で、成長はどのように感じていますか?

「4年前とやっていることはあまり変わらないんですけど、GOE(出来栄え点)の加点の幅が増えたことによって『もっと加点を稼ごう、クオリティーをもっと上げていかないと』というのと、あとはファイブコンポーネンツ(演技構成点)を上げることを、この4年間しっかりやってきた。その成果が1年ごとにどんどん良くなる点数に表れてきているので、それがすごく成長しているなって感じるところです」

坂本が北京五輪で見せたもの。自分を信じて進む内面の強さと「女性の強さ」

そして迎えた北京五輪、坂本はロシアの3選手と同じリンクで滑ることが怖かったと吐露している。しかし6分間練習のリンクを見ていても、坂本にはロシア女子とは異なる滑りの伸びやかさと力強さがあり、まったく見劣りしていなかった。

坂本は最終滑走者として滑ったショートで完璧な演技をして3位につけ、フリーに臨む。直前に滑ったトゥルソワの4回転4種類5本という超高難度の構成を目の当たりにした首都体育館には異様な熱狂があったが、坂本は自分の滑りを貫いた。自分の道を信じて進む内面の強さと、エッジを深く倒して加速するスケーティングが、プログラムのテーマである「女性の強さ」と重なった。北京で見せてくれた坂本の『No More Fight Left In Me / Tris』には、結果だけにとどまらない価値があったと感じる。

フリー後、銅メダル獲得に沸く報道陣に対応した中野コーチは「『他の人のことは一切気にしないで、とにかく自分のできることを、そして花織にしかできないことを頑張ろう』と言い続けてきました」と振り返った。高難度ジャンプを跳ばない決断をさせるのは大変だったのではないかと問われると、「いえいえ、それを決断したのは私じゃなくて本人なので」と答えている。

「本人がまずそれ(3回転ルッツまでのジャンプ構成)をちゃんとやってから、クワッドトウ(4回転トウループ)、トリプルアクセルに進みたいと言ったので。まず、ちゃんと3回転で全部(滑り切る)、今回のオリンピックはそれでやりたいというのは、本人の希望でした」

北京五輪で唯一、坂本だけにつけられた「10.00」のスコア

また坂本本人は、銅メダリストとして臨んだ記者会見で、この結果は坂本のスケートが世界に認められたことを意味するのではないかという質問に答えている。

「やっぱり、大技がないというのはすごくハンデだし。その中でどうやって戦い抜くかと考えた時に、本当にプログラムの一つ一つを丁寧にやることと、エレメンツの完璧さが求められると思うので。それをどの試合でもやり通すというのはすごく難しいことで、練習からやっていないと本番では必ずできないし、練習以上のものは試合で出ないと思っている。練習でどんなに苦しい思いをしても『試合で笑顔になるためなら、この苦しさを飲み込んでやるしかない』と思ってこの4年間やってきた。それがなかなかできなかった年もあったし、正直自分の中ですごく落ち込んだ時期もあったのですが、そういう経験も経てここまで上がってこられたというのはすごく自信にもなったし、『諦めずに頑張ってきてよかったな』って思いました」

坂本の北京五輪・フリーの採点表を見ると、演技構成点の演技力の項目に1つ、満点の「10.00」が記載されている。高難度ジャンプへ移行していく時代の波にもまれながらも、自らの意志で独自の強さを磨き抜いた坂本の道は、首都体育館の表彰台につながっていた。

<了>

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