ラピスラズリでできた時計を手にするナジールさん(2021年11月・撮影・玉本)
◆故郷アフガニスタンへの思い
カブールで生まれ、旧ソ連軍侵攻の混乱で、幼い頃に両親に連れられ日本に逃れ、関西で育ったナジール・シディキさん。昨年の政権崩壊で国外に脱出する住民の姿が、かつての自分の家族に重なったという。神戸在住のナジールさんが見つめる故郷アフガニスタンとは。(玉本英子・アジアプレス)
左はカブールで祖父に抱かれるナジールさん。1歳半のとき両親とともに日本へ逃れた。右は1982年、日本へ出国する際、ビザ書類に添付された写真。このとき1歳。(ナジールさん提供)
◆KGBに追われた父とともに幼くしてカブール脱出し日本へ
神戸の北野異人館街にある宝飾店。アフガニスタン原産の瑠璃色の石、ラピスラズリが深く青い輝きを放つ。経営者のナジール・シディキさん(40)はカブール生まれだが、幼い頃から関西で育った。
父親は、旧ソ連軍のアフガン侵攻に抵抗したムジャヒディン組織のメンバーだった。旧ソ連の情報機関KGBに追われた父は39年前、日本の財界に人脈のあった親戚の助けで、家族を伴って日本に逃れてきた。このときナジールさんは1歳半。
父親と妹とナジールさん(右)。父はドイツに留学し大学院で哲学を学んでいたが、旧ソ連のアフガニスタン介入に反発し帰国。ムジャヒディン組織メンバーとして活動するも、旧ソ連のKGBに追われ、日本へ。(86年、大阪市内で・ナジールさん提供)
◆故郷の歴史や文化を語り聞かせてくれた両親
「姫路に住んでいた頃、小学校では外見の違いから絡んでくる子もいたけど、いつも味方になってくれる友達がいて、助けてくれた」
小学生のうち2年間は、英語を学ぶためにアメリカの親戚のもとで暮らした。のちに関西大学に進み、経済を学んだ。キャンパスではよく留学生と間違えられ、「日本語が上手ですね」と褒められた。「最初はムッとしたけど、慣れた」と笑う。
大阪の中学生時代。小学校のうち2年間は英語を学ぶためアメリカの親戚のもとで暮らしたが、人生のほとんどは関西で暮らしてきた。高校卒業後は、関西大学に進学し、経済を学んだ。(96年・ナジールさん提供)
日本では「戦争、難民」のイメージの強いアフガニスタン。自分がそれを背負わされるようで、つらい時期もあったという。だが、両親が故郷の歴史や文化について語り聞かせてくれたことが、自身のアイデンティティーの礎となった。
ナジールさんお店に並ぶラピスラズリの石。鮮やかで深い瑠璃(るり)色の美しい輝きが心をひきつける。アフガニスタン北東部の鉱山などで採掘される。(2021年11月下旬・神戸市:撮影・玉本英子)
◆戦火に包まれる故郷に胸痛め
2001年、アメリカで9・11同時多発攻撃事件が起きた。首謀者のビンラディンをタリバンがかくまっているとの理由で、米軍のアフガン攻撃が始まる。戦闘に巻き込まれ、多数の民間人が犠牲となった。
「故郷が再び戦火に包まれるなんて…」
「民族や組織が争うことなく互いに協力しあえば、きっと美しく輝く国になる」と故郷への思いを語る。(2021年11月下旬・神戸市:撮影・玉本英子)
圧倒的な軍事力を前にタリバン政権は崩壊、02年、閉鎖されていた東京のアフガニスタン大使館が再開されることになった。ナジールさんは、開館式に招待された。
「若い世代が新しい国をつくってほしい」と、当時の大使のたっての願いで、彼は開館の宣誓にあたる、イスラム教の聖典コーランを読み上げる大役を果たした。
「アフガニスタン人の一人として、誇らしい思いを抱いた瞬間でした」
幼くしてアフガニスタンを離れ、再び故郷の土を踏んだのはタリバン政権崩壊後の2002年。有力な一族の出身で、カブールに残る実家は大豪邸で驚いたという。写真はナジールさん(左)が、一族の墓参りに行ったときのもの。(2002年カブール・ナジールさん提供)
◆「争うことなく協力しあえば美しく輝く国に」
同じ年、日本の支援団体の通訳の仕事で、アフガニスタンの地を踏んだ。幼くして離れてから20年がたっていた。
戦争で破壊され、疲弊しきった国の状況に胸が痛んだ。各派で構成される新たな政府に、ナジールさんは期待を寄せた。復興に奮闘する人たちがいた一方、役人たちの間に汚職が広がり、また各地では戦闘が続いた。
「私利私欲を捨て、民族や組織が争うことなく互いに協力しあえば、きっと美しく輝く国になる」と心苦しい思いだった。
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昨夏、旧政権崩壊とタリバン復活で、経済も混乱。住民の生活にも深刻な影響が広がった。ナジールさんは現地のニュースを頻繁にチェックする。(2021年11月下旬・神戸市:撮影・玉本英子)
◆脱出住民に重なった自分の家族の姿
その後、タリバンは勢力を盛り返し、今年夏には20年にわたって駐留してきた米軍が撤退。ガニ大統領は国外に逃れ、タリバンがほぼ全土を掌握した。
国外に脱出しようと空港に押し寄せる人びと。その様子をテレビで見たナジールさんの目に、自分の家族の姿が重なった。
父は貿易商の傍ら、宝飾店を経営し、ラピスラズリの販売を手掛けてきた。いま、ナジールさんは父のあとを継いで、貿易業をしながら店の運営にたずさわる。(2021年11月下旬・神戸市:撮影・玉本英子)
◆「美しい自然や豊かな文化も知って」
「いつも大国に翻弄され、戦争と混乱で多くの人びとが国を出るしかなかった。悲しい歴史が繰り返された」
ナジールさんは、宝飾店とともに日本の機械部品の輸出も手掛ける。店のラピスラズリの売り上げのほとんどは、カブールの貧困地区の住民の生活支援に寄付している。
戦争だけでなく、美しい自然や豊かな文化も知ってほしい、と話す。苦境にある故郷だが、これからも尽くすつもりだ。
店のラピスラズリの売り上げのほとんどをカブールの貧困地区の生活支援に寄付している。(2021年11月下旬・神戸市:撮影・玉本英子)
(※本稿は毎日新聞大阪版の連載「漆黒を照らす」2021年12月21日付記事に加筆したものです)
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