【読書亡羊】悪用厳禁! テック的で洗練された政治活動 ユリア・エブナー『ゴーイング・ダーク―12の過激主義組織潜入ルポ』(左右社) その昔、読書にかまけて羊を逃がしたものがいるという。転じて「読書亡羊」は「重要なことを忘れて、他のことに夢中になること」を指す四字熟語になった。だが時に仕事を放り出してでも、読むべき本がある。元月刊『Hanada』編集部員のライター・梶原がお送りする週末書評!

「学ぶべき欧米の若者たち」のダークサイド

自己肯定力が高く政治に対する強い関心があり、デモや政治活動に参加するのは当たり前。

時には政治への怒りを暴動のような形で表明する行動力がある。すぐに仲間を募って連携する組織力もある。テクノロジーに対する感度が高く、ネットを使って政治の新たな潮流を生み出すことに長けている……。

こうしたイメージとしての「欧米の若者」像の評価は、「それに比べて日本の若者は」と、本邦の現状を嘆く際の前置きのように使われている。

だが、「学ぶべき姿勢」「あるべき青年像」として評価される欧米の若者たちの行動力や政治意識、ネットスキルは、時として「ダーク」な方向にも向かい得る。

ユリア・エブナー『ゴーイング・ダーク―12の過激主義組織潜入ルポ』(左右社)は、過激主義者としてネット上に集まる若者たちの組織に潜入した女性研究者の体験記だ。

オルトライト、白人至上主義者、ネオナチ、Qアノンと呼ばれる陰謀論者、トラッドワイフを名乗る反フェミニスト女性たち、そしてISIS……。

身分はもちろん、時にルーツや出身国までを偽って、彼らのネット上の活動に参加し、実際に構成員に接触するユリア・エブナーの体験もとに書かれた本書。過激主義組織に参画する若者たちの思想や、新人勧誘、組織への貢献に従事させるテクノロジーを使った手口などを明かす。

「白人に対するジェノサイドが迫っている」

社会の分断の激化は、今やあらゆるメディアで警告が発せられている。が、正直ここまでとは思わなかった、というのが本書を読んだ感想だ。

過激主義者たちの危機感は相当、切迫している。

第7章で紹介される「WASPラブ」という白人主義者限定の出会い系サイトには、LGBTの権利拡大を「白人に対するジェノサイドが迫っている」と受け取る人たちが集う。つまり、彼らにとって同性愛者やトランスジェンダーの存在を許すことは、中絶容認と同様「次の世代の白人の誕生を妨害している」ことと同義なのだ。

だからこそ、「白人主義者の男女が出合い、結婚し、白人の子供を産む」ための出会い系サイトが必要なのだ。

また、白人至上主義者の間では、自らのルーツを証明するためのDNA検査が流行っているといい、聞いてもいないのに先祖について「イングランド系のアカディア系フランス人」などと事細かに系統を説明し始める者もいる。

これは「自らのアイデンティティ」に対する恐怖のなせる業だろう。自己肯定力の高さは、あくまでも「白人である」というルーツ込み。それを覆すような事実が見つかりはしないかと怯えてもいるのだ。

そしてこの恐怖心が、ネット上のアルゴリズムやテクノロジーによって増幅させられ、個人同士を結び付け、組織化してしまう。なまじ行動力があり、連帯感もあるだけに、過激主義組織は成長していく。

このことと冒頭で触れた「欧米の青年たちの長所」とは、まさに裏表の関係にあるのだ。

白人主義者にもISISにも通じる「見た目主義」

興味深いのは、彼ら過激主義組織の幹部たちが「外からの視線」を大いに気にしているところだ。

例えば第10章で取り上げているネオナチの音楽イベントで名前があがる人物は、「感じのいいネオナチになるためのセミナー」を開いているという。あるいは第9章で紹介されるアメリカの極右組織は「見た目がパッとしない者(病的に太っている、醜いなど)は、イベントに出てこず、家で自分磨きをしろ」とのルールを定めている。

思想を広め、仲間を集めるためには構成員や組織イメージが洗練されている方がよく、また「いざ、行動に移す」その時までは世間から危険視されない方が得策だ、との考えが垣間見える。

こうした「見た目重視」の傾向はISISにも通じるという。「主流の考えに抵抗しつつも、文化的最先端を行っている、クールなカウンターカルチャーである」というブランディングの結果なのだ。

ダサくてよかった? 日本の政治運動

翻って日本はどうか。例えば「感じのいいネトウヨになるためのセミナー」など、開いても誰も受講しないだろう。かつて日本にも「愛国的男女のための出会い系サイト」が企画されたこともあったが、すぐに見なくなった。

そもそも保守や右派の活動に「クールさ」は皆無と言っていい。街宣右翼は言うまでもないが、ネット上で保守的・右派的とみなされる政治宣伝をしているアカウントやサイトを見ても、洗練されたデザイン性の高いものはむしろ避けられる傾向にある。

「SNSなどによる煽動」はあっても、それが「何らかの組織への勧誘」に繋がっているケースは少なく、そうしたものは保守や右派という思想をはるかに飛び越えた「陰謀論」的サークルの方がうまく使っている。

比較的若い構成員が目立った、ネットで集まった人たちによる保守系・右派系の組織と言えば、2011年に発生したフジテレビ抗議デモや在特会のような「行動する保守界隈」が挙げられる。だが、こうした組織はむしろ「いかにもな振る舞い」を取り続けているし、「若者」がいても主体になることはなく、当然のことながらクラブやロックイベントとは全くの無縁だ。

むしろ、欧米の過激主義組織が用いる「クールなカウンターカルチャー」感の演出は、リベラル側と相性がいい。2015年、安保法案に即興ラップで反対を示した学生団体「SEALDs」や、「選挙フェス」を挙行した社会活動家の三宅洋平氏らがそれにあたる。

とはいえ、リベラル派・左派が全体的に洗練されているかと言えばそうでもなく、安倍政権下では「アベ政治を許さない」の筆文字をラミネート加工したバッジをカバンにつけた高齢者をよく見かけたものだった。「憲法9条を守る」という意味のデザイン性の高いバッチを付けた若者もいたが、「変える」ではなく「守る」ための若者の政治運動には火がつきづらい。

これまた「欧米青年と比べた日本の若者の欠点」同様、日本の政治運動全般に見られる「ダサさ」は、「欧米に学んで洗練されるべきもの」として挙げられかねない。だが、長所になる性質は、裏返せば副作用を生む可能性があることを知っておかねばなるまい。

政治運動はダサくてアナログなくらいでちょうどいいのかもしれない。

梶原麻衣子 | Hanadaプラス

© 株式会社飛鳥新社