<南風>大切な命の選択

 先日、友人との間で、出生前診断について意見交換をする場面があり、自分の経験を思い出した。私は、妊娠19週のエコー検査で胎児の首に影が見つかり、主治医から出生前診断を勧められた。その帰り道の車中で、絶望と不安に涙が止まらず、どうやって職場にたどり着いたか、今でも思い出せない。

 その後も、専門医の診察から結果を得るまで約3週間程度かかる。胎児の障がいについて陽性診断を受けてからは、不安や悲しみの中、とても短い期間に命の決断を迫られる。夫婦間で選択が一致していれば良いが、そうでない場合、想像を絶するほど、苦しくつらい期間であり、十分に考え答えを出す余裕など到底ない。家族は「正解」を考える間もなく、大切な命の選択を短期間で迫られる。

 2013年に「新型出生前検査」が始まり、マスコミで大きく取りざたされた。高齢出産が増え、簡易な出生前診断を安易に「安心」を手に入れるための手段に使う人も増えた。母親やその家族は、検査後に診断を受け、命の選択を迫られる時があるかもしれないとは想像しないであろう。

 今この時も、障がいがある子どもが生まれてくる可能性を示唆され、迷っている女性やその家族がいる。出生前診断を受けるか、受けないか、その後、子どもを産むか、産まないか、どちらを選んでも、その選択が正しいかどうか答えは出ない。ならば、社会で必要なことは、両親が選択した結果を受け止め、後悔することなく前に進めるまでの間、寄り添えるピアサポートの充実ではないか。

 可能ならこの検査が、障がいがあると分かってもなお、産む選択をした両親が「生まれてからどう幸せに暮らすか」を、話し合える時間につながるためのものになれば、検査の持つ意味が、変わってくるかもしれないと感じる。

(比嘉佳代、おきなわedu代表取締役)

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