40年前の全米 No.1ヒット!ジョーン・ジェット「アイ・ラヴ・ロックン・ロール」  作詞・作曲はアラン・メリル、カヴァーで歌い継がれる名曲「アイ・ラヴ・ロックン・ロール」

全米7週連続1位、1982年年間3位! 「アイ・ラヴ・ロックン・ロール」

40年前の1982年、特に上半期、アメリカでは大ヒット曲が続出した。

Billboard Hot 100(シングルチャート)で前年11月から10週連続1位を記録したオリヴィア・ニュートン=ジョンの「フィジカル」を始めとして、7月末に1位に昇ったサヴァイヴァーの「アイ・オブ・ザ・タイガー」まで、実に5曲が6週以上1位を記録した。

この内2番めに6週連続1位に輝いたJ・ガイルズ・バンドの「堕ちた天使(Centerfold)」と入れ替わりで1位になったのが、40年前の今日付のBillboard Hot 100でトップに立ったジョーン・ジェット&ザ・ブラックハーツの「アイ・ラヴ・ロックン・ロール」である。

It was 40 years ago today.
この曲は実に7週その位置を譲らず、年間チャートでも「フィジカル」「アイ・オブ・ザ・タイガー」に続く3位に輝いた。

しかしこの曲、実は日本に所縁が深く、“Made in Japan” と言っても過言ではないことをご存じだろうか。正直に言うと、僕も昨年とある本を読むまでは知らなかったのである。

原曲はアローズ、TVでジョーン・ジェットが観たのが始まり

“姉御” という呼称が恐らく最も似合うロッカー、ジョーン・ジェットは、70年代後半の全員女性のロック・バンド “ザ・ランナウェイズ” のギタリスト兼ヴォーカルであった。そのイギリスツアー中の1976年、彼女がテレビで観たのが、アローズというバンドが歌う「アイ・ラヴ・ロックン・ロール」であった。ジェットはバンドに連絡を取り、カヴァーの許諾を得る。しかしランナウェイズの他のメンバーは乗らず、レコーディングはされなかった。

1979年にランナウェイズが解散した後、ジョーン・ジェットはソロに転じ、「アイ・ラヴ・ロックン・ロール」を、元セックス・ピストルズの2人、ギターのスティーヴ・ジョーンズとドラムスのポール・クックとレコーディングした。このヴァージョンは、オランダでレスリー・ゴアのシングルのB面としてひっそりとリリースされただけで世に出ることは無かった。

その後、ジョーン・ジェットは、男性3人を従えたザ・ブラックハーツを結成し、彼らと1981年にこの曲を再びカヴァー。同名アルバムからのファーストシングルとしてこの年の12月にリリースした。ジェットがテレビで初めて観てから6年を経ての大ヒットとなったのである。

日本でも活躍した、作詞・作曲:アラン・メリル

アローズは、1974年から77年に活動したイギリス・ロンドンの3人組バンド。「アイ・ラヴ・ロックン・ロール」は1974年のローリング・ストーンズの「イッツ・オンリー・ロックン・ロール」に触発されてヴォーカル兼ベースのアラン・メリルが書いた曲である。クレジットにはギターのジェイク・フッカーも名を連ねているが、実際はメリル一人が作った曲であり、1975年にシングルでリリースされたがヒットしなかった。

このアラン・メリルこそが日本に所縁のとても深い人物であった。

昨年刊行された『調子悪くて当たりまえ 近田春夫自伝』にメリルの名が登場する。

ジャズ・シンガー、ヘレン・メリルの息子であるアメリカ出身のアランは、母の再婚相手が通信社のアジア総局長であったこともあり60年代末、まだ10代の頃に日本に居を移し、かのナベプロに所属しCMタレントやシンガーとして活動を始めた。日本語で歌うレコードも数多くリリースしている。メリルのバックでキーボードを弾いていたのが近田春夫。後にメリルはベースで、近田とゴジラという3ピースバンド、そして内田裕也&1815ロックンロールバンドで活動を共にする。

その後1972年、メリルはかまやつひろし等とウォッカ・コリンズを結成。翌1973年にはドラマ『時間ですよ』にも出演した。グラムロックを鳴らす一方でお茶の間にも溶け込んでいたのである。

翌1974年に渡英しアローズを結成、日本から離れたのだが、“Made in Japan”のアーティストと言っても強ち過言ではなく、「アイ・ラヴ・ロックン・ロール」も同様ではないだろうか。

40年経っても古く聴こえない!カヴァーで歌い継がれる名曲

「アイ・ラヴ・ロックン・ロール」は、松岡英明、ラルク アン シエル(L'Arc~en~Ciel)、Superfly(2015年。ギターはアラン・メリル本人)等にカヴァーされ、Dragon Ashは1999年の「I LOVE HIP HOP」でサンプリングした。

欧米ではブリトニー・スピアーズ、マイリー・サイラスのカヴァー、アル・ヤンコヴィックのパロディが目立つ程度で、日本は決して引けを取らない。これこそ正に “Made in Japan” たる所以であり、40年経ってもこの曲が古く聴こえない理由ではないだろうか。

2020年、新型コロナに斃れたアラン・メリル

ジョーン・ジェットが2015年にロックの殿堂入りしたのも勿論、この曲が寄与した部分が大である。この原稿を書き終わった直後、ジョーン・ジェットがキャリア初のアコースティック・アルバムをリリースするというニュースが飛び込んできた。セルフカヴァーが中心だが、「アイ・ラヴ・ロックン・ロール」は収められていない。しかしこの曲から40周年ということが、このアルバムのきっかけとなったことは想像に難くない。

90年代以降度々来日していたアラン・メリルは2020年3月29日、新型コロナ感染による肺炎により、ニューヨークにて享年69でこの世を去っている。存命の母メリルよりも先に。『調子が悪くてあたりまえ』によると「壮絶な最期」であったらしい。

近田春夫が「若き日の俺のロックンロール観に絶大なる影響を与えたソウルメイト」と評したアランに哀悼の意を表すると共に、彼の生んだ畢生の名曲「アイ・ラヴ・ロックン・ロール」に、その背景に想いを馳せながら、改めて耳を傾けてみたい。

カタリベ: 宮木宣嗣

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