【追う!マイ・カナガワ】神奈川県民歌に新たな謎(下)歌は世につれ、世は歌につれ

学校の屋上から見える京浜工業地帯の工場風景。高橋義成校長が指さす方角には白煙を上げる煙突も見える=横浜市鶴見区の横浜市立下野谷小学校

 神奈川県民歌を巡るさまざまな謎を追ってきた「追う! マイ・カナガワ」取材班に、元県職員の男性(78)=厚木市=から新情報が寄せられた。「県民歌『光あらたに』の4番の歌詞が公害を思わせると歌わなくなった後、新たな県民歌が作られ、学校などに普及されたが消えてしまったように記憶している」。県民歌には、歴史に埋もれた“幻の3曲目”もあったのか。男性の気になる投稿を追ってみると─。

◆町の繁栄の象徴
 4番の歌詞をめぐっては、元小学校教諭の男性(80)からこんな思いも取材班に寄せられた。

 「私が勤務していた小学校の校歌には『うなる機械に火花はとんで/煙は高く大空に/工都の栄えを誇っている』とあり、力を込めて大きな声で歌ってきました。だから、県民歌の4番をなくしたことに納得がいかない」

 男性の思いを胸に、この校歌がある横浜市鶴見区の市立下野谷小学校を訪ねた。

 大手鉄鋼メーカーの工場が近く、屋上からは京浜工業地帯の工場群も見渡せる。70年代以降、大気汚染物質の排出規制が強まり黒煙は姿を消したが、燃料を燃やした際に出る白煙が、令和の時代ももくもくと煙突から上がるのが見えた。

 高橋義成校長に話を聞くと、校歌は県民歌制定から5年後の55年に作られたという。ちょうど、戦後復興期から高度成長期へと向かっていた時代だ。

 「当時は工場で働いている人の子どもたちが多かったと思う。今でも歌詞は変わらずに歌い継いでいて、『煙は高く大空に』の歌詞は町の繁栄の象徴だったのでしょうね」

◆「けむりんこ」

 ところが、下野谷小学校にはもう一曲「第2校歌」も存在しているという。

 県民歌の4番が“廃止”された60年代半ばに作られ、煙の中で暮らす子どもたちを励まそうと『けむりんこのうた』と名付けられた。

 ♪あかやきいろやまっくろな/けむりがきてもまけないぞ/どろんこあそびかくれんぼ/ちっちゃなかおもまっくろさ/なきむしけむしにげていけ

 学校に残る逸話では、60年代ごろは「煙でくもって50メートル離れると向こう側の景色が見えない」「白シャツを着ると、その日のうちに真っ黒になった」といい、その深刻さが伝わる。

 公害問題が改善される70年代まで頻繁に歌われた第2校歌は、今でも児童が地域や学校の歴史を学ぶ教材として毎年歌っているという。高橋校長は「第1校歌が悪いわけではなく、どちらの校歌も、子どもや町を思ってできた歌なんです」と話してくれた。

◆消えた京浜小唄

 取材を終え、小学校からほど近い「下野谷町3丁目公園」に足を伸ばすと、2011年に閉校した横浜市立鶴見工業高校の記念碑を見つけた。

 ♪潮風あかるき鶴見が丘に/とどろく槌音きらめく火花/あつまる学徒の瞳は燃えて/仰ぐも美し理想の白雲

 碑に刻まれたその校歌から、京浜工業地帯のものづくりを担う若者たちを育ててきた誇りがうかがえた。

 『けむりんこ─』を歌った子どもたちが鶴工に進学したかもしれないと思いをはせつつ、同地区の歴史を調べていると、金属労働者の組合史に『京浜小唄』という気になる歌を見つけた。

 ♪恋の芝浦/浅野のギャング/金と命の鋼管会社/給料の安いのは昭和の肥料

 県民歌の4番と同じく、いつの間にか消えてしまった幻の歌といい、本紙も「今いずこ 京浜小唄」(1975年2月5日付)と報じていた。

 戦前、京浜工業地帯の労働者の間で即興的に作られた曲で、争議の労働歌として歌われ、後に世界恐慌が起こると失業者たちのうさ晴らしの歌として盛んに口ずさまれた。治安維持法下で歌うことを禁じられると、存在そのものが忘れ去られてしまったという。

◆現地で聞き取り

 さらに調べを進めると、横浜を拠点に活動する夫婦デュオ「ダ・カーポ」がかつて、こうした失われゆく民衆の歌を記録しようと、地域で聞き取りをしていたことを知った。

 二人は70年代後半、テレビ神奈川の番組「かながわの唄」で、地域に伝承される民謡や小唄をテープにとり、楽譜に収めていた。その中で、『京浜小唄』が昭和初期の大ヒット映画「東京行進曲」の主題歌の替え歌だったことも分かったという。

 夫の榊原まさとしさん(73)は横浜育ち。「県民歌は小中学校でおぼえた思い出の歌」と話し、『光あらたに』の一節を口ずさんでくれた。妻の広子さん(71)は、90年代に県の文化大使として中国・瀋陽を訪れた際、七色の煙を見て驚いた思い出があった。「公害がこれから大変になる」と現地の人々に告げると、「これは中国の発展の象徴で、希望の煙なんです」と言われたという。

 県民歌の4番も、戦後復興期に人々の希望を歌っていたに違いなく、まさしく「歌は世につれ世は歌につれ」なのだろう。

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