熊本からやってきた職人さんたちが鹿児島で石橋を造っていたという話

どうも、僕です◯┐

こちらは八代市東陽町。
石工(いしく)としょうがの街です。
なぜ鹿児島の情報サイトでこちらの街を紹介しているかについてはまたあとでアレします。

生姜のキャラクターがいるようです。
名称は、謎です。
調べてみると、「しょうがくん」という名前ということがわかりました。
熊本のキャラは圧倒的頂上にいるキャラがおりますのでね。

物産館にはジンジャーアイスが売っていました。

しょうがの果肉的なものも入っていて、
しっかりしょうがの味がするわけですが、
美味しかったです。
いい仕事をしてくれるしょうがです。

物産館のちかくにある「とうよう」というお店ではめっちゃウマい生姜焼きが食えます。

鹿児島ではあまり見かけないタイプな気がする!
美味そう。

ひゅー、ウマいです。

さて、メシも食ったところで、この街のもう一つの見どころ「石工の街」に触れていきます。
石工さんは石材を加工したりそれで何かを組みたてたりする人のこと。またその職業のこと。
この地域には、種山石工と呼ばれる職人集団が暮らしていて、全国で活躍したそう。
特に「めがね橋」と呼ばれる石橋が知られています。

石工さんの仕事を知ることができる「東陽石匠館(とうようせきしょうかん)」というミュージアムもあります。
石で作られた建物が特徴的です。
施設内は撮影禁止でしたので写真はないのですが、巨大な石橋をどのようにつくっていたかなどの仕組みを知ることができます。

東陽町には石橋も残っています
アーチ型になっている部分に秘密があります。
昔の人は木で橋を造っていた時代もあり、
強度の高い石橋は大変に重宝されたことと思われます。

そしていよいよこの記事の本題に入っていくわけですが、
岩永三五郎という人をご存知でしょうか。
かつて鹿児島市の甲突川にかかっていた五石橋(新上橋・西田橋・高麗橋・武之橋・玉江橋)を作った人。
鹿児島に大変ゆかりの深い方なのであります。
ちなみに五石橋のうち、新上橋と武之橋は1993年の8・6水害で流出、玉江橋、西田橋、高麗橋は石橋記念公園に移設されています。
江戸時代に作った橋がここ30年くらい前まで使われていたところを見ると、
すごい技術をもった人たちであることがわかります。

歴史的経緯(作ったあとに薩摩藩に殺されそうになったり)や8・6水害のあとに色々あったようですが、そこはググってみたりしてみてください。

西田橋は拓本という形で残されています。
2022年3月23日からかごしま県民交流センターに展示されています。

橋の形をそのまま墨を塗って紙に転写してるので、原寸大です。
めっちゃでかい。

近くで眺めていると、人の手でやってんだなというのがわかります。

鹿児島の生活に使われていた橋の話。
ぜひ見に行ってみてねー!

そいじゃあまた!

西田橋の拓本全面公開

日時:3月23日〜3月27日 9:00〜19:00
場所:かごしま県民交流センター 2階大ホール
入場無料

おまけ

頂点を極めるキャラがふりかけにも

生姜焼きがおいしい「とうよう」

定食のしょうがもおいしい

ごはんオンしょうが焼き

鹿児島の地名もたくさん見かける「東陽石匠館」

石匠館はトイレも石造り。

街の各所に石が使われていました

これを職人さんたちが手作業でやっていたのかと思いを馳せる

石橋の上から

石が段に積まれた公園

熊本と言えばおべんとうのヒライ

八代にはこんなお店も

はちみつタピオカドリンク

八代から帰りに立ち寄った九州道山江SA

栗ソフト

栗まんじゅう

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