「人並み以上我慢」「看取りできず」…あなたにとってのコロナ禍を聞いた 長崎県内で初感染から2年 ナガポスアンケート237人が回答

新型コロナウイルスの感染者が長崎県内で初めて確認されて、今月で丸2年となった。長崎新聞社は情報窓口「ナガサキポスト」のLINE(ライン)を使い、「あなたにとってのコロナ禍2年」をテーマにアンケートを実施した。「家族に会えず寂しい」「制限の多い学生生活だった」など237人が声を寄せてくれた。

別れさえも

コロナは、大切な人との別れさえ阻んだ。

長崎市の看護師女性50代は「(女優の)岡江久美子さんが(新型コロナで)亡くなった頃、実母を亡くしました。入院していて見舞うこともできず、最期に間に合うこともできませんでした。そして、マンボウ(まん延防止等重点措置)あるなしに関わらず、医療者だけが未だに制限されていると思う日々です。感情までも制限する日々が続いている…そんな感じです。メンタルヘルス、ギリギリで頑張っています」。

西彼時津町の女性60代も入院中の母親を2020年12月に亡くした。「看取りもできず、会えたのは亡くなってから。県外の弟は来れず、寂しいお葬式でした。お見送りも少人数、賑やかな事が好きだった母がかわいそうと思いました」

長崎市の公務員男性50代は「義母は面会もままならず逝きました。実母の面会も叶いません。誰に不満がある訳ではありませんが、コロナが憎いです」。

医療・福祉従事者

医療や福祉に関わっている人たちからもメッセージが届いた。

西彼時津町の医療従事者女性50代は「ある意味孤独。自分が感染したら患者を感染させてしまうので、かなりピリピリした生活をしています。この2年間で外食1回のみ。観光ゼロ。感染者受け入れ病院に勤務しているというだけで白い目で見られて退職する人もいました。実際、夫の会社からも『奥さん病院で働いてるよね?大丈夫(感染してるんじゃないか)?』なんて誹謗中傷も受けました。かなりキツかった」。

感染者を受け入れている病院で働く諫早市の理学療法士男性30代は「規定上、もう2年は外食やお酒の場に参加することもできません。県内においても行動制限の場があります。自分の親族や県外にいる親兄弟にすら会えない孤独な2年でした。数えきれない程の我慢を経験した反面、今だからこそできることとは何かと常に考えさせられた2年でもあります」。

大村市のホームヘルパー女性40代は「利用者様に迷惑かけないように、気を付けながら支援していた」。人並み以上に我慢を強いられている状況だ。

修学旅行、留学に影響 何に怒ればいい

修学旅行が中止になり、無観客の大会で部活を引退。留学を諦める高校生や大学生も多い。

長崎市の女児は「(小学)2年生ですが、運動会でお弁当を食べたことがありません。遠足も行ったことがありません」。短いメッセージだが、これまでの“当たり前”を奪われている子どもたちの日々が浮かび上がる。

本県出身で県外の大学に通う女性は「コロナウイルスの影響で、さまざまなイベントは中止、大学はオンライン講義へ移行。楽しみにしていた留学もやむなくキャンセルに。みんな同じように何かしらを我慢しているのだからと思って、耐えて耐えて耐えて、この2年間を過ごしています」と悔しさをにじませる。「気づけば卒業。もう二度と会えないかも知れない友人たちと、最後に飲み会や旅行をすることさえできないまま。誰も悪くないからこそ、何に怒ればいいのか、何のせいにしたらいいのか全く分からない」とやり場のない思いをつづった。

支えられて あらためて感謝の心

不自由な日々の中でも周囲の優しさや思いやりに支えられている人もいる。

長崎市の女性50代は「コロナ禍で(子どもが通う小学校の)行事は中止になったり、規模を縮小して行わざるを得なかったりしたが、校長先生をはじめ教職員すべてが子どもたちのために尽力してくださっていた」と感謝。「コロナ禍で今まで見えなかったものが見えてきたような気がする。閉塞感漂う現状を嘆くばかりではなく、未来へのプラスにしていけるかどうか。『いま』の生き方、考え方で未来は大きく変わるはず」

2019年に認知症の母親が脳梗塞で倒れたという西彼長与町の女性50代。「病院をはじめ複数の施設を転々とし、コロナ禍の最中に現在の特養(特別養護老人ホーム)に入居させていただきました。まだ直接の面会は叶いませんが、毎週のリモート(面会)と月1回の職員さまからの直筆のお手紙を頂戴しています」とし、「この2年間、制限された人間関係の中でも母を通して様々な方々のおかげで自分の生活があることをあらためて認識できました」。

人生が変わる 透析の母を思い退職

長期間に及ぶコロナ禍は人生設計を狂わせた。

長崎市のアルバイト女性40代は「一番の出来事は、コロナ禍による経営不振で希望退職の募集があり、退職という選択をしたことです。コロナで人生が変わるとは想像もしていませんでした」。

同市の女性50代も「看護師をしていましたが、透析治療の母への感染リスクを下げたくて昨年末に退職しました」。

五島市の農業男性70代は「家内と残り少ない人生を時々旅行をしながら暮らそうと思っていました。コロナで見事に裏切られ監禁、懲役2年の実刑判決を受けたのと同じでした」。

佐世保市の会社役員女性60代は「人生のゴールが見えてきていたが見失い、ある日突然ゲームセットになる不安におびえている2年」。

祭り・イベント中止 行事での繋がり実感

気持ちを潤したり、満たしたりしてくれる祭りやイベントの中止や延期が相次ぎ、嘆く人も少なくない。

「(長崎くんちの奉納踊りの踊町として)日々準備をして参りました。しかしながら2年連続の延期になり、言葉にも態度にも表現できない自分がいました。そんな自分に初めて出会ったのがコロナでした」。長崎市の飲食業男性40代は歴史ある祭りの存在の大きさにあらためて気付いた。

長崎市の造船業男性30代は、ペーロン大会、盆踊り、運動会など地域の行事がすべて中止になり、「仲が良い人たちとは会いますが、行事がなければ会わない人たちが多数いて行事によって繋がりができていたと実感しました」。

サッカーJ2、V・ファーレン長崎の熱烈なサポーターという長崎市の公務員男性30代は「声を出しての応援ができなくなって3シーズン目。あの熱気に包まれた会場の空気を早く味わいたい」。

見つめ直す ピンチがチャンスに

出張や付き合いの飲食が減り、自分と向き合う時間ができたという声も。

長崎市の専業主婦40代は「私にとってのコロナ禍はピンチがチャンスになった1年でした。自分を見つめることができ、進化成長できました。自分は何が好きでどうなりたいのか。自分を見つけることができて、今は好きな仕事(パート)に就けました」。

同市の会社員男性30代は「この2年間の世の中の大きな変化に自分自身も適応していかなければならないと感じています。テレワークの推進をはじめ、誰かが突然休むことになっても対応できる働き方改革は急務。そうすれば、コロナ以外のウイルス、また育児休暇、介護休暇にも対応できる持続可能な社会になるのだろうと思います」。

(山口栄治)


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