小泉今日子「BEAT POP」KYON² 主催の80年代末 J-POP 大宴会! 小泉今日子 デビュー40周年のアニバーサリー・イヤー!

アルバム「BEAT POP」KYON²だからこそ集まった多士済々なアーティスト

1988年、時はまだ “昭和” だった。当時筆者は大学3年生。サークルの部室が集まったクラブハウスに行くと、BOØWYやTHE BLUE HEARTSが、隣の部室から流れてくる…… そんな年の4月に世に出たのが、小泉今日子12枚目のアルバム『BEAT POP』だ。

本作の発売に先立って、KYON²はシングル『GOOD MORNING-CALL』を3月にリリース。小室哲哉と組み、シングル曲の作詞を初めて自ら手掛けた―― KYON²、22歳。ノリノリで怖いものナシの時期だ。

80年代半ば、聖子でもなく、明菜でもない第3の道を疾走してきたKYON²は、80年代末になると、時代の先端を行くミュージシャンたちと積極的に交流。この『BEAT POP』も「小泉今日子 スーパーセッション」というサブタイトルどおり、多彩なメンバーが顔を揃えている。

作詞・作曲・編曲陣は、クレジットから順に列挙していくと、ホッピー神山、野村義男、小室みつ子、小室哲哉、戸田誠二、加藤ひさし、サンプラザ中野、久保田利伸、松本晃彦、サエキけんぞう、窪田晴男、宇部セージ…… どう見てもアイドルのアルバムじゃない(笑)。

また前々作『Hippies』(1987年)では氷室京介が曲を提供しているが、本作では “相方” の布袋寅泰がギタリストとして参加。聴いてすぐにそれとわかるプレイで、3曲を演奏している。

しかし、よくまあこれだけ多士済々なメンツが集まったものだ。KYON²だからこそ集まったとも言える。

小泉今日子のポリシーを明確に示したアルバム

現在もその姿勢はまったく変わっていないけれど、この『BEAT POP』は

「自分が好きな人たちと、やりたいことをやる」

… というKYON²のポリシーを明確に示した一枚だ。つまりは「周りのオトナたちにやらされてるんじゃなくて、私がやりたいからやってんの!」と宣言したアルバムでもある。

「作詞:サンプラザ中野、作曲:久保田利伸」という異色の組み合わせによるA面4曲目「パーティー」はタイトルどおりのハッチャケた曲。KYON²自身が心から楽しんで歌っていることが伝わってくる。考えてみたらこのアルバムは “KYON²主催の80年代末J-POP大宴会” なのかもしれない。

また10曲中5曲の作詞(「Cutey Beauty Beat Pop」のラップ詞は野村義男と共作)をKYON²自身が手掛け “作詞家・小泉今日子” としての顔を前面に打ち出したのも見逃せないところだ。

個人的に当時「お?」と思ったのは、7曲目「Happy Blue ★」(作曲:ホッピー神山)の「♪時間がたっぷりあまってるから ゆううつなしあわせ楽しんでる」というフレーズだ。別に悩みなんてないんだけど、わざと深刻ぶった顔をして、そんな自分を鏡で見てうっとりする…… なんなんだ、この文学性は。KYON²の才能、おそるべし。

ディレクター田村充義が勧めた作詞

筆者は、かつてビクターでKYON²の担当ディレクターを務めた田村充義氏に当時の話を伺ったことがある。スペクトラムや、小中学生のテクノバンド、コスミック・インベンションなどを手掛け、KYON²に作詞をするよう勧めた功労者だ。

田村氏によると「彼女は、物事の見方が正確なんです。ドラマのここが面白かったとか、なぜ面白いのかをいつも分かりやすくスラスラッと語ってくれて。『あ、この人は詞が書けるな』と直感しました」

しかしKYON²は当初「プロの作詞家が書いた作品の中に、素人の私の詞が並ぶのは申し訳ない」と遠慮した。だが、どうしても詞を書いてほしかった田村氏は、KYON²にこんな手紙を書いたという。

「今までは『これをやりなさい』という仕事をやっていればよかったかもしれない、でも、これからは自分で仕事の方向性を決めていかないと、いずれ立ち行かなくなる時が来る。そういう意味でも今、作詞にチャレンジしてほしいんだ」

「わかった」と了承し、まずはアルバム曲を作詞するようになったKYON²。最初はペンネーム(美夏夜)を使い、自作であることを公表しなかったが、アルバム『Phantasien』(1987年)から「そろそろいいかな」と解禁。“作詞:小泉今日子” とクレジットを入れるようになった。自分でも納得の行く詞が書けるようになったからだ。

オールナイトニッポンから始まった様々な才能との出会い

その助けになったのが、当時担当していた『オールナイトニッポン』(水曜1部)である。1986年4月、弱冠20歳で始めたこの番組には、彼女が逢ってみたい人たちがゲストとして次々にやって来た。田村氏もよく同行していたそうで、いわく「あの番組で人脈を広げ、幅広いジャンルの曲を聴いたことが、彼女の内面的成長につながった。そこでよく次の企画が生まれたりしましたよ」。

この『BEAT POP』もまさにそうで、参加メンバーの一人・サンプラザ中野は、KYON²とちょうど同時期に『オールナイトニッポン』のパーソナリティを担当していた(金曜1部)。つまり “ヨコのつながり” だ。

ラジオを媒介にして様々な才能と出逢い、彼らに触発されて、あるいは逆に刺激を与えて、歌謡曲の裾野をグンと拡げていったKYON²。

今年1月、筆者は拙著『昭和レコード超画文報1000枚』(303BOOKS)を上梓したことがきっかけで、KYON²のポッドキャスト番組『ホントのコイズミさん』にゲストとして招かれるという僥倖に預かった。

その際、田村氏の話になり、私が上記の話をしたら、KYON²はこう言った――

「田村さんは作詞とか、いろんなことへ自然と導いてくれた。(今やっていることは)あそこから始まりました。小泉今日子の中の成分として、田村さんは40%ぐらい入ってますね」

カタリベ: チャッピー加藤

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