広がるスポーツ界のロシア除外、為末大さんの考えは? ウクライナ侵攻にどう対応すべきか

女子テニスのGNPセグロス・オープンで、試合を終えて握手するウクライナのスビトリナ(左)とロシア出身のポタポワ=3月1日、モンテレイ(ゲッティ=共同)

 ロシアのウクライナ侵攻を巡り、ロシアと支援国ベラルーシをスポーツの国際大会から除外する動きが広がっている。国際パラリンピック委員会(IPC)も北京冬季パラリンピックで一度は個人資格での出場を認めたが、一転して認めない判断を下した。混乱する国際情勢でスポーツはどうあるべきか。陸上男子400メートル障害の世界選手権銅メダリストで五輪に3度出場した為末大さん(43)に話を聞いた。(共同通信=渡辺匡)

 ―ロシアなどの選手を排除する動きが強まっています。

 「スポーツ界として(侵攻に)強く反対すべきだし、制裁もすべきだと思います。それが前提ですが、私は選手の除外には反対です。対話、交流の場を残さず、相手が何を考えているか分からなくなることは最悪の分断の始まりではないでしょうか。過去には外交が分断されても選手同士がつながることでスポーツは世界平和に貢献してきました。例えば米国と中国の関係正常化につながった『ピンポン外交』。スポーツまで分断されていれば、こうしたことは起きなかったと思います」

 ピンポン外交は1971年、卓球の世界選手権名古屋大会で米国選手が中国選手団のバスに乗り合わせたことが契機になった。緊張関係にあった両国の雪解けが進み、当時は「小さなピンポン球が大きな地球を動かした」と評された。

 ―スポーツが平和に果たせる役割とは何でしょうか。

 「最悪の状況を避けるには対話の場所を残すことが大事です。私はそれができるのは文化、科学、そしてスポーツの役割だと考えています。これらには共通言語があり、国の違いを乗り越えやすい。たとえ今が難しくてもパイプを残すことが将来の(関係の)復帰や対話、交渉のしやすさにつながる。何かをつないでおくツールとしてスポーツを使うべきではないかという発想です」

 北京パラリンピックではIPCがロシア、ベラルーシの国名などを使わない「中立」の立場で個人資格の出場を認めることを一度は決定。しかし、多くの出場国が両国との対戦拒否やボイコットの意向を示したことを受け、撤回となった。インターネット上でも「除外して当然」の意見が多い。

ロシアのウクライナ侵攻で揺れ動くスポーツ界について、オンライン取材に応じる為末大さん=3月2日

 ―北京パラリンピックの除外という結論をどう感じていますか。

 「今の国際世論からすれば『そうだろうな』とは思います。でも、どんな制裁を科したとしても出場は認めた方がいいというのが私の意見でした」

 為末さんはこう語った上で、五輪やパラリンピックなどの特徴でもある選手村での自身の体験談を明かした。

 「選手村でバナナを手渡すなど北朝鮮と韓国の選手がやりとりする風景を見ました。『国の監視から離れるとこういう振る舞いをするんだ』という印象が今も強く残っています。選手村は関係者以外が入れない。そういう場所で『本当はどう思っているの?』といった会話がされることが重要ではないでしょうか。こうしたことはじわじわと効いてくる。ロシアがプロパガンダ(政治宣伝)として国民に情報を流している中、世界中の価値観がなだれ込めば(ロシアの)考えも変わるかもしれない。スポーツが平和に貢献する場になるのではないかと考えていました」

 スポーツは「政治から中立であるべきだ」と叫ばれ、五輪憲章第50条では競技会場などでの政治的、宗教的、人種的な宣伝活動を禁じている。ただ、歴史を振り返れば、スポーツは政治に左右される歴史を繰り返してきた。

北京冬季パラリンピックの開会式で、入場行進するウクライナ選手団。拳を突き上げる人もいた=3月4日、北京(共同)

 ―スポーツと政治の関係性をどう捉えていますか。

 「多くの国は国威発揚の意味合いで(国の)支援が行われ、切っても切れないところがあります。国の代表選手になっている時点で切れない関係です。国家の意向に従うだけならただの国別対抗戦であり、スポーツの価値はなくなる。一方で完全に離れて民間だけだと外交上の価値がなくなる。選手が自由な存在であり、世界とつながるというバランスによって、スポーツが国際社会や平和に貢献する役割を果たせるのではないでしょうか。縦糸としては国の代表としてのアイデンティティー、横糸は(他の選手と)同じスポーツをしているというアイデンティティー。この二つで織られているのがアスリートです。スポーツと政治はバランスの世界で成り立っていると思います」

 ロシアの軍事侵攻を受け、インターネットや会員制交流サイト(SNS)では世界中のアスリートからさまざまな反応が出ている。為末さんは「(海外に比べ)日本のアスリートは意見することが少ない」と感じ、強い問題意識を抱いている。

 ―今回の問題だけでなく、新型コロナウイルス禍での東京五輪開催の是非など日本のアスリートがSNSで発信することが少ないことが話題となりました。どうしてだと思いますか。

 「3分の1は本人の責任、あとの3分の2はコーチ、社会の責任があると思います。アスリートは競技だけをやっていればいい、それ以外のことに首を突っ込むなという空気が根強い。私も現役時代に『競技に関係ない発言をすると余計なことを引き起こす』と言われました。でも、影響力を持つアスリートには言葉というカードがある。容易に使ってはいけないカードかもしれませんが、もっと社会を変えることに使ってほしい。SNSが普及する今の時代において、そうしたアスリートが尊敬される時代になってきたと思います」

 ―戦争という繊細なテーマで、発言しにくいという面も影響しているでしょうか。

 「確かに複雑だし、勇気がいることです。個人で難しければ、選手会などで声明を出すのも一つの手。全てのイシュー(事柄)に対してコメントするのは大変だし、自分の関心や立場を決めて発信してもいい。私は現役引退後の選手を支援する活動をしていますが、社会に対して意見を持てない選手が増えすぎている印象があります」

 「ブラック・ライブズ・マター(BLM=黒人の命も大事だ)」運動などがきっかけとなり、東京五輪では選手の表現に関する規制が一部緩和された。SNSの情報発信がしやすくなった一方、中傷被害も増えた。

サッカー欧州リーグの試合前に「戦争をやめろ」の横断幕を掲げるナポリとバルセロナの選手=2月24日、ナポリ(ロイター=共同)

 ―メッセージを発信することに不安を覚えているアスリートも多いかと思います。

 「場合によってはタブーとなる言葉もあります。そのために日本のアスリートはもっと他国の文化を学ぶなど表現の仕方をトレーニングしてもいいと思います。精神的なケアを支援する人の存在も必要です。だからといって怖がって発言しないという時代ではありません。デジタルを身近に育ったZ世代はSNSで声を上げています。同世代であるアスリートが保守的に見えている現状は変えた方がいいと思います」

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 ためすえ・だい 1978年広島市生まれ。陸上男子400メートル障害で2001年と05年世界選手権銅メダル。五輪は00年シドニー、04年アテネ、08年北京と3大会出場。

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