苦境超え沖縄に根付いたジャズ ドラマー上原昌栄さんが見つめた世替わり(1)<復帰半世紀 私と沖縄>

 「ジャズミュージシャンにとって、復帰後は苦しかった」。はち切れんばかりの笑顔としゃれたハットをかぶってステージに上がる。ドラムセットの前に座ると、人が変わったかのようにスティックで激しくたたき、熱いビートを刻む。 ジャズドラマーとして沖縄ジャズをけん引してきた上原昌栄(86)は、音楽を愛し続ける人生を歩んだ。米軍のクラブやキャバレー、ジャズ喫茶などのステージに上がり、与世山澄子らの後ろでドラムをたたき、見せ場では会場を沸かせた。

 米国統治下の沖縄。米軍の将校たちが通う「将校クラブ」や下士官向けの「NCOクラブ」、一般の兵士たちが通う「EMクラブ」、そして6年間働いた退役軍人クラブ「VFW」など数多くのクラブで活躍し、ベトナム戦争に翻弄(ほんろう)される兵士らの心をジャズで癒やした。EMクラブではベトナム戦争へ駆り出される米兵と友達になった。「友達は3人いたが、1人は(ベトナムから)帰ってこなかった。出国前に生命保険を託された。今でも大切に保管しているよ」

 沖縄が日本に復帰すると、米軍クラブは次々閉鎖され、復帰後も残っていたVFWでも仕事はなくなった。「復帰でまさか仕事がなくなるとは思いもしなかった。バンド仲間の何人かは(音楽を)やめてしまった」

 復帰40周年の式典には沖縄JAZZ協会の会長として招待されたが、「復帰はいい思い出ではなかったから、複雑な思いで出席したよ」と振り返った。

 一方で、ジャズの演奏家たちが県内各地のバーやライブハウスなど新たな職場を開拓し、ジャズの音色を紡いできた。「先輩たちや同世代の仲間たちが一緒に演奏してきたから今も沖縄ジャズは根付いている。若い人たちも頑張っている」と前を向く。 (敬称略)(金城実倫)

◇   ◇

 沖縄が日本に復帰して今年で半世紀。世替わりを沖縄とともに生きた著名人に迫る企画の20回目は、ジャズドラマーの上原昌栄さん。沖縄のジャズ界を歩んだ上原さんの復帰前後の苦悩と半生を紹介する。 

© 株式会社琉球新報社