【高校野球】異色の両投げ、春夏連覇、プロ断念 10年前の大阪桐蔭主将が歩んだ野球人生

大阪桐蔭元主将の水本弦さん【写真:橋本健吾】

昨年限りで現役を引退した東邦ガスの水本弦さん

2012年の選抜高校野球大会はエース・藤浪晋太郎(現阪神)を擁する大阪桐蔭が初優勝を飾った。10年前に個性豊かなチームを統率したのは主将を務めていた水本弦さん。“両投左打”という異色のプレースタイルでも注目を集めた男は「野球がなくても必要とされる人間でありたい」と、惜しまれながらも昨年限りで現役を引退した。

水本さんは大阪桐蔭で春夏連覇、亜細亜大では5度のリーグ優勝、2度の日本一を経験。そして強豪・東邦ガスに入社。アマ野球界のエリート街道を歩んだがプロ野球の世界には無縁だった。

2013年に行われた日米大学野球選手権では1年生として唯一、大学日本代表に選出。だが、ここでの経験がプロを断念するきっかけになった。当時のメンバーは大瀬良大地(現広島)、山崎康晃(現DeNA)、梅野隆太郎(現阪神)、吉田正尚(現オリックス)ら、後にプロでも一線級で活躍する面子が揃っていた。

意気揚々とJAPANのユニホームに袖を通したが、練習や試合で先輩たちの姿を目の当たりにし「投げる球、打球の勢い、飛距離とか全て自分と違う。『こりゃ無理だ』とすぐに諦めました」。想像を超えるレベルの高さに言葉を失ったという。その後は「長く野球をやりたい」と、目標を変更し社会人野球まで悔いなくプレーを続けることができた。

大阪桐蔭元主将の水本弦さん【写真:橋本健吾】

異色の両投げ選手、本来は左投げだったが「花形の遊撃手。ずっとやりたかった」

水本さんを語る上で欠かせないのが高校、大学、社会人とプロフィール欄に記載された「両投げ」だ。野球を始めた当初は左投げだったが「花形の遊撃手。ずっとやりたかった」と小学時代に右投げに挑戦。朝から晩まで壁投げで鍛え上げると遠投80メートルまで成長。その後は内野手なら右投げ、投手としてマウンドに上がる際は左投げと異色の両投げ選手が誕生した。

中学時代に完全試合を達成した一戦を見に来ていた西谷監督の目に止まり大阪桐蔭に入学。1年秋からメンバー入りすると内野手として試合に出場。最上級生になると左投げに戻し外野手として不動のレギュラーを獲得した。

高校卒業をきっかけに左投げに専念したが、周囲は“両投げ選手”として注目し続けた。「当初は嫌だって、何度も言ったのですが(笑)。物珍しい感じを出したかったんだと思います。でも、プロでもない自分の名前を覚えてもらえたので感謝してます」。

東邦ガスでは5年間選手としてプレー。右足前十字靭帯断裂の大怪我を克服し、昨年は都市対抗にも出場した。「復活して終わりたい。それをモチベーションとして頑張れた」と、後悔なくユニホームに別れを告げた。野球でやり残したことはないという。

「一社会人として結果を残したい。野球がなくても必要とされる人間でありたい」

今年2月で27歳を迎えた。まだまだ、この先の人生は長い。野球界で学んだ経験を生かし、次なるステージでも活躍する。(橋本健吾 / Kengo Hashimoto)

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