故郷・福島を沖縄から思う 原発逃れ移住…願う平穏の日々 東日本大震災11年 #知り続ける

 家族4人で、四季折々の自然を感じながら笑って過ごしていた。花見をし、猪苗代(いなわしろ)湖で遊び、紅葉狩りや雪遊びを楽しむ。東京電力福島第1原発事故後、福島県の中通りから沖縄本島に避難した50代女性は、故郷を思いつつも沖縄で暮らし続ける考えを示す。新型コロナウイルスの影響で避難者同士の交流が減少するなど、気持ちが落ち着かないことが多い。「家族が穏やかに、平凡に過ごせたらいい」と願う。
被災地から沖縄へ 今も187人避難 「福島から」最多
 2011年3月11日。子ども2人と自宅にいる時に、激しい揺れに襲われた。住んでいたアパートは半壊と認定された。追い打ちをかけるように、原発事故が起きた。避難するか迷ったが「将来子どもたちに何かあったら後悔する」と決断。震災から約1年後、夫と中学生だった子ども2人の家族4人で、原発が立地しない沖縄に避難した。
 3カ月ほどで夫の仕事が見つかった。住宅支援などもあり、生活は安定しつつあった。当初は長女が「学校に行きたくない」と登校を渋った。避難して数年後、長男が精神的に落ち込み、外出もままならない時期も。「避難は間違いだったのかな」。気持ちが揺らぎ、葛藤した。
 この10年間で、福島の実家に帰ったのは一度だけ。母とは時折、長電話をして近況を語り合う。自主避難者向けの住宅支援などは終了したが、生活は維持できており「私たちは恵まれている方だ」と話す。定住を望む一方、先は分からないとも思う。「安全と言われていた原発で事故が起きた。震災で『絶対』はないと学んだ」
 沖縄では原発や震災の話題はあまり耳にしない。「福島にいた時、沖縄の基地問題を知らなかった。距離があると身近には感じられない」と、冷静に受け止める。ただ、3月11日の午後2時46分には欠かさず黙とうをしている。今年も犠牲者への祈りと、全国各地に暮らす避難者の平穏を願うと決めている。 (前森智香子)
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