1千キロ先の被災地へ届ける1トンのミカン 和歌山と石巻を結ぶ友情の運動会

和歌山―宮城・石巻の交流「運動会」で行われた「お玉でミカンリレー」=2021年12月、宮城県石巻市の上釜地区

 壊滅的な被害を受けた東日本大震災の被災地・宮城県石巻市の上釜地区へ、約1千キロ離れた和歌山市から1トンを超えるミカンを陸路で運び、現地の住民が参加する「運動会」で配るというユニークな草の根の交流が2011年の震災以降、ずっと続いている。ひょんなことから記者は昨年末、陸路での1泊4日(車中2泊)の旅程に同行した。(共同通信=力丸将之)

 ▽「被災地の人たちにトーチ見せてあげて」

 交流を主催しているのは和歌山県職員で、青少年更生保護のボランティア団体の活動にも携わる高垣晴夫さん(60)だ。記者は東京五輪の聖火ランナーとして昨年4月、和歌山県内を走った。知り合いだった高垣さんから「向こうの人たちにトーチを見せてあげてほしい。復興五輪を伝えられると思う」と頼まれた。自分の手元には聖火リレーに参加した記念のトーチがあった。高垣さんの依頼を二つ返事で引き受けた。

 昨年の仕事納めの12月28日の晩、高垣さんと仲間3人、私の計5人で和歌山市内に集合し、大型ワゴン車にミカン83箱を詰め込んだ。11年前、最初にミカンを運んだ時は10箱。それが増え続け、今では1トンを超えた。ミカンの重みで車体の後方が沈んで見えた。

 約1千キロの道のりは、約2時間おきに運転を交代しながら石巻市上釜地区を目指した。翌29日正午すぎ、石巻市の上釜地区に到着した。

ミカンを積んだワゴン車=2021年12月、和歌山市

 ▽津波に流され、九死に一生

 石巻市の上釜地区は、石巻湾に近接し、旧北上川と運河に囲まれた高台がないエリアで、東日本大震災前は約1300世帯3200人が住んでいた。震災では、地震発生から45分前後で到達した最大約4・8メートルの津波などで住民201人が亡くなった。地区の全域が浸水したが、震災後の大規模な盛り土事業を経て、現在の人口は約550世帯1300人まで回復した。

 29日午後、地区に到着すると遠藤孝一さん(62)らが笑顔で出迎えてくれた。遠藤さんは更生保護のボランティア活動を通じて高垣さんとは20年来の旧友だ。一行がミカンを運び入れた遠藤さんの自宅玄関には、天井には黒いシミが残っていた。それは、津波が押し寄せた跡だった。

遠藤さん宅の玄関の天井に黒く残る津波が押し寄せた痕跡。手前は遠藤さんの父親=2021年12月、宮城県石巻市

 遠藤さんは11年3月11日の地震発生直後、父親と自家用車で避難する際、津波に車ごと押し流された。死を覚悟したその時、車体が大きな石にぶつかった。車体が傾き、脱出に成功。その後、救助隊に引き上げられ九死に一生を得た。後日、現場を訪れた遠藤さんは、石が母方の先祖代々の墓石だと知った。

 和歌山県は将来的に、南海トラフ地震が発生し、甚大な被害が出ると予測されている。命からがらの生還を経験した遠藤さんは和歌山から来た私たちに訴えかけた。「津波が来たら、早く、遠く、高くへ逃げる。羽毛布団にしがみついてでも、どんなことをしても生き延びなくちゃいけない」。死の淵を見た人の言葉には重みがあった。

 ▽「困っている時に差し伸べられた手」

 震災時、和歌山にいた高垣さんは遠藤さんと連絡が取れず、焦りと不安を覚えていた。数日後、テレビの中継映像で、遠藤さんが避難所に身を寄せていることが分かった。ひげが伸びきり、疲れた笑顔が映し出されていた。

 11年も年の瀬が迫るころ、「電力が不安定だから、電気を使わないストーブがほしい」との遠藤さんの要望に応え、高垣さんはすぐに地元・和歌山のミニコミ誌でストーブの寄付を募った。集まったストーブとともにミカン10箱をワゴン車に詰め込み、仲間と和歌山を出発。半日以上かけて現地に着くと、遠藤さん宅や、仮設住宅に物資を配った。遠藤さんは当時の感激をかみしめる。「困っているときに手を差し伸べてくれる友こそ、真の友です」。これが10年以上続く交流の始まりだった。

 翌12年には、避難所で問題になっていたエコノミークラス症候群を解消しようと、ミカンを届けるのに併せて運動会を開催することを思い付く。その名も「みかん狩り運動会」。これが好評で以降、毎年続けている。

 20年は新型コロナウイルス禍のため遠征を断念したが、ミカンは宅配便で送り、オンライン会議システムで和歌山と現地を結んで運動会も開催した。「交流の灯は絶やしたくない」との強い思いからだった。

 ▽あっという間に消えていったミカン

 そして私も参加した21年末の運動会。上釜地区の会館内には「パンダ大集合!みかん狩り運動会」の看板。参加する住民の老若男女約80人が集まった。石巻市の鈴木典行さん(57)は私と同様、東京五輪で聖火ランナーを務めた。冒頭、ユニホーム姿の2人が聖火のトーチを持って入場すると、歓声が上がり、子どもらが取り囲んだ。「本物だ」「重い」。黄色い声が飛んだ。

聖火リレーのトーチを手に掲げて体験を語る鈴木典行さん(右)と記者=2021年12月、宮城県石巻市

 鈴木さんは当時12歳だった次女の真衣さんを津波で亡くした。全児童の7割が亡くなるか行方不明になった市立大川小の6年生だった。鈴木さんは現在、語り部活動を続けている。

 聖火ランナーを務めた当日は、形見となった真衣さんの名札を右ポケットに入れて石巻市内を走ったという。運動会でトーチを掲げた鈴木さんは「大川小のことを世界に知ってほしい。また東北だけでなく、全国で相次ぐ地震や豪雨災害の被災者のことも忘れないでほしい。そんな思いで走りました」と報告した。

宮城県石巻市で行われた「パンダ大集合!みかん狩り運動会」=2021年12月

 運動会では、お玉でミカンを運ぶリレーやじゃんけん大会が繰り広げられた。約1時間の運動会。ミカンのおよそ半分は、賞品としてあっという間に消えていった。

 石田美樹さん(46)は次女の莉乃さん(10)と初めて参加した。莉乃さんは震災の翌月に642グラムの未熟児で生まれたという。今や同年代の標準身長を超えて健やかに成長した。「無我夢中の10年でした。毎年3月が近づくといろんな思いがよみがえってくる」と石田さん。「遠い和歌山からずっと支援してくれていることに感謝です」と遠慮がちに話した。

運動会に参加した石田美樹さんと莉乃さんの親子=2021年12月、宮城県石巻市

 ▽来年も、その先も…

 運動会後、交流10周年を記念して近くの公園で記念植樹をした。遠くには、雪で遊ぶ子どもらの姿が見える。「震災の年は辺り一面が戦争後のように灰色だった。最近やっと、なくしていた色を取り戻したかな」。そうつぶやいた高垣さんの目には、まだまだ復興途上だが、日常が戻ってきつつある被災地の光景が映っていた。

運動会を終え握手する高垣晴夫さん(左)と遠藤孝一さん=2021年12月、宮城県石巻市

 別れの時。「じゃあ」「また来ます」。言葉数は少ないが、2人は来年の再会を約束し、互いを固く抱きしめた。一行は和歌山への帰路についた。高垣さんは途中、仙台市内の物産店で特産品の「ずんだ餅」の菓子折りを山のように買い込んでいた。「年が明けたら、ミカンを提供してくれた農家に『ありがとうございました。今年もよろしくお願いします』とあいさつに行くからね」

 ミカンを配り終え、軽くなったワゴン車は夜の高速道路を滑るように進んだ。車内に積まれたずんだ餅を横目に、2人が別れを惜しみ合う場面を思い出しつつ、「困難な時につちかわれた友情の絆はこの先もずっと続くだろう」と確信していた。

交流10周年を記念した植樹の後で撮影した集合写真=2021年12月、宮城県石巻市

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