第34回「頭脳警察黎明期 ②」

その横川純二は、京都では知らぬ者のいない山科にある一燈園出身。

西田天香さんの始めた一燈園の理事となる山田隆也氏(本名・横川)の子息であり、のちに頭脳警察が関西へ出向く折、その一燈園が基地となって活躍の場を広げられたのは、いまもって感謝の言葉もないところだ。

そして1970年を迎え、頭脳警察として初デビュー・ライブとなる神田共立講堂<第三世界のヘッドロック>に出演することとなる4月1日を前に、強化合宿練習をすることになった。

横川の伝手で秩父のヤクルト営業所が快諾してくれ、レンタカーに楽器アンプを積み込み、秩父まで運んだ。レンタカーを返しに行き電車で秩父に戻るとき、車内で耐えられない歯の激痛に涙をこぼしながら耐えていると、脇で返却に付き合ってくれていたTOSHIが背中を擦ってくれている。

そんな瞬間がいまも強く記憶に焼き付いているのはそれだけ痛かった歯の痛みだったのか、それとも背中を上下するTOSHIの左手だったのか。

なにはともあれ秩父ヤクルト営業所での1週間の合宿を終え、無事に神田共立講堂での初ライブに臨むことができたのだった。

このときのメンバーは左右栄一(のちにファーラウト)、粟野仁、そしてTOSHIと自分の4人。

一燈園と某ドーナツ・チェーンなどとの関係は有名だが、のちに日ハムの応援歌を書くことになる自分が、頭脳警察のデビューに際し、後ろでヤクルトのバックアップを受けていたとはお釈迦様でも知りますめえ~。

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