フリー・ジャズの先駆者、米サックス奏者のオーネット・コールマンのブルーノート・イヤーズをまとめた6枚組『ラウンド・トリップ』徹底解説♪

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【DIGGIN’ THE VINYLS Vol.14】 Ornette Coleman / Round Trip: Ornette Coleman on Blue Note

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(文:原田 和典)

総重量3000グラム超えのLPボックスが登場した。オーネット・コールマンのブルーノート・イヤーズをまとめた6枚組『ラウンド・トリップ』である。ジャケット写真は『ニューヨーク・イズ・ナウ Vol.1』のそれと同じ時のもの。“オーネットはとても金銭的に恵まれていた”という話はきいたことがないし、本人を目にしたところで格別に足が長いとか背が高いという印象を持つことも個人的にはなかった。なのに彼は本当におしゃれで、着こなし方がパリっとしていてかっこいい。こういうひとこそベスト・ドレッサーと呼びたい気分だ。

6枚はそれぞれ別のジャケットに収められているが、『エンプティ・フォックスホール』など元来シングル・ジャケットで出ていたものも、レア・フォトを掲載したダブル・ジャケットに変更されている。半世紀以上前に出たオリジナル盤に倣ってレプリカをつくるのではなく、2020年代の感性とテクノロジーを伴ってより良い“決定版”を創ってしまおうというブルーノート社スタッフの熱意を感じる。マスタリングはケヴィン・グレイが担当、監修は“トーン・ポエット”ことジョン・ハーリー。間違いようのないコンビだ。

<動画:Round Trip: Ornette Coleman On Blue Note - Tone Poet Vinyl Boxset (Trailer)

オーネットにとって、ブルーノート・イヤーズとはなんだったのか。ぼくは「安定性とゆるぎなさの増した音楽が素晴らしい音質で捉えられた時代」「アルト・サックス奏者として真の開花を迎えた時代」「オーネット流アコースティック・ジャズの極み」ではないかと考えている。彼が苦節十数年の末、初アルバム『サムシング・エルス』をロサンゼルスのレーベル“コンテンポラリー”に録音したのは1958年のこと。

ほとんど話題にならなかったようだが、翌年秋、ピアノ奏者ジョン・ルイスらの肝入りでニューヨーク・デビューを果たすと、たちまち賛否両論の大渦に巻き込まれた。「まさに革命児」「今後のジャズを指し示す音楽」から「まともに演奏できるのか?」まで。ロイ・エルドリッジやマックス・ローチは“否”の態度をとった。

<動画:Invisible

オーネットは62年12月にニューヨーク「タウン・ホール」で自主公演を開催後、人前での演奏活動を停止する。その間、プラスチック製のサックスを通常のサックスに替え、ヴァイオリンやトランペットも手がけ始めた。復帰公演をニューヨークの「ヴィレッジ・ヴァンガード」で開催したのは65年1月とされる。

いかにしてブルーノートと結びついたかについては諸説あるものの(前衛音楽専門のレーベル“ESPディスク”創始者のバーナード・ストールマンは、“俺がブルーノートのアルフレッド・ライオン、インパルスのボブ・シール、CBSコロムビアのジョン・ハモンドにオーネットを売り込んだおかげで、その会社からアルバムが出た”とESPに関する評伝『オールウェイズ・イン・トラブル』中で発言しているが、面白いけれど信じる気は起こらない)、とにかく、サックスを思うままに操っている風のオーネットと、ファンキーなソウル・ジャズから先鋭的なモード・ジャズまでさまざまな音楽を世に問うていたブルーノートの出会いは大成功だった。

<動画:Faces And Places (Live)

●ライヴ・アット・ゴールデン・サークル Vol.1, Vol.2  (1965)

オーネット復活を高らかに告げたライヴ・レコーディングといっていいだろう。共演は前述「タウン・ホール」コンサートと同じデヴィッド・アイゼンゾン(ベース)とチャールズ・モフェット(ドラムス)。彼らはオーネットがシーンから離れていた2年数カ月、いろんなバンドで腕を磨き、オーネットから準備完了の声をきいて再び合流した。そのくらいオーネットには人を引きつける力があるということだ。

「ゴールデン・サークル」はストックホルムのジャズ・クラブ。録音エンジニアは現地で手配され、ブルーノート社からはカメラマンのフランシス・ウルフが訪れている。ブックレットにはレコーディング中と思われる写真も掲載されていて(筆者は初めて見た)、演奏者どうしの距離の近さ、マイク(場内拡声用ではなく、録音用のものだろう)と楽器の接近ぶりにも驚かされる。なだれ落ちるようなベース音、ゴウゴウと鳴り渡るシンバルは、このマイク・セッティングで捉えられているのだ。

<動画:Antiques (Live At The Golden Circle, Stockholm/1965)

●エンプティ・フォックスホール (1966)

このタイトル、かつて評論家の牧芳雄氏が“防空壕”と訳していた記憶がある。ベースの座には約5年ぶりにチャーリー・ヘイデンが復活、ドラムを叩くのは当時10歳の息子デナード・コールマンだ。本作を聴いた大御所ドラマーのシェリー・マン(オーネットが59年春に録音した『明日が問題だ』に参加)はこの少年の演奏に“マイナス5つ星”をつけて酷評した。録音はルディ・ヴァン・ゲルダーが担当。オーネット関連作に携わったのは当盤と後述『ニュー・アンド・オールド・ゴスペル』ぐらいか。左チャンネルに寄りすぎているきらいはあるが、むろん力強く、美しく、つややかに、アルト・サックスの音が捉えられている。

<動画:The Empty Foxhole

●ニューヨーク・イズ・ナウ Vol.1 (1968)

“元ジョン・コルトレーン・カルテットのエルヴィン・ジョーンズとジミー・ギャリソンが参加”

“しかもギャリソンは、コルトレーン加入前にオーネットのバンドにいたことがあるため、これは一種の再会レコーディングにあたる”

“さらにいうならギャリソンは「こんな音楽につきあっていられるか」とオーネットのバンドを飛び出してコルトレーンと合流したらしいので、これは出戻り・仲直りセッションでもある”

“オーネットとは少年時代からの友人であるサックス奏者デューイ・レッドマンが参加、この録音の約9か月後に息子ジョシュア・レッドマンが誕生する”

“パット・メセニーのフェイヴァリット・アルバムで、ここから「ブロードウェイ・ブルース」や「ラウンド・トリップ」をカヴァー”

話題性たっぷりの一枚だ。ジャケットの背、およびレーベル(レコード盤の、曲目等が書いてある部分)にはVol.1とあるが、Vol.2は存在しない。

<動画:Broad Way Blues

●ラヴ・コール (1968)

録音から約3年後の1971年上旬に発売された。『Vol.1』から期間が空きすぎたためか、『Vol.2』というクレジットは最初からなく、まず『エアボーン』という仮題がつけられた後、『ラヴ・コール』が正式タイトルとなった。演奏は『Vol.1』と同水準の鮮やかさ。

<動画:Airborne

●ジャッキー・マクリーン『ニュー・アンド・オールド・ゴスペル』 (1967)

オーネットがサイドメンとしてアルバムに全面参加することは極めて珍しい。しかもトランペット奏者として顔を出している。2001年にジャッキー・マクリーンがスミソニアン・ジャズ博物館の取材で語ったところによると、オーネットとの共演企画はブルーノート社長アルフレッド・ライオンの勧めだったらしい。

マクリーンは「アルト・サックス競演か、それも面白いな」という気持ちだったそうだが、オーネットはアルトに乗り気ではなく、トランペットに専念したいと主張した。「気が動転した。だってオーネットがアルトを吹かないんだもの。彼はトランペット奏者でも、ヴァイオリン奏者でもないのに」とマクリーンは振り返り、オーネットは彼なりにトランペットをがんばってはいるのだろうがテーマ・メロディを吹き切れていない。それでもマクリーンとオーネット双方の音楽を愛する自分にとっては、興味深いお宝であることに変わりはない。

<動画:Old Gospel (Rudy Van Gelder Edition)

(作品紹介) 
Ornette Coleman / Round Trip: Ornette Coleman on Blue Note

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