収容施設のアクリル板越しに外国人が「顔出し・名前出し」で問うもの

ドキュメンタリー映画『牛久』の劇場公開が始まっている。舞台は、出入国在留管理庁(入管)の収容施設であり、苦難を抱えた被収容者たちが次々に登場する。2021年3月に名古屋入管でスリランカ人女性が死亡してから1年。深刻な問題が指摘されている入管の在り方に抜本的な改善は見られない。当事者たちが顔と名前を出して声を上げる『牛久』は、動かぬ国に対し、一石を投じることができるか。

ドキュメンタリー映画『牛久』から ©Thomas Ash 2021/配給会社「太秦」提供。監督・撮影・編集:トーマス・アッシュ。2021年、87分。

◆隠しカメラで捉えた収容施設

2月26日午後。東京・渋谷駅周辺では、ロシアのウクライナ侵攻に反対するデモに参加しようと、人々が集まり始めていた。ちょうどその時間、ほんの数百メートル離れた映画館「シアター・イメージフォーラム」前にも、ちょっとした人だかりができていた。ドキュメンタリー映画『牛久』の公開初日につめかけた人たちだ。初回分のチケットは早々に完売。米国出身のトーマス・アッシュ監督(46)のほか、複数の出演者の姿もあった。

『牛久』は、入管施設に収容された外国人の証言を集めた映画だ。黒で覆われたポスターには、出演者5人の、悲しみとも怒りともとれる眼差しが並ぶ。それが暗示する通り、作品では、彼ら一人ひとりが自身の苦難を告発している。

日本政府は、滞在資格がなく退去強制、いわゆる強制送還の対象となった外国人を入管施設に収容している。対象となるのは、ビザが切れてオーバーステイになった人、刑務所で刑期を終えた人、難民申請をしている人たちなどだ。その中には、帰国すると危険があったり、日本に家族がいたりすることから、自分の国に帰れない人たちがいる。そんな彼らが収容されている施設の一つが、この映画の舞台である東日本入国管理センターだ。茨城県牛久市にあり、「牛久」の通称がある。

東京・渋谷の「シアター・イメージフォーラム」で(撮影:益田美樹)

入管の収容施設を巡っては、人権擁護団体などがさまざまな問題を指摘している。長期収容や医療体制の不備が特に顕著で、健康に問題を抱える被収容者は後を絶たない。2021年3月には、名古屋入管でスリランカからの留学生ウィシュマ・サンダマリさん(当時33)が死亡する事態になり、1年後にあたる今月、遺族が国に損害賠償を求めて提訴した。

問題は収容施設内にとどまらない。収容を暫定的に解く「仮放免」制度にも改善が求められている。仮放免中は就労を禁止され、収入を得る術がない。健康保険にも加入できない。かといって、生活保護の受給資格もない。だから、このような立場に置かれた人たちは、家族や支援団体からの援助で生活している。そうした支援にも限度があることから、隠れて仕事をせざるを得ない結果も生んでいる。そもそも、日本の難民認定率は、諸外国に比べて著しく低い0.4%。庇護を求めているのに、収容か仮放免かの生活を何年にもわたって送っている人たちがいる。

こうした問題を社会に伝える試みは、これまでにもあった。支援者個人のブログ、テレビや新聞の報道、そして文芸作品にまで多岐にわたる。被収容者のコメントも、それらの中で紹介されていた。しかし、ドキュメンタリー映画『牛久』はそうした中でも特異な存在だ。当事者が牛久の「中」から顔出しで訴えているからだ。

入管収容施設では、撮影・録音は禁止されている。被収容者と面会できる面会室には、金属探知機をくぐらないとたどり着けない。携帯電話なども含め電子機器は全て事前にロッカーに預けなければならない。
アッシュ監督は、その面会室にカメラを隠して持ち込んだ。被収容者とこちら側を隔てるアクリル板。被収容者が入ってくる正面の扉。車いすの被収容者を介助する入管職員の動き…。カメラは、面会者が目にするそうした事柄を一つひとつ捉えていく。

正面からこちらを見つめるのは、人権侵害を受けたとして怒りや苦悩を抱える被収容者だ。彼らは語る。

「日本は難民を受け入れない」
「難民申請書はあるけれどあれは見せかけだ」
「(アクリル板を叩きながら)刑務所と同じ」
「僕はまだ新米。入ってから2年しかたっていない」

入管職員から体に危害を加えられたり、精神的に追い込まれたりしたと訴える収容者は、無機質な面会室で涙をこぼしたり、うつろな目で宙を見つめたりする。観客は、アッシュ監督の面会を追体験していく。

ドキュメンタリー映画『牛久』から ©Thomas Ash 2021/配給会社「太秦」提供

作品には、面会室でアッシュ監督が撮影したものとは違う、別撮りの映像も挿入されている。森まさこ法務大臣(当時)の国会答弁や、入管職員が集団となって一人の被収容者を「制圧」した映像などだ。前者は国会中継の、後者は裁判によって白日の下にさらされた映像だが、映画出演者の証言と重ね合わせて観ることで、彼らの言動を別の角度から眺めることができる。

◆舞台挨拶で監督は「喜んではいない」

初回上映の後の舞台あいさつで、アッシュ監督に笑顔はなかった。初日の感想を司会者に問われると、こんな言葉で返した。

「喜んではいない」

公開に関して喜びの感慨はないと言う。

「こういう活動を喜んでやっているわけではなくて、しなければならない状態になってます」

表情は終始険しい。

アッシュ監督は、英国で映像技術を学び、2000年から日本を拠点に活動している。これまでに、放射能に汚染された福島の子どもたちを密着取材したドキュメンタリー映画「A2-B-C」(2013年)などを手掛けている。
入管問題に関心を持ったのは、2019年秋だった。教会の友人に誘われて牛久に行き、被収容者と面会したことがきっかけだったという。入管の問題は報道で見聞きする程度だった。ところが、「まるで刑務所」と感じ、ショックを受ける。

「刑務所より刑務所っぽい。刑務所でも(面会者と受刑者は)触れるし、ハグもできるし、こういうグラス(ガラス)なんかない。よっぽど何かの殺人事件とか、そういうことがない限り、あの、普通に。お部屋で、隣同士で座れて一緒に祈ったり、手を繋いだりハグもできる」

アッシュ監督は米国の刑務所と比べたのかもしれない。仕切りのない面会は、日本の刑務所では基本的にできないからだ。ただ、このような印象を持つのは彼だけではない。入管施設に面会に行き、「被収容者は受刑者ではないはず。なぜ刑務所のようなところに収容されているのか」と驚く人は多い。筆者(益田)もその1人だ。牛久の現実に打ちのめされたアッシュ監督は、「証拠集め」を始めた。

「人が死んじゃうんじゃないかと思って。目の前に、うつになって、自殺未遂をして(いる人がいたから)。ご病気になっても外の病院に連れて行かれない。死んでもおかしくない。死んだらなかったことにされないように、証拠を集めないといけない。神の使命感に応えて証拠を集めました」

証拠として被収容者の証言を記録し続けた。その記録をつないだのが『牛久』だ。作品にナレーションはない。出演者を守るためもあって、国籍や収容されたいきさつの説明もない。ひたすら被収容者たちが現状と思いを語る。

◆出演者たちの闘いを支援する映画

この日の舞台あいさつでは、牛久の元被収容者3人もマイクを握った。トルコのクルド人デニズさん、アフリカ系のピーターさん、セクシャルマイノリティのナオミさん。いずれもファーストネームを公表して作品に登場した人たちだ。現在は仮放免中である。

「入管のやり方はとても汚いです。ですけれども、それ、いつも隠している。で、日本中があんまり分からない。この映画は、このためにすごい素晴らしい、思います」(デニズさん、日本語で)

「私のような経験が他にあってはならないと思います。入管で収容されている人たちは人間です。犯罪者でもなく本当に人間です。ですので、このような社会を変えていくことを願っています」(ピーターさん、通訳を介して)

最後のナオミさんは、「心が、すごい痛いから…」と言ったきり涙で言葉が続かず、関係者に支えられて会場を後にした。

観客の前で語るナオミさん=中央(撮影:益田美樹)

舞台あいさつで最も気丈に語っていたデニズさん(43)も、『牛久』を見たのは1度きりだ。この日も上映時には観客席にいなかった。自身が「制圧」された映像も含まれ、精神的に耐えられないからだ。

収容中に精神を病み、自殺未遂も経験したデニズさんは、牛久から出た後も、引き続き心身に困難を抱えている。心の回復には程遠い。笑顔を作ることはできるが、笑うことはできない、と話す。舞台あいさつでも、「私は本当に闘っている」「あなたたちの力、お願いしている」と、絞り出すように訴えた。

この映画に出演した外国人たちは、大きな代償を払うリスクも負っている。自身を社会にさらすことで、ヘイトスピーチやいわれなき指弾の対象になるかもしれない。入管問題を大っぴらに告発した外国人に、政府が何をしてくるか分からないという懸念も大きい。デニズさんは当初、アッシュ監督が面会室で撮影しているのは知らなかったという。撮影と映画化の意図は後に知った。それでも、すぐに「すばらしい考えだ!」と賛成した。デニズさんには日本人の妻がいる。彼女と日本で暮らしていくためにも、入管問題を日本の多くの人に知ってもらい、現状を変えたかった。

アッシュ監督も言う。

「私はいいです。私はね。国から出されたら、どこに出されるの? (私は)アメリカだよ。全然、私は(彼らと)一緒にできないわけ。彼らはそれぞれの(危険があるなどして帰国を拒否している)国に戻されちゃうよ、帰されちゃうよ」

『牛久』のパンフレットは、およそ50ページに及ぶ。出演者が置かれた状況の解説とデータを多く盛り込んだ、さながら入管問題のガイドブックだ。アッシュ監督も名前と顔を出して証言した出演者を繰り返したたえ、観客には、できるところから行動をしよう、と鬼気迫る目で訴えた。

◆当事者や支援者には複雑な思いも

ただ、被写体となった外国人たちの立場を案じる声や、隠し撮りという手法へ疑問の声は残っている。被収容者や仮放免者の支援活動を続けてきた人たちも、全員がもろ手を挙げて映画に賛同しているわけではない。出演者への意思確認などを巡って、制作側を批判し続ける人もいる。

筆者がインタビューでこの点に触れると、アッシュ監督は「話したくない。当事者の声に絞りたい」と口にした。

「要はやり方、役目役割が違うだけなのよ。みんなで一緒に力を合わせて。敵は入管だから。仲間割れをすると、入管、勝つんだよ、それでいいの?」

アッシュ監督(撮影:益田美樹)

この作品のパンフレットには、研究者や活動家ら総勢30人近くがコメントを寄せているが、入管問題をすでに知る人は首をかしげたかもしれない。ここに含まれていそうな人が含まれていないからだ。例えば、映画の舞台となった牛久で、初期から被収容者の支援にあたっている「牛久入管収容所問題を考える会(牛久の会)」の代表・田中喜美子さん(69)のコメントもない。

田中さんは、1週間で唯一自身の仕事が休みになる水曜日になると、牛久に欠かさず通ってきた。もう27年。彼らを励まし、差し入れし、悩みに耳を傾け、必要に応じて入管側に申し入れもする。収容所内の問題を外に伝える窓口となっている「牛久の会」の活動は、被収容者にとって生命線だ。長年の活動で築かれてきた、当事者や支援者のネットワーク。そこから聞こえてくる複雑な事情や思いを考慮してか、映画について多くを語らない。ただ、茨城県内のレイトショーで鑑賞した後、彼女はこう言った。

「これは入管の大失態、大失態の映画だね。制圧の映像も、隠し撮りされたのも」

◆被収容者のつぶやき

牛久に今現在、収容されている人たちにも『牛久』劇場公開のニュースは、耳に入っている。

被収容者の1人は、筆者に電話をかけてきて「すごいですね。トーマスさん、テレビにも出てました」と興奮気味に語った。この被収容者は、収容所では人権が守られていないと再三訴えてきた。映画の公開で、日本の人たちに実態が伝わればいいと期待する。ただ、筆者が面会に行った時、寂しそうな表情も見せた。『牛久』に登場する外国人は、自分と違って難民性の高い人たちだと気にしていた。

「難民の人は、(日本の人にも自らの境遇を)言いやすいですよね…」

この映画によって、日本社会が難民申請者へのシンパシーを高めることになれば、問題解決の糸口になるだろう。しかし、彼が言うように、被収容者はそんな人たちばかりではない。日本で劣悪な環境に置かれ、図らずも法に抵触してしまった人たちもいる。支援者の1人は次のように語る。

「日本人なら刑期が終われば、外に出ることもできる。彼ら(罪を犯した外国人)はその後も収容を解かれることはない。それをどれだけの日本人が知っているんでしょうか。なぜ、彼らが日本に来て、そしてなぜ罪を犯してしまったのか。そのことを単に自己責任として片付けてしまってよいのか。やり直しのきかない社会を作っているのは誰なのか」

服役後、一歩も「外」に出られないまま入管に収容される。強制送還を拒否すれば、今度はいつ終わるとも知れない拘禁が待っている。1年、2年、3年…。再び日本で家族と暮らす日を夢見て、収容施設で生きる人たち。街中で見かけることはなくても、そんな人たちが日本にいる。外国人なら、劣悪な処遇は当然なのか。そのような立場に置かれてきた人たちの存在を日本社会がどう考えるか。『牛久』を観て単なる入管非難で終わらせてしまうと、本質的な問題を見誤ってしまうだろう。

牛久の「東日本入国管理センター」に続く道(撮影:益田美樹)

※記事初出=東洋経済オンライン(2022年3月22日)

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