小泉今日子 × 近田春夫「KOIZUMI IN THE HOUSE」ハウスをやっても自然体!  小泉今日子 デビュー40周年のアニバーサリー・イヤー!

正統派アイドルのステレオタイプから脱却した小泉今日子

「花の82年組」がアイドル原体験だった僕にとって、小泉今日子には何度驚かされたかわからない。多くの人がそう思っていると思うが、4枚目のシングル「春風の誘惑」のリリース後、しばらくして見せたショートカットはアイドルの革命と言っても過言ではない。

 去年の春より 大人になった私
 きっと白い蝶になって
 飛びたてるわ あなたへ

この曲で彼女は、夢見がちな少女の心情を襟つきのドレスで歌っていた。これが、レイヤードカットのヘアスタイルで正統派アイドル路線を全うしていた最後だった。そして、髪を切って心機一転この3か月後にリリースされた「まっ赤な女の子」では――

 ぬれたTシャツ ドッキリ
 脱げばキラリ 赤いビキニ Yeh! Yeh!
 あなたチェアーの上で
 薄目あけて わたしことを見た

挑発的な攻めのショートカットと共に、清純派アイドルという固定化されたイメージ(ステレオタイプ)から見事に脱却。当時、女のコと手をつなぐこともままならない中学生の僕にとっては、ブラウン管の向こうにいる彼女の顔を真っすぐ見られないほど衝撃的な出来事だったし、ショートカットも悔しいほど似合っていた。

「春風の誘惑」のリリースが1983年2月5日。その直後に髪を切ったとすると、「まっ赤な女の子」がリリースされる5月5日までの間に彼女の身に何が起こったんだ? と真剣に考えたファンも少なからずいただろう。

そして、このアイドルの革命とも言えるショートカットは、小泉今日子のその後の活躍を示唆する象徴的な出来事であったように思う。

小泉今日子×近田春夫、ユースカルチャーとの密接な関わり

そんな彼女が、街のユースカルチャーと密接にリンクしてきたのが、80年代の終わり。1988年12月17日にリリースされた13枚目のオリジナルアルバム『ナツメロ』である。同アルバムは全曲カバーで70年代から80年代初頭のポップでドリーミーな世界が凝縮された名盤として今尚人気が高い。

特にシングルカットされたフィンガー5の「学園天国」はクラブでも頻繁にプレイされるキラーチューンとなった。これをきっかけに、和モノと呼ばれる邦楽ナンバーをプレイする DJ が増えてきたというのもおそらく事実だろう。

このアルバムには、近田春夫のバックバンドを前身とし、近田氏がソングライティングに名を連ねたジューシィ・フルーツの曲が二曲収録されている(※注)。この経緯から、1989年5月21日にリリースされ、時代の転換期に相応しい名盤となった『KOIZUMI IN THE HOUSE』では近田春夫がプロデュースを担う。80年代後半、当時は DJカルチャー としてニューヨークを中心に人気が高まった四つ打ちのハウスミュージックが日本に浸透しはじめた時期。テレビを通じお茶の間へ大きな影響力を放っていたキョンキョンが、時代の最前衛を世に放つという極めて実験的な試みであった。

1987年の近田氏と言えば、スクラッチやサンプリングなどの手法を取りつつ、バンド演奏主体で日本語のリリックにこだわりながらヒップホップをクリエイトしたビブラストーンを結成。僕らの新しい音楽的価値観の指針となっていた。

そんな近田氏とタッグを組んだアルバムで、キョンキョンはミュージシャンとして、革新的な音に真正面から取り組みながら、国民的アイドルというスタンスを崩す様子は微塵も感じられなかった。その姿は新しい価値観が生まれる90年代を駆け抜けようとする僕らの伴走者のようにも思えた。

90年代の到来をいち早く示唆した名曲「Fade Out」

 Ah 今頃 Disco では
 Ah 友達が私達待っているのに
 Ah 約束やぶって
 Ah 二人きり ハイウエイに消えて行くわ

アルバムの1曲目に収録され、シングルカットされた「Fade Out」の歌詞では Disco というひとつ前の時代を象徴する古めかしい言葉を使いながらも、最先端のハウスミュージックに仕上げることで時代の変化を示唆していたと思う。こうして僕らは一足早く90年代の到来を感じたのである。

また、このアルバムには、渋谷系でブレイクする直前のピチカート・ファイヴ、小西康陽が楽曲提供した「CDJ」という曲も収録されている。

 あなたにはお気の毒だけど
 あなたの大切なレコードを
 割っちゃった

 あなたには「お気に入り」かもね
 私にはうるさいだけのゴミ
 割っちゃった

 いますぐ DJ
 あの曲 DJ
 かけておくれよ CDJ
 しばらく DJ
 この場を DJ
 つないでおくれよ CDJ

レコードオタクで、クラブDJか何かをやっている彼氏との破局をキャッチ―に描いた世界観も秀逸だ。ここでもレコードからCDへと、時代の転換期に居合わせた僕ら音楽リスナーの心情を見事に具現化していた。

その後、キョンキョンは90年に、藤原ヒロシ、屋敷豪太をプロデューサーに迎え、『No.17』という名盤を残す。80年代終わりから90年代にかけて、時代の先端を行くアーティストたちとクリエイトしてきたキョンキョンの軌跡は今尚、僕の脳裏に焼き付いている。

―― 音楽活動にとどまることなく、執筆、映画出演など、マルチに活動の場を広げ才能を開花させたキョンキョン。女性として、アーティストとして、内面を深化させ、どんなに変化を遂げても… 小泉今日子のスタンスは、80年代から変わることはない。

その姿勢は、常にたおやかで自然体だ。

※注: 『ナツメロ』には、ジューシィ・フルーツのカヴァー「お出かけコンセプト」「恋はベンチシート」が収録されている。

※2018年10月19日に掲載された記事をアップデート

カタリベ: 本田隆

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