韓国俳優イ・ジュンギ語る「僕も泣いたり笑ったりしながら、視聴者の方たちと同じ目線、同じ感情で観ました」

「悪の花」プロモーションでのインタビュー(2021年)Photo by Kim Daun(STUDIO DAUN)

主演最新作の韓国ドラマ「悪の花」の演技で俳優人生の集大成とも評価されたイ・ジュンギさん。本作では大きな秘密を抱える夫ペク・ヒソンを演じました。「悪の花」に出演を決めた理由や演技のアプローチについてイ・ジュンギさんにお話を聞きました。


― まず「悪の花」で演じたペク・ヒソンの役について簡単にご紹介をお願いします。

イ・ジュンギ はい、色々なメディアを通してご存じかもしれませんが、自分自身の残酷な過去を隠し、身分を変えて新しい家庭を築き、愛する妻さえ騙して生きていく、愛さえも演じる男を演じました。16話の間、緊張感やスリルなど彼のストーリーを見ながら皆さんもあらゆる感情が生まれるのではないかと思いますし、そういうところに重きを置いて演じました。

― 「悪の花」に出演を決めた理由は?

イ・ジュンギ 簡単には決められませんでしたね。僕には合わない人物なのではないか? 僕の人生や俳優としてのキャリアを考えた時に、まだこういう深い演技をするには若すぎるのでなないか?(笑)と。かなり悩みましたし、負担も大きかったです。ただ、多くの方々が説得してくれました。新たな挑戦ですし、俳優人生において転換点になるでしょうし。また、ムン・チェウォンさんも応援の気持ちを込めた提案をしてくれたんです。このキャラクターはドラマの中心となる役どころで、難しいだろうけれどイ・ジュンギだからこそ可能であり、俳優としての幅も広げられる機会ではないかと。周りの多くの方々がそのような話をしてくださるので、そういった部分でとても悩み、台本も何度も見て長い間勉強しました。

そうしている中で、この作品が非常に独特で、スリラーと恋愛の2つの価値観がぶつかるとても不思議なドラマだと思いました。そして、これは挑戦だ、もっと成長できる、と。俳優としてのキャリアに挑戦したということだと思います。選択というよりは挑戦でした。

― 本作ではモニタリングをせずに撮影をしたと聞きました。演技へのアプローチの仕方を変えたきっかけがあったのでしょうか?

イ・ジュンギ 最初にシナリオを読んだ時、この人物をどんなふうに描き出せば視聴者の方たちが理解でき納得させられるか、すごく悩んだし怖気づきました。今の自分がそれを描き出せる器になっていないというのもあったけど、ある面では、どう描けばいいのかスケッチすらできなかったんです。どんなに考えても何度シナリオを読んでもプレッシャーが消えないんです。これまで数多くのサイコパスの人物が描かれてきたので、「また似たようなサイコパスのキャラが出てきたな」と思われたらスタートから視聴者の興味を引くことさえできません。

それに、ドラマのコンセプトがサスペンスロマンスなので、ロマンスを描くにあたって全く別の部分がどこかになければいけませんが、一歩間違えれば適当に流されてしまう。これは芝居なんだから愛しているという部分は自然に演じればいい、でも振り返ったらサイコパスになる、というのも変ですよね。あまりに単調で、よくあるパターンだから。そんなこととかに自分の意識が向いてしまって、これではダメだと思ったんです。

今までが“徹底してモニタリングをしてカットがかかるたびにチェックして作り上げようとするタイプ”だとすると、今回は思い切ってそれを捨てようと思いました。「これじゃダメだ、自分の考えや欲、計算が入ってしまったらバランスが崩れてしまうかもしれない」そんなふうに感じて。今回は一番力が抜けていて、淡々とドライな感じで、グッと落とした演技。そして、現場にいる監督を第一に信じて、現場にいる俳優たちについていく。このキャラクターは関係性の対比がとても大きいんです。だから、そっちに集中しよう、制作陣と現場を信じよう、という思いが一番大きかったと思います。もし僕が演じるたびに何かを考えて計算していたら、力が入ってしまって固いものになってしまうと感じました。

だから、むしろ前日にたくさん考えてから(現場に)行って、何度もリハーサルをする。さっき「信じる」と言ったすべての人たちと一緒に考えて作っていく。撮影に入る前、エンジンをかける前の準備ですよね、どんな方向にもっていくのか。だから、リハーサルにもっと重点を置いて時間を割こう、集中しようと。現場で集中することが何よりも重要で、そのあとは監督の判断に委ねる。

撮れば気になりますよね。俳優ならみんなそうだと思いますが、そこを捨てました。よかったからオーケーが出たんだ、と。たとえば台詞を噛んだり間違えたりしたなら「すみません。もう一度」と、このくらいはするけど、それ以外は監督のオーケーに委ねました。その代わり、リハーサルで監督と十分に話し合い、十分に自分の演技を見せました。オーディションのように。

そんなふうに互いにすり合わせてから撮影しました。そうすると監督の考えに沿った、期待していた場面、またはそれ以上の場面が出来上がっていました。個人的に悪くない選択だったと思っています。自分の演技にとらわれすぎるよりも全体を見て、自分は自然にこの人物の人生に入り込もう。その後のことは監督や編集監督、たくさんの人たちがするだろうと。そんなふうに考えました。

実際、僕も撮影が終わって、テレビで観ているファンの方や視聴者の方たちと同じ目線、同じ感情で観ました。僕も泣いたり笑ったりしながら、監督すごいなあと思いながら。とても面白かったです(笑)。本当に放送時間を待ってました、まさにドラマのファンみたいに。何も知らないし、覚えていないし、どんなふうに撮影したかも覚えていません。そのとき限りです。撮影を引きずることはありませんでした。最終回は泣きながら観ましたよ(笑)。

― まさに視聴者の一人ですね。

イ・ジュンギ よかったです。何というか、何かに引きずられながらやるよりもパッと手放して、ただ俳優として役柄にだけ集中していくのが、大きくプラスになったと思ってます。自分で見ても「ん?僕、変わった芝居をするな。こんな芝居は初めて見るぞ」と感じるほどでしたから。

― 新たなチャレンジが今後の演技でも反映されそうですね。

イ・ジュンギ しばらくはこのスタイルを固守しそうです。どう言えばいいかな…以前は、主演俳優は演技だけをしていてはいけない、制作陣や演出家のマインドだったりも一緒に考えなきゃいけないと、少し強迫観念のようなものがあったんです。それってもちろん多くの人から見れば、彼は責任感があるとか、見てていい感じだとか、よく見える。

でも、僕を可愛がってくれている先輩の中にはそれがとても気になっていたのか、こんなふうに言われたんです。「ジュンギ、君は競走馬のように見る必要がある」。他の俳優たちには逆に「開け」と言うそうなんですが、「ジュンギ、君は閉じろ」と。「そうですか? 僕、現場でそんなにストレス受けてますか? 僕は楽しいんですけど」「いや、いま君は開いてる時じゃない、閉じるべきだ。とても開きすぎている」と。ぎこちない所があったかなと思ったのですが、今回思い切って手放してやってみたら、その方法に確信が持てたんです。新しい自分を発見する方法にもなっています。少し欲張るのをやめてみよう、というのが正しいところですね。

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