信頼を築くことから始まる心理士の仕事

福島 正樹

会社員を経て臨床心理士となり、日本の精神科などで7年間勤務。今回、初めての派遣としてパレスチナでの活動に参加し、紛争の影響を受ける人びとの心のケアに携わった。(写真:本人左)

暴力にさらされる人びとの心

パレスチナ・ヨルダン川西岸地区のナブルスで国境なき医師団(MSF)が運営しているメンタルヘルスの診療所で、心理士として活動しました。 ヨルダン川西岸地区では、イスラエル軍によるパレスチナ人への暴力や拘束が日常的に起こっていて、パレスチナの人びとの体と心に大きな影響を与えています。私は4月から12月の間に約50人の患者さんのカウンセリングを担当しましたが、その中にも、イスラエル兵から本人や家族が暴力を受けたというケースが複数ありました。また、紛争の影響によるケースのみならず、対人関係などの不安を訴える方も多くいました。 カウンセリングをするに当たって最も重要なのは、しっかりと信頼関係を築いてから相談に入るということです。そのために自分のことを隠さずに話すようにしました。日本から来たということ、パレスチナは初めてだということ、朝4時にスピーカーでコーランが流れるのに驚いたこと……。パレスチナでは「ちびまるこちゃん」が人気だったので、その話題も関係づくりに役立ちました。 活動は、心理士と精神科医、ソーシャルワーカーのチームで行います。私は1日3人から5人ほどのカウンセリングを行い、週に数回はチームでミーティングに参加しました。緊急のケースがないか、薬が必要ではないか、社会復帰のための仕事が必要ではないかなど、それぞれの専門の視点で意見を出しながら、一人一人の患者さんのケアの進め方を検討していきました。

声をかけ続けることで変化が

仕事をしていて日本との違いを最も強く感じたのは、社会資源が充実していないことでした。例えば、日本では症状が落ち着いている統合失調症の患者さんはデイケアや作業所で一日を過ごすことが多いのですが、ナブルスにはそのような場所がないために、こうした患者さんは一日中家にいるということがほとんどでした。 パレスチナでは精神疾患を持つ方への理解も施設も足りず、患者さんは孤独な状況に置かれています。 そのような中で、患者さんや家族と信頼関係を築いて状況が前進することがあると、とても嬉しく感じました。十代の時にイスラエル軍に数カ月にわたって拘束され、激しい暴力を受けたという20代後半の男性は、精神疾患を発症し、いままで10年間家から出られなかったそうです。しかし、自宅訪問を重ねて診療所に来てみないかと声をかけ続けたところ、10年ぶりに外に出ることができました。 また、ある母親は引きこもりの息子の暴力が止まずに相談してきました。何とか本人と話をしようと、母親の協力のもと何度も家を訪れました。結果的に、ドア越しに話をすることまではできましたが、直接会うことは叶いませんでした。

それでも母親は、「これまで行政にも相談しましたが、ここまで動いて会おうとしてくれたのは初めてです。本当にありがとう」と言ってくれました。結果的には私の赴任中に大きな進展にはなりませんでしたが、私が訪れたことで医療者への信頼が回復し、今後の希望につながったのではないかと考えています。

会社員から心理士への転身

もともと臨床心理士になったのは、MSFに参加するためでした。会社員をしていたころから国際協力に興味がありましたが、仕事にはできないと思っていました。しかし、以前から知っていたMSFで心理士を募集しているという情報を見て、人と話すのが好きな自分は臨床心理士に向いているのではないかと、行動を始めました。 大学院に入学して学び、臨床心理士の資格を取得し、外国人の患者さんが訪れる精神科などで7年間経験を積みました。そして2020年の終わりごろに、「行くなら今だ」と決断し、MSFに応募。最初の決断をしてから実に10年が経っていました。派遣が決まった時には、一緒に大学院で学んだ仲間たちは「ついに夢を叶えたんだ!」と私以上に喜んでくれました。 今回初めて活動に参加して、さまざまな視点を学びました。世界各地から各分野のプロフェッショナルが集まり、意見をぶつけ合うことは、MSFならではの魅力だと思います。

料理が好きで、気分転換を兼ねてさまざまな料理を作りました。持ってきて良かった!と思ったのは、和食のだしです。しょうゆは多くの国で売っていますが、だしはなかなか見つからないので。次も必ず持って行こうと思います。

心理士向け募集説明会を開催します

■日時:2022年3月23日(水)18:30~20:30
■対象:MSFの海外派遣に関心のある心理士(心理士を目指す学生の方も歓迎)

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