京都の府立高校「唯一」のセーラー服が消滅 卒業生からも惜しむ声

卒業証書授与式・継承式に臨む宮津高卒業生(3月1日午前11時17分宮津市滝馬)

 日本初の学校制服のセーラー服が誕生した京都。この春、府立のセーラー服の女子高生がいなくなった。唯一採用していた高校の3年生が卒業したためだ。地元で見慣れた登下校の姿も見られなくなり、卒業生からも名残惜しむ声が聞こえた。

 1日、全日制生徒155人が学び舎を巣立った。3年間の思い出を振り返るかのように体育館に入場し、宮津高校歌を静聴した。

 同高は1948年に設立。当時からセーラー服が採用されており、冬は黒地の服に白のネクタイ、夏は白地に紺のネクタイだった。襟と袖口、胸ポケットに2本の白いラインが入る。式に参列した保護者で88年卒業生の女性(52)は「毎朝リボンを結ぶのが大変で、形がきれいに決まったら、ほどかずに使い続けました」と苦笑する。

 府立高再編により、同高と加悦谷高(与謝野町三河内)が統合、学舎制を採用して20年4月に宮津天橋高が開校した。制服も、龍のエンブレムに青や桃、白のチェックが特徴のブレザーに生まれ変わった。

 卒業証書授与式の後、宮津高から宮津天橋高への継承式が催され、卒業生から在学生へ校旗が手渡された。前生徒会副会長の茂籠(もろ)朋花さん(18)は「地域の人からも宮高と言えば学ランにセーラー服と親しまれていたので、さびしい」とぽつり。「この制服で過ごせたのはよい思い出です」

 制服のタイプは時代とともに変化し、折々の世相を反映してきた。

  日本で初めてセーラー服を学校制服に採用したのは京都市上京区の平安高等女学校(現平安女学院)とされる。1920年に、はかまから洋式制服に代わった。ウエストにベルトが付いた紺色のワンピースで、大きな襟が特徴だった。

 戦後、男子は学ラン、女子はセーラー服やスーツタイプの制服が主流だったが、70~90年代にブレザーが台頭し始める。

 大手制服メーカーの菅公学生服(岡山市)によると、高校進学率の上昇で新設ラッシュが起きた。各校が独自色を出すためにスクールカラーを反映でき、デザインの幅もあるブレザーが採用され始めたという。

 また、同時期にドラマや漫画で不良ブームが起こり、丈の短い学ランや長スカートなど変形学生服が増加した。風紀の乱れ対策や非行防止に制服の見直しが活発になったという。

 2015年には、文部科学省が性的少数者の児童生徒への配慮を求める通知を出し、スカートとスラックスを選択できる学校も増えているという。

 一方、制服の選択肢が増えたとしても、個々の生徒の好みを反映するには限度がある。京都華頂大の馬場まみ教授(服装史)は「集団生活では一定の規範が必要で、制服にその役割を求めてきたが、服選びは自身の考えや表現の自由と結びついており、何を着るかは生徒たちの意思が尊重されなければならない」とし「選択肢の一つに私服も加えてはどうか」と提案する。

 学校へ通う服装を制服でも私服でも自由に選べる日が訪れた時、京都のまちをセーラー服で闊歩(かっぽ)する高校生が再び現れるかもしれない。

 

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