地下鉄でサリンが入った袋7つを回収した元警察官の述懐 あれから27年、今も手に残る「ぬるっとした感触」

取材に応じる神正三さん=3月4日、東京都千代田区

 1995年のオウム真理教による地下鉄サリン事件は、都心を走る地下鉄車両に猛毒のサリンがまかれた未曽有のテロだった。当時、警視庁警備部に所属していた神正三(じん・しょうぞう)さん(72)は処理班として地下鉄駅に駆け付け、サリンが入った袋七つを回収した。早期の対処でさらなる惨事を防いだ形だが、サリンの影響で瞳が小さくなる「縮瞳」に悩まされることになった。14人が死亡、6千人以上が重軽症を負った事件から27年。既に“教祖”らが死刑に処された今もトラウマが残り、オウムがばらまいた「闇」への嫌悪感は消えない。(共同通信=岩橋拓郎)

 ▽混乱伝える無線交信

 「日比谷線の八丁堀駅。病人2名、気持ち悪くなったものが2名いるそうです。詳細、判然としません」。当時の無線交信記録は病人発生の一報で始まる。95年3月20日、月曜日の午前8時20分ごろだった。「歩道上に何人も倒れております」。「人工呼吸中。救急隊の話によると危ない状況」。その後、地下鉄駅などから現状を知らせる通報が相次いだ。

1995年3月20日、地下鉄日比谷線築地駅前の路上で手当てを受ける地下鉄サリン事件の被害者

 神さんは当時45歳。そのとき、東京・桜田門の警視庁本部庁舎内で、2日前に届いたばかりの生化学防護服をたまたま着用していた。オウム真理教による不測の事態に備え、64着を納品し、警視総監ら幹部に披露するためだった。

 「爆発物によるゲリラ事件が発生した」「新聞紙に入った液体、これが落ち、ガスが出てきた」―。急激に騒がしくなる無線が現場の混乱ぶりを伝えていた。情報が錯綜していて何が起きたのか判然としなかったが、「オウムの仕業だな」とぴんときた。そのまま「現場へ状況確認に行ってこい」と命じられた。

 警視庁本部から約100メートル離れた地下鉄霞ケ関駅に同僚3人と着いたのは午前9時ごろ。直前に防護マスクを着け、駅構内へ。防護服の中は汗ばんでいた。通勤時間帯なのに周辺には人がいない。わずかに警視庁鑑識課員の姿が目に入った程度だった。

 日比谷線ホームに止まっていた中目黒発東武動物公園行きの車両へ駆け付けた。ドアは開かない。先着した警察官が開けていた窓の上部の隙間から車両内に入り込んだ。新聞紙にくるまれた袋二つが転がっていたのは、先頭から2両目の床。新聞紙はぬれていて、周辺の床にも液体が漏れ出ていた。ゴム手袋をした手で液体を少しだけかき集め、新聞紙と袋二つを持ち上げると「ぬるっとした感触」があったと記憶している。窓の外の同僚に手渡し、回収した。

 ▽「物体」の正体

 地上に出て警視庁の科学捜査研究所(科捜研)に向かう途中、防護マスクを外した。後から振り返れば、そのときに少しサリンを吸ってしまったのかもしれない。当時は気が付かず、警備部幹部に「物体回収」を報告している際、日比谷線小伝馬町駅でも同様の「物体」があるとの無線が入り、急行することになった。「物体」はサリンの可能性があると知らされたのはこのときだ。

防毒マスクを着けて捜索にあたる捜査員=1995年3月20日、東京・地下鉄日比谷線築地駅前

 午前10時半ごろに小伝馬町駅に到着すると、既に現場展開していた上司から「死者が出ている」「消防関係者が駅構内で倒れた」と口頭で伝えられた。袋入りの「物体」はホームの支柱の脇で見つかった。電車内から乗客が外に蹴り出したようで、包装用の新聞紙が破れ、中のビニール袋が見えていた。

 スコップで3袋を回収すると、次は「地下鉄霞ケ関駅、千代田線駅長事務室に同様物件あり。至急回収せよ」と指示され、午前10時55分に到着。サリンは駅助役がそれとは知らずに回収していた。助役は間もなく亡くなった。神さんはここで2袋を回収し、同僚3人と警視庁本部に戻った。そのときだった。

 「なんか暗いよね」

 庁舎内は蛍光灯がついているのに周囲が暗く見える。時間は正午ごろ。暗いわけがない。目の瞳孔が萎縮しているのではないか。サリン特有の症状「縮瞳」だ。一緒にいた3人も同様の症状を訴えた。

 「外に出ると、横断歩道がゆがんで見えるんですよ。白い線がぐにゃりと曲がっていた」

 すぐに病院に行ったが、事件の2日後には山梨県内のオウム真理教施設への一斉捜索のため、慌ただしく現地へ向かった。施設内にあったドラム缶約600本にはサリンの原料が入っていた。

 ▽闇へのトラウマ

 「目が見えない、苦しがっている人がいる」。発生直後の無線交信でも、瞳が小さくなる縮瞳とみられる特有の症状が報告されていた。神さんは「事件後、字が少し読みにくくなったけど、年のせいかな」と気丈に笑い飛ばす。

富士山麓に点在したオウム真理教の施設=1995年3月、山梨県上九一色村(当時)

 一方で「トラウマがあって、夕方になると無意識のうちに早めに電気をつけるようになった」とも明かした。「暗いのは嫌だという気持ちが芽生え、早く明るくしないと」と思うようになったという。地下鉄サリン事件で警察関係者は約170人がサリン中毒になった。

 2010年に警視庁を引退した後も、警察大学校で幹部候補を相手に当時の経験を語ってきた。「不安はあったが、誰かがやらないといけないことだった」。18年にはオウム真理教の松本智津夫元死刑囚=執行時(63)、教祖名麻原彰晃=や教団幹部らに対する刑が執行されたが、今も後遺症に苦しむ人がいる。時代が変わっても、日本最悪のテロの記憶を語り継いでいくつもりだ。

関連動画「オウム真理教が残した『闇』」はこちら

https://youtu.be/vcujK2CbqSI

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