韓国映画『愛の終わり、私のはじまり』は、一編の詩を読むような一本

交通事故で夫のジェインを失ったジョンハと、彼と不倫関係にあったナルの奇妙な同居を描いた作品。このように紹介されることが多い『愛の終わり、私のはじまり』は、確かに女性二人の奇妙な関係が中心となっています。ただ、冒頭描かれるジェインとナルの情事が、実は自身が書いている小説のストーリーとして、ジェインがジョンハに語り聞かせるシーンに続くのを見れば、これが単純にストーリーを追う映画ではないとすぐに気づくことでしょう。

ジェインとジョンハは最初に登場した時点ではまだ夫婦ではなく、おそらく大学の同期会で久々に出会って、二人してそこを抜け出しジョンハの誘いで彼女の家に来たことがわかります。ここから映画は、過去と現在、ジェインが語る物語と現実らしき世界を行き来するようになり、その境目が曖昧になっていくのです。

間もなく、ジョンハとナルは旧知の仲で過去に彼女たちの間に何かがあったらしいことも匂わされますが、それが何かははっきりとは知らされず、3人に起きた出来事や関係について説明はされません。

事故当日、ジェインと一緒にいて負傷したことで明らかになったナルとの関係に、ジョンハは深く傷つきます。そんなジョンハの前に突然現れたナルは自分を家に置いて何でも言いつけて欲しいと懇願し、奇妙な同居が始まるのです。

そこに描かれることは現実か、ジェインの創造物なのか、それともジョンハの妄想なのかは判然としません。ひょっとして、歪められた誰かの記憶だったりするのかもしれません。全てにおいてその輪郭は茫洋としていて、霧の中を手探りで進んでいくような感覚に襲われたりもします。 

全編に漂う幻想的でミステリアスな空気は、俳優たちが醸し出す危険な香りによるところも大きいでしょう。ジョンハを演じたオム・ジョンファは、ミン・ギュドン監督のオムニバス映画『私の生涯で最も美しい一週間』で組んだ縁から、台本も見ずに出演を決めたのだとか。

揺れ動く彼女の感情を繊細に表現しています。ジェイン役は同作で彼女と共演したファン・ジョンミン。素朴な人物からヤクザまでどんな役柄でも自在に演じる名優が、創作に苦しみ、若い女性の中にインスピレーションを求める小説家を演じました。

二人は本作の後『ダンシング・クイーン』でも夫婦役で共演。ファン・ジョンミンは「女優でこれまで最も息が合った共演者は?」と聞かれ、オム・ジョンファの名前を即座に挙げたほど深い信頼関係が画面から伝わってきます。

そんな彼らの仲をかき乱すナルに、独特の個性を持ったキム・ヒョジンが扮してコケティッシュな持ち味を披露。ナルは果たして実在しているのか、などと疑問も抱かせる微妙な存在感が印象的です。また、劇中ジョンハと電話で会話する医師役でチェ・ミンシクが声の出演をし、ジョンハの母役にイ・フィヒャン、弟役でキム・ガンウが特別出演という豪華さも目を引きます。

ミン・ギュドン監督は作品の意図について「始まる時、すでに終わりが予告された関係があり、そしてその終わりに始まりがあることを、ジョンハとジェインの関係と新たに登場するナルを通して描こうと考えた」と語っています。

詩人T・S・エリオットの「私の始まりに終わりがあり、私の終わりに始まりがある(In beginning is my end. In my end is my beginning)」という詩の一節に触発されて企画。原題である『終わりと始まり』は、ノーベル賞を受賞したポーランドの詩人ヴィスワヴァ・シンボルスカが1993年に発表した詩集のタイトルから拝借したのだそうです。

『愛の終わり、私のはじまり』おうちでCinem@rtにて独占配信中 © 2013 SOO FILM, DAISY ENTERTAINMENT ALL RIGHTS RESERVED

確かに、始まりがあれば終わりがあり、終わりがあってこそ始まりがあると言えますが、始まりと終わりが明確ではない物事は多く、3人の関係もメビウスの輪のようで、どこが起点でどこが終点かを見極めることは容易ではありません。ただ、始まりや行き着く先がはっきりとわからなくとも、劇中の不安定な時間の流れが呼び起こす不思議な感覚は妙に心地よく、それが作品の大きな魅力となっています。

起承転結のある小説ではなく、一編の詩を読むように、この映画を味わってみてください。


Text:小田香

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