名曲がズラリ!中島みゆき「寒水魚」1982年の年間アルバム売上第1位  リリース40周年! アレンジ、歌詞、参加アーティスト… バラエティに富んだアルバム「寒水魚」

「悪女」から変わっていった中島みゆきのイメージ

中島みゆきに初めて触れたのは「わかれうた」だった。ロイ・ジェームス司会のラジオ番組『不二家歌謡ベストテン』で第1位と紹介されて流れていたその曲は、当時小学生だった私には救いようのないほど暗く感じられた。恥ずかしながら当時中島みゆきを知らなかった私は、「これって、いしだあゆみの新曲?」と本気で姉に聞いて大笑いされた記憶がある。また、『ザ・ベストテン』にランクインしても出演辞退していたし、ほんとに実在するのだろうか? とさえ思ったものだ。

1980年に「ひとり上手」、1981年に「あした天気になれ」がヒットしたことで、ラジオでもしょっちゅう耳にするようになったが、私の中で「暗いフォークの歌」という印象を拭うことはなかなかできなかった。仕方ない。当時私は河合奈保子をはじめとする女性アイドルに夢中になっていたのだから。

そんな感じで全く中島みゆきに興味のなかった私だが、さすがに大ヒットした「悪女」には興味を持った。切々と歌い上げるスタイルは変わらずとも、ボップなメロディーにライトなアレンジ。「あれ? みゆきってこんな曲調だっけ?」気がつくとラジオで流れるのを心待ちにしている自分がいた。

「悪女」という言葉の響きも新鮮だった。当時、里中満智子先生の『悪女志願』という漫画があり、真面目な女子大生が真実の愛を求めるあまり、恋愛遍歴を重ねていくという、ちょっとアダルトな作品だったので、みゆきが「悪女」という言葉を使ったことに違和感があった。しかし実際は悪女になりたくてもなり切れない、純な女性を歌っているということがわかり、妙に安心したものだ。

「オールナイトニッポン」で知った中島みゆきのキャラクター

そして私がみゆきにハマるきっかけが、ラジオ番組『中島みゆきのオールナイトニッポン』である。当時文通していた同学年の女の子から「絶対面白いから聴いてみて! ハマるはずだから!」という言葉を信じて、ある月曜日の深夜、「アンタ明日学校やで!」と母親に怒られながらも起きてみることにした。

「ギャハハハ!」と高笑いしながらハイテンションで話す女性が中島みゆきだとわかるまでにしばらく時間がかかった。

えっ? この人喋るとこんなキャラなの? 面白いって…まさかここまで振り切れてるとは…。

しかしずっとおふざけモードで話してるかと思ったら、リスナーからのハガキを読んだあと、真剣に語りかけたりもしていて、気がつくとわたしは中島みゆきのとりこになっていた。でも音楽に、というよりは “その人間性に惹かれた” というのが正解だろう。この時点ではまだみゆき作品をちゃんと聴いていない。

アレンジ、歌詞、参加アーティスト… ヴァラエティに富んだ「寒水魚」

そして初めて買った中島みゆきのアルバムが1982年に発売された『寒水魚』である。発売日(1982年3月21日)は、私の公立高校入学試験の合格発表の翌日だったのではっきりと覚えている。当時はフラゲ(発売日前日に購入すること)という習慣もあまりなかったし、発売日が待ち遠しくて、当日ドキドキしながら買いに行った。レコード店に行ってアルバムを探すと、なんとも艶っぽいジャケット。その姿からはラジオで見せるキャラは全く想像できないので少し不安になった。それでも初めてきちんとみゆきの音楽に触れるということで、ワクワクが止まらなかった。

帰宅してレコードに針を下ろす。1曲目「悪女」で「はぁ?」と声を上げた。そう、アルバムバージョンのそれは、深いベース音から始まる、ギターをフィーチャーしたハードなアレンジ。歌い出すみゆきのヴォーカルも投げるような強い歌い方で、シングルのそれとは全く違う、シンコペーション入りまくりの「ニュー悪女」に「なんだこりゃ?」と戸惑ったものの、何度も聴くうちにクセになってしまった。

他にもストリングスアレンジが美しい「鳥になって」、松任谷正隆のジャジーなアレンジがシブい「B.G.M.」、駆け落ちというシチュエーションも含めて、ともすると演歌のような雰囲気の「家出」、シニカルに紡いだ言葉をぽつぽつと歌う声が妙にかわいらしい「時刻表」、あまりにも孤独の闇が深すぎるのに惹きつけられる「砂の船」、この曲の前では「ディーバ」という言葉を軽々しく口にできないほどスケールの大きな「歌姫」など、歌詞の内容から曲調まで、ヴァラエティに富んだ内容で、まともにみゆきを聴いたことがない私は頭を思い切り殴られたような感じがした。

大人になるにつれ沁みる「傾斜」「捨てるほどの愛でいいから」

そんな中で私が特に印象深い曲は「傾斜」と「捨てるほどの愛でいいから」である。

「傾斜」は後に高校の現代文の教科書にも取り上げられたという。老婆が坂を登る姿を通して、歳を重ねることの醜さと尊さを描いた作品だと思うのだが、当時はアレンジのカッコよさだけで、歌詞の内容にはあまりピンと来なかった。

 としをとるのはステキなことです
 そうじゃないですか
 忘れっぽいのはステキなことです
 そうじゃないですか
 悲しい記憶の数ばかり

 飽和の量より増えたなら
 忘れるよりほかないじゃありませんか

しかし、10年ほど前に母親が認知症になり、いろんなことが彼女の記憶からこぼれていき、ついに私のことも誰だかわからなくなったとき、私はこの曲を思い出した。施設に顔を見に行った帰り、iPodに入っていたこの曲を聴いて、バスの中で涙が止まらなくなったことを今でもはっきりと覚えている。

「捨てるほどの愛でいいから」はとても壮大なバラードなのだが、決して想いが届くことがない相手に対して、それでも気持ちを届けようとする、あまりにも悲しすぎる曲である。

 夢でもいいから 嘘でもいいから
 どうぞふりむいて どうぞ気がついて
 あの人におくる愛に比べたら
 ほんの捨てるほどの愛でいいから

そして最後の繰り返し

 夢でもいいから 嘘でもいいから
 どうぞふりむいて どうぞ…

ここでついにみゆきのヴォーカルが途切れる。最後の「どうぞ」は、祈るように強く訴えるあまり、失神してしまったのではないかと思うほどの狂気を感じてしまう。

当時15歳だった私には、ここまで振り向かれなくても人を愛する気持ちが全く理解できなかったのだが、大人になるにつれて、自分自身が失恋を重ねていくたびに、なんとなく理解できたような気がした。ただ、この曲は聴くたびに胸が苦しくなる。

その後もいくつかアルバムを聴いたけれど、私にとっては『寒水魚』が中島みゆきの中では一番好きな作品で、それは40年経った今でも全く変わっていない。

ところでその後も『オールナイトニッポン』はよく聴いていたのだが、1983年に松任谷由実がゲストに来たときに「あなた、セックスの処理はどうしてるの?」とユーミンに唐突に聞かれ、「あたくし、清純派タレントですからそういうことにはお答えできませ~ん!」とキャッキャッと答えるみゆきと、切々と歌っている時のみゆきにあまりにもギャップがあり過ぎて、「やっぱり別人じゃねぇの?」と思ってしまうのであった。実は今でもちょっとだけそう思っている(笑)。

カタリベ: 不自然なししゃも

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