「核兵器のむごさが伝わっていない」政治家の相次ぐ発言で揺らぐ非核三原則に、焦る被爆者

ロシアのウクライナ侵攻に抗議し、キャンドルを並べて作られた「NO NUKES」などの文字。後方は原爆ドーム=3月8日、広島市

 ロシアのウクライナ侵攻をきっかけに、日本が国是としてきた「核兵器を持たず、つくらず、持ち込ませず」の非核三原則が揺らいでいる。きっかけは安倍晋三元首相だ。米国と核兵器を共同運用する「核共有」政策を、2月末から繰り返し提起。自民党や国民民主党の一部からは、非核三原則の見直しを議論すべきだとの声が上がる。日本維新の会は、夏の参院選で非核三原則の見直しや核共有の是非について議論を始めるかどうかを争点にする考えを示している。

 岸田文雄首相は核共有も三原則見直しも否定しているが、一方では「防衛力の抜本的強化を考えていかねばならない」と強調。軍拡につながりかねない状況だ。

 この事態に、被爆者や市民団体は焦りや懸念を募らせている。「核兵器のむごさが伝わっていない」「広島から止めなくては」との声が上がる。しかし、粘り強く核廃絶を訴えてきた広島の被爆者団体には匿名で「核武装すべきだ」という電話があったという。(共同通信=野口英里子、小作真世)

 ▽核廃絶を訴えたら批判メール

 

ロシアのウクライナ侵攻に抗議する集会で核兵器廃絶を訴える、広島県原爆被害者団体協議会理事長の佐久間邦彦さん=3月8日、広島市

 電話があったのは2月末、男性の声だった。「日本も核を持たなければウクライナのように攻撃される。被爆者の苦しみを繰り返さないためにも核が必要だ」。電話を受けたのは広島県原爆被害者団体協議会(県被団協)理事長で、被爆者の佐久間邦彦さん(77)だった。

 「被団協に入ってから15年以上たつが、こんな電話は受けたことがない」と驚いた。佐久間さんは男性に「人類がキューバ危機など核戦争の危機を乗り越えてきたのは、核があったからではなく、人々が声を上げたからだ」と応えたが、男性から「被爆者が核廃絶を訴えてきたから日本が核武装できなかった」などと言われ、被爆者らの運動を否定された。通話は平行線で終わったという。

 広島で核廃絶運動を続ける若者も批判や中傷を浴びている。

オンラインイベントで発言する「カクワカ広島」の田中美穂さん=3月9日

 国会議員に核廃絶を働き掛けてきた「核政策を知りたい広島若者有権者の会」(カクワカ広島)共同代表の田中美穂さん(27)は、3月6日にテレビ番組に出演し、核共有論を批判した。すると「現実を見ていない」「日本人に死ねと言うのか」などの批判メールが何通も届いた。「核の非人道性が伝わっていない。道のりは長い」と肩を落とす。

 ▽「危機に“便乗”する政治家」

 

2020年8月6日の広島平和記念式典であいさつする当時の安倍晋三首相

 佐久間さんが問題視するのは、安倍氏の発言の変化だ。2020年8月6日、当時首相だった安倍氏は広島平和記念式典のあいさつで、非核三原則の堅持を表明した上で、被爆者と手を取り合い核兵器のない世界を実現すると高らかに述べた。

 あの発言はなんだったのか。佐久間さんは「本音は核兵器を持ちたいという思いだったのか」とあきれた。核共有についても「核拡散防止条約(NPT)にも違反する無理な話だ。核は国民の安全につながらない」と説く。

 「核兵器廃絶をめざすヒロシマの会」顧問の森滝春子さん(83)も憤りを隠さない。「危機に“便乗”して議論を起こそうとすることが理解できない。被爆国として絶対に許されない。このままでは、日本だけでなく世界中に『核がないと怖い』という考えが広まってしまう。広島から声を上げ、何としても止めなくては」と危機感を募らせる。

ロシアのウクライナ侵攻に抗議する集会でスピーチする「核兵器廃絶をめざすヒロシマの会」の森滝春子さん(左端)=3月8日、広島市

 7歳の時に爆心地から1・3キロで被爆し、語り部として活動を続ける川崎宏明さん(83)が感じたのは「被爆者が経験したむごさが伝わっていない」という無念さだ。「護衛のために強い兵器を持とうとすれば、最終的に核兵器を持つことになる。『力には力で』という声に流されてはいけない」

 

被爆体験を語る川崎宏明さん=3月10日、広島市

 川崎さんは3月、修学旅行で広島市の原爆資料館を訪れた東京の中学生に「私の話や広島で学んだことを、家族や友達にも伝えてください」と繰り返し呼び掛けた。「私にできるのは、麦を植えるように、一人一人に体験を語って平和の種をまき、被爆者の思いを広げることだけだ」と語る。

 ▽「原爆被害の悲惨さが伝わっていない」

 米軍が広島に原爆を投下した1945年8月6日、数十万の人たちが想像を絶する爆風や熱線、火災、放射線に襲われ、推計約14万人がその年の暮れまでに命を奪われた。かろうじて生き残った人も病気やけが、差別に苦しんできた。

 「炎天下にさらされ、荼毘(だび)に付された遺体の臭いは記憶から消したくても決して消せない」と語るのは、6歳で被爆した広島原爆資料館の元館長、原田浩さん(82)。

 

原爆資料館元館長の原田浩さん=3月14日、広島市

 「この原爆被害の『悲惨さ』こそが核廃絶の原点だ。それを知ろうとしないから、あのような考えに至るのだろう」と、政治家たちを厳しい口調で批判した。

 一方で、核共有や非核三原則の見直しが議論になった背景には、広島が原爆被害の実態を伝え切れていない現実もあるのではないかと見ている。

 一例として挙げるのは、19年に展示をリニューアルした原爆資料館本館だ。新しい技術が用いられ、被爆者の遺品などが「きれい」に展示されている。生々しさが伝わりにくいと言い換えることができるかもしれない。「持ち主だった生身の人間があの瞬間、どのような状態になったのか。見学者が体感できるようさらに工夫できるはずだ」

原爆資料館の展示=21年2月

 被爆者の平均年齢は、厚生労働省によると昨年3月末時点で83・94歳。「被爆者なき時代」が迫る中、記憶の風化をどう食い止め、核なき世界につなげられるのか。日本政府は、被爆国として核保有国と非保有国の「橋渡し」役を掲げている。原田さんは政府がなすべきこととして「核兵器禁止条約を生かす方法を模索することだ。条約の第1回締約国会議にオブザーバー参加するなど、目に見える行動を取るべきだ」と訴えた。

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